願い 〜wish〜

 

 蝋燭ろうそくの火に照らされる寝顔をずっと眺めていた。


 目に掛かる前髪を優しく撫でる、内藤の口元にかすかな笑み。重く物憂げ、それでも遥を包む眼差しには優しさがあふれている。


 つらい境遇の遥を戦わせ心を壊してしまった事、子供達を守れなかった事、愛し触れてしまった事……過ごしてきた時間、そのどれもが罪の意識として重く積もっていく。


「ん……」


 ゆっくりと目が開いて、遥が目を覚ます。


「見張り…行かなきゃ……」

「もういい」

「え? 」

「もういいから」


 起き上がる遥の頬を手で包み込むと、潤んだ瞳が心細げに内藤を見つめる。


「ゆっくり休んで明日に備えろってさ、だから眠ってていい」

「明日? 」

「あぁ……首謀者を宮殿におびき寄せ、一網打尽にする。全部終わるんだ、明日」


 驚きで見開かれる大きな瞳、すぐ近くにある唇にちゅっと触れる。


「どうしたの……この傷」

「大した事ない」


 頬の傷に伸びる手を握り、言葉を遮るよう今度は深く口づけをする。止まらない、長く深くあふれでる想い……突然の事に驚きながらされるがまま押し倒される。唇が離れ首筋に、もう止められないと遥が身を委ね脱力したその時、なぜか身体が離れた。


「臭いな。シャワー浴びてくる」


 遥に着替えの用意を頼み、内藤はドアの向こうに消えていく。やがて聞こえてくるシャワーの音に、遥ものろのろ立ち上がり部屋を探り始める。ぼんやりした意識のまま引き出しから着替えを用意し持って行く。


「置いておくね」

「あぁ、ありがとな」


 サァサァ流れる湯の音に耳を澄ませ着替えを抱えた手が止まる。何を思うのか胸を抑え苦しそうに顔を歪ませた。


 はぁ…はぁ……


 苦しそうに乱れる呼吸、何か思い立ったようにふらふらと外へ……重い扉を開け外へ出て行く。







「サファイア様からの密命、ですね」

「えぇ、皆にそのように。明日が勝負だと言っておられましたから、くれぐれもお願いします」


 遥と内藤が去った後も水野は準備を進めていた。衛兵と敬礼を交わしまた一人に。闇の中、目を閉じ神経を研ぎ澄ませ……大きな戦いの前、水野はいつもこうしてきた。首謀者が英嗣と海斗なら衛兵は指示通り宮殿に集まる、しかし他の誰かが今もどこかでロイドを操っていたとしたなら……。


 ジリッ…土を踏む音、思考を止めて振り返り銃を構えた。


「水野さん……」

「なぜ、ここに」


 あの内藤の目を盗んで抜け出したのか、それとも愛する女相手に内藤が油断したか……構えた先に亡霊のような遥が立っている。


「お願いがあって来ました」

「なぜ私があなたの頼みなど聞かなければならないのです」


 ゆらゆらと、銃を構えていても近づいてくる。撃たれる事に躊躇ちゅうちょなく……それがこの戦場で生き残ってきた理由か。


「明日、全て終わったら街のシェルターに行ってほしいんです。そこに子供達と伯父さんと、本物の草野海斗がいるはずです」


 顔が見える距離まで近づいて、遥は歩くのをやめた。


「仕事に追われていた彼に、陰謀を図る時間などありませんでした。私を利用する為の結婚だったとしても、仕事には真剣で……あの子達の事も。優しいパパでした」


「何を言っても無駄。明日、海斗は宮殿に現れます。ロイド軍総帥、サファイアとして」


 仮面のように無表情な遥が、やっと見せた心の内。


「もし……あの人が関わっているのなら命を狙われているかもしれません。皆を、あの時のようにどこか安全な所に逃がしてもらえませんか。家族と一緒なら、私とあの人さえいなければ海斗は悪巧みなんてしません、だから」

「まだ言いますか。内藤は命懸けであなたを守ろうとしています。皆が苦悩し傷を抱えているこの時代、あなただけが特別ではないと言うのに……よくも裏切るような真似を。それとも最初から利用するつもりで? 」

「そんなつもりじゃ」

「裏切りでしょう、内藤の目を盗み一人で頼みに来たのがその証拠」


「俺からも頼む」


 突如、闇に声が響いた。


奏翔かなとさん……」


 遥の前に立ち、二人の間に割って入る。


「なぜあなたまで」

「俺は遥を信じている、だから遥が信じる全てを同じように信じる」


 強い覚悟を持った言葉、溜め息をついた水野が銃を降ろす。内藤はその目で見たはずだ。英嗣がシェルターを攻撃し、子供達も洋司も、何の関わりもない住人達まで犠牲になった事。


「遥の言う通り、あいつさえいなければいい話だ。海斗が現れたら遥と、あの時のように逃がしてやってくれ」


 本気か、睨み合う灰色の瞳に問いかける。


「私は行きません。由茉ゆまさんと、逃がしてあげてください」


 内藤の哀しい願い、その背後から声がする。


「今の海斗の、大切な人です。シェルターで子供達と海斗と暮らしています」


 海斗に愛されていると勘違いしていた、そんな自分のせいで一緒になれなかったのだと遥は淡々と説明する。何が事実か、街を離れ内藤より後に戻ってきた水野に知るすべはない。


「呑気ですね。明日、何が起こるかわかりません。国一つ滅びるほどの攻撃があれば何もかも一瞬、皆死ぬのです……そうしてどの国も滅びてきました。幸運にもこの街に宮殿が築かれ、そうならなかっただけの事。命の保証など……誰にもないのです」


 水野は内藤の横をすり抜け、遥の目の前に。しっかりと瞳を見つめた。


「攻撃は私が食い止めます。その後を、お願いしたいのです」

「母親でしょう。あなたが持つべきは銃でなく子供の責任、おとなしく待っていなさい」

「別れたんです、二度と会うつもりはありません」


 遥も水野を睨み覚悟を見せつける。


「子供達の為に戦わせてください」


 遥もまた、大切な者の為に命を懸ける覚悟を固めていた。


 頭を下げて去っていく遥、内藤も後を追い水野は一人に。叶えられない願いを向けられ頭を抱える。明日、宮殿に海斗が現れるのか実のところ水野にもわからない。あの日以来、姿を見ていないどころか何処にいるのか、海斗の消息は掴めていない。


 もし……遥が撃ったのが本物の草野海斗だったとしたら。


 何も知らぬまま内藤と逃げる方が、幸せなのかもしれない。





「ごめんね……」


 出逢った日と同じよう、遥と内藤は無言で隠れ家までの道を歩いている。黙って抜け出した事を謝るも、内藤の返事はない。


 地下通路を通って重い扉を開け、二人だけの秘密の隠れ家へ。


「海斗探しに行こう。あの様子だとわからないぞ、水野が約束を守るかなんて」


 立ち止まり内藤は呟く。帰り道ずっと悩んで出した、遥の為を思っての言葉。


「いいの」


 ドアを開け、照明をつけてリビングを見渡す。


「かわいいおうちね」

「遥……」

「大丈夫、電気もついて爆撃の震動もない……この時代にこんな家を用意できる人だから、きっとあの子達の事もちゃんと守ってくれる、私達と同じように、ね? 」


 振り向いて微笑みを、たまらず内藤は抱きしめた。




「どうして……こんな私のこと信じてくれるの? 」


 夜も更けベッドに横たわる二人。内藤の胸に抱かれ鼓動を聞きながら遥は呟く。


「覚えてるか? 初めて会った時の事」


 懐かしむように内藤は語る。孤独だった、闇を彷徨い手を血で染めていたあの頃、怖がらず向き合ってくれたのは遥だけだった。ひたむきで素直で、大丈夫と言いながら寂しさに震える姿を守りたくて、気付いたらお前の事ばかり考えていたと……キスで誤魔化さず初めて心の内を告げる。


「これが終わったら普通の暮らしを……武器を捨てて、どこか遠くで穏やかに暮らしたい」


 愛する遥を胸に抱き髪を撫で、孤独に生きてきた内藤は初めて感じる幸せに浸る。


「ついてきてくれるか。一生懸けて守る、だから……俺と生きてほしい」

奏翔かなとさん……」

「返事は、全部終わってからでいい。今はただこうしていたい、だめか? 」


 響く声、全身で感じながら遥は頷く。


「幸せだと、死にたくなくなるな」


 愛する歓びに笑みがこぼれる。より強く大切そうに抱きしめて触れる髪にキスをする。甘く哀しく過ぎていく時、抱き合ったまま眠りにつく。



「ごめんね……」


 切ない囁やきにも気づかない、子供のように安心しきった寝顔を浮かべて。




 そして目覚めた朝、まだ日が昇らない内に遥から離れ、一人静かに動き出す。


「遥を頼む」


 到着した水野に遥を預け、出て行く背中は今までにないほど殺気立っている。


 結ばれた夜、遥の身体に見つけてしまった刻印……鼠径部そけいぶに焼きつけられたそれは愛玩用ロイドと同じ。遊ぶ為の女、遥が大勢の男に弄ばれた証。


 生かしはしない……一人残らず。


 向かうは強制収容所。遥の心を壊し、生涯消える事のない傷を負わせた者達に復讐を。首謀者暗殺の為、街に戻ってきた内藤はただ一人の為、命を懸ける。

 

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