ChapterⅢ

救い 〜salvation〜


 傾き始めた午後の陽射しが眩く部屋を照らす。


 長い時を経て遥は戦場から帰還した。住み慣れた自宅には帰れなかったものの、草野総合病院の一室で治療を受け眠っている。傍らには内藤が、眩しい陽射しから守るように座り愛しい寝顔を眺めていた。


 穏やかな微笑み、目にかかる前髪にさり気なく触れようとした時、ドアが開く。


「待たせたな」


 白衣姿の洋司に支えられる水野は、痛そうに顔を歪め座るのもやっとだ。


「だから車椅子に乗れと言っただろう、無茶すると治りが悪くなるぞ」

「大丈夫ですこのくらい…ゔぅっ! 」


 水野は右足と肋骨を二本折る重傷を負い、副木そえぎとシールドであちこち固定されていた。


「しばらく動けんな。ベッドを用意しておこう」

「いりません」

「わしには借りがあるだろう。医者の言うことは聞くもんだ」


 苦しさのあまり水野はそれ以上しゃべるのをやめた。言い負かされるのは酌だという顔つきをしながら、黙ったままの内藤と遥に目をやる。


「海斗は、まだ来とらんか」

「あぁ」

「そうか……」


 洋司は深い溜め息をついて遥の枕元に立つ。脈を測り酸素マスクの状態を確認していると、バンとけたたましい音がしてまたドアが開く。


「ママ! ママだいじょうぶ!? 」

「ママ!! 」

「レンくん、ミラちゃんも走ったら危ないよ」


 入ってきたのは、子供と帽子を目深に被った女性。


「なんであなた達がここに……」

「お久しぶりです」


 水野と内藤を見て声色が変わる。怒りを込めて睨む帽子の女性は、夢瑠だ。


「夢瑠ちゃん、ママ起きないよ? 」

「ママ、ママ……」


「ほらほら二人とも静かにね。ママ疲れてるから寝かせてあげて」


 二人の子供を椅子に座らせると帽子を脱ぎ自分も隣に。夢瑠は海斗と遥に代わり、子供達の面倒を見続けていた。


「ママ、ねぇママ、ミライね、ひとりでおリボンできるようになったの、ね? かわいいでしょ? 」

「ママ……レンね、ママがいないと眠れないの。赤い怪獣がうわぁって脅かしてくるんだよ」


 子供達は遥の手を握り、ありったけの思いを伝える。なきべそをかく蓮は海斗に、震える声を必死に抑え唇をきゅっと結んで我慢する美蕾は遥に……とてもよく似ている。


「それで、遥の容態は」


「あぁ……銃創はさほど深くなかった、出血は多いが内臓には達していない。あんた達が頑丈なシールドを着せてくれたおかげだ」


 水野と夢瑠は無言ながらに安堵の息を漏らし、子供達はそんな大人達の様子をかわるがわる見つめている。内藤は、何を思うか灰色の瞳を遥に向けたまま。


「それで、ハルちゃんいつ頃目覚めそうですか? 」


「残念だが……このまま目覚めん可能性が高い」


 空気が固まり動揺が走る。


 目覚めない、その意味をどう捉えればいいのか迷ううちに洋司は次の言葉を。


「理由は銃創でなく心臓疾患だ。次に発作が起きたら危ないと遥にも余命は伝えてあった……悔いがないと言えば嘘になるが」


 洋司の視線はまだ幼き子供達に。


「覚悟はできていただろう。最期の日まで皆と、いつも通りの日常を過ごしたいと言っておった」

「そんな……カイ君は」

「今、知ったばかりだ」


 海斗さえ知らなかった秘密、無念さを隠し洋司は淡々と。


「もって数時間……一晩は無理だろう。別々の場所にいた我々が今こうして集まっているのも遥が起こした奇跡……穏やかな最期となるよう皆で看取ってやろう」


 言い残し部屋を出て行った。







 誰にも伝えず何の言葉も遺さずに、遥は一人逝こうとしていた。受け止めがたい事実に水野も内藤も夢瑠も言葉を失くし、ただ茫然とするしかない。



「メルちゃん……ママ、死んじゃうの? 」


 美蕾の問いが大人達の胸を突く。


「美蕾ちゃん、あのね……」

「やだ!! レン、ママが死んじゃうなんてやだ!! 」

「ミライもやだ!! 」


「ちょ、ちょっと静かに…」

「だってやだもん!! 」

「お仕事終わったらいっぱいお話してもらうって、ママと約束したんだよ? お星さまになったらお話できないんでしょ? 」

「ミライ……おリボンできるようになったの見てもらうの…ママがプリンセスのくるくるしてくれるって……だからやだぁ……ママ、ママ起きてよぉ」


 子供達の泣き声が悲しく胸に迫る。


 死んだ魂は星になり見守ってくれている……子供達が、やがて直面する母の死を受け入れられるようにと、遥が教えていたのだろう。


 そして子供達も、理解している。


 星になればもう会う事も話す事も……叶わないのだと。


「レンも、お星さまになる」

「レン君そんなこと」

「だってママお星さまになるんでしょう? だったらレンもお星さまになってママといっしょにいる! 」


 お星さまになる……蓮の言葉に、それまで黙っていた内藤が立ち上がる。


「どうしたのです、いきなり」


 水野の問い掛けに答えず、いらだった様子で部屋を出ていく。


 ドアを閉める音がバンと響いた。



「すみません、驚かせて」

「いえ……うるさかったんでしょうね、子供が」

「慣れがないのです、許してください」


 謝る水野に、夢瑠は何も言わなかった。


「レン君、ミラちゃん、ママのおてて繋いであげて」

「うん! ママ、おててつなごうね」

「レンも! レンもつなぐ」


 微笑ましくも切ない光景にこらえきれず夢瑠も涙、遥への想いを語り始める。


「疎遠になっていたんです、私達。ハルちゃんが勧めた疎開のバスに乗ったお義父さんとお義母さんが、軍の襲撃に遭って亡くなりました。当初から反対していた夫はハルちゃんを酷く責めて……最後にはこの子達の事にまで。産めない身体になった私を、夫は気遣ってくれたんだと思います、いくら可愛い甥っ子や姪っ子でもつらい時があって……連絡を取らなくなりました」


 子供達の髪を撫でながら、語られるのは遥にとっても夢瑠にとっても苦しい現実。出逢った頃、幼いけれど自由と幸せに満ちていた彼女達は痩せ細り、厳しい現実にさらされていた。


「お義父さんとお義母さんの事も、最後まで味方だった樹梨ちゃんも失って……おまけにカイ君まで。ハルちゃんは孤独だったのに、知らずに妬んでいたのかもしれません。樹梨ちゃんやかずを奪ったのはハルちゃんだって、ハルちゃん達がロイドを広め続けたからだって……ハルちゃんの気持ち何も考えずに……仲直りしたくて……会いに行ったのに」


 震える声。涙が次々と頬を流れ、手で覆っても隠せないほどに溢れ出る。


「感謝しているはずです、ユマではなくあなたが子供達を見てくれていること。つらい想いをしたのですね」


 夢瑠もまた孤独、そのうえ遥という拠り所を亡くしてしまったら彼女は立っていられるだろうか。


「ハルちゃん……知ってたんですね」


 海斗に他の女性がいる、二人の出会いからすべてを知る夢瑠と水野にとって未だに信じられない事実。夢瑠は仲良く手を繋いでいた海斗と由茉ゆまを思い出してしまう。


「見ないで済むなら……」


 重く沈んだ声。


「その方がいいのかも」


 死さえ救いに……夢瑠も水野も、もう言葉はない。ただ寝顔を眺めながら、遥との思い出に浸る。




 一方、部屋を出た内藤は少し離れた診察室で洋司と向き合い銃を手に、思わぬ行動に出ていた。


「適合してんだろ、さっさとやれ! 」

「生きている人間の移植などできん」

「ならなぜ俺に連絡してきた!! 」


 あまりの剣幕に場は緊迫。


「あれは細胞再生医療あってこその治療法、やみくもにできるものではない。それに水も電力も血液も何もかもが足りん、慎重を期し万全な状態で切るのが手術オペだ。何か一つでも怠れば死を早める事に、切る事は即ち死を意味する」

「だったら殺せ! つべこべ言ってる暇はないんだ」


 詰め寄る内藤は洋司に銃を握らせると自らの額に。


「お、おいちょっと待て。やめろ、やめるんだ」


 パァーーン!!


 高らかに、銃声が響いた。




「やめるんだ海斗。わからんのか、遥の身体は手術オペには耐えられん」


 同じ診察室で揉めるのは洋司と海斗。


「無謀な治療で苦しみを与えて死なせるより、家族で過ごし温かいベッドで眠らせてやろうとは思わんのか! 」

「そうやって、母さんの事も見殺しにしたのか。優秀な医者が二人も揃っていながら」

「待て、海斗」

「何も、話せてないんだ……遥と。俺には遥の代わりなんていない」


 洋司の手を振り払い、海斗は出て行く。

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