現れた魔物 〜the monster that appeared〜


「よくも……やってくれたな」


 かつて草野医院のあった場所、その地下奥深くで声が轟く。順調なはずの計画は今この瞬間、遥によって狂わされた。


「またしてもお前とは……許さん」


 監視を止め、英嗣は立ち上がる。


「どこへ行く」


 天井から響く声、姿どころか影ひとつない部屋。動きを止め、直立不動の英嗣はまるで操られているかのようだ。


「陛下、ご無事で何より」

「驚いただろう。だがお前ごときに殺されるほど愚かではない、これでも裏社会に生きてきたのだ……それにお前は俺に逆らえぬ」

「ゔっっ!! 」


 飛び上がりうめき声を上げながら苦しむ姿を、バカにしたような勝ち誇った笑いがさげすみ、見下している。


「システムオニキス! 作戦開始だ」

「サファイア様、確かに承りました」


 機械的な音声、命令に反応し瞳の中に赤い光。英嗣の表情に情動はない。


「殺す順番はこちらで決める、そうルビー様が仰せだ。勝手な事はするな」

「承知しました」

「よし、なら行け!! 」


 部屋を出て走り出す英嗣はどこへ向かうのか。羽島を殺し海斗を皇帝に据えたはず、しかしそれすら操られ動かされてのことか。英嗣は羽島の手によって、とうの昔にロイド化されていたようだ。


 最期の日作戦を間近に控え、殺人兵器と化した英嗣は自らを守っていたラボから出る。


 どこへ向かうのだろうか。


 そして海斗を撃った遥は、人形のような顔をして水野と内藤の間に座る。あの時、力を失くしその場で崩れ落ちた遥は内藤によって隠れ家の奥へと運ばれた。


 頬に伝う涙を拭い、抱きしめようとした所を水野に邪魔されての今。内藤の瞳は暗い。


「何があったのです」

「撃ちました、海斗を」

「正気ですか」

「何で、ロイドの海斗がいるんですか。教えてください」


 遥は知らなかった、ロイドのカイトの存在も今この世に英嗣が生きているという事実も。


「あくまで推測ですが、あの事故から羽島が英嗣を助け出し、この計画を手伝わせたのでしょう。皇帝近辺のロイドは開発者不明の者が多く、羽島が英嗣に作らせたと考えています。もちろん、完全ロイド体のカイトもです。草野英嗣、彼は昔から執着心の強い人間でしたから……この混乱に乗じて、復讐を遂げるつもりかもしれません」


「私にですね」

「いえ……」


 いきなり、内藤が立ち上がった。


「遥を頼む」


 一言そう言い残して出て行く。遥と海斗に絶望を、そうなると今一番危ないのは誰か。その答えに内藤は辿り着いていた、間に合え、間に合わせるんだ……心の中で叫びながら駆け抜ける姿はまるで豹のように鋭い。


「決まっていたんですね……こうなること」


 隠れ家で呟く遥、あまりにも大き過ぎる幸せの代償に胸がえぐられる。


「少し眠りなさい。顔色が悪いですよ」


 眠れば戻る、眠って目の前で起きた事を夢だと錯覚できるのならそれでいい。


「眠れません」

「あれは動く人形、海斗自身ではありません」


 水野の言葉は役に立たなかった。何も言わず、それこそ人形のように微動だにしなくなった遥と二人。演技などではない、心を失った遥に戸惑う水野は掛ける言葉さえ見つけられなかった。




「待て!! 」


 目にも見えぬスピードで瓦礫の山を飛び移る鋼鉄の塊。


 追いかけるのは……黒豹だ。


 内藤の読みは当たり、英嗣は市民が避難するシェルターに向かっている。遥と海斗の仲を引き裂き、子供達からも離れるように仕向けた。その隙に子供達と洋司を殺し、海斗と遥の前に亡骸なきがらを並べる。


 子を亡くした悲しみを、側を離れ守ることも出来なかった自責の念を与えたいのだろう。それなら……巡る思考、その頭脳は内藤にとってあまり良くない解答を導き出す。


 “海斗と遥の愛は、まだ生きている”


 後を追う姿には見向きもせず、英嗣は高く跳び上がる。


 バババババッッ!!


 指先から何かが発射され、シェルターに。


 ヒュンヒュンヒュンヒュン、ドゥゴォォォンン!!


「クソッ!! 」


 降り立つ前に爆破され燃え始めるシェルター。距離を詰め、内藤も負けじと英嗣めがけて光線を放つ。


「俺が相手だ、死にぞこない!! 」


 命中する光線、英嗣を包む布が破れ現れる鋼鉄の体。


「女はどうした、このストーカーが! 」


 狙いを定め、奇妙な動きで弾を放つ。内藤は華麗に交わす。


「さすが羽島の作ったガラクタだ。ダサ過ぎだろ」


 笑う内藤、飛び掛かる英嗣。繰り広げられる二人の戦いは空中で、内藤は必死に英嗣をシェルターから遠ざけようとする。燃え盛るシェルター、中にまだ子供達がいるかもしれない、それなのに英嗣が邪魔で助けに行く事が出来ないでいた。


 地上では炎を消す者もなく、シェルターが燃えている。隠し通路から地下にまで火が回り、いつか内藤と子供達が初めて会ったあの場所も、子供達の寝床も、洋司達が必死に手当を行なった診療所も、赤い炎に燃やされて黒く朽ちていく。


「何が……起こったんだ」


 その様子を呆然と眺める者達、驚きのあまり洋司以外に声を発する者はいない。


「伯父さん、早く行かないと」

「あぁ……」


 隣で子供達を連れ急かすのは……海斗ではなく夢瑠。シェルターが火に包まれるその前に、洋司と夢瑠は他の避難民十数名を引き連れて脱出する事に成功した。


 どこに逃げるのか……遥と再会できる日がくるのか、希望は遠ざかり戦争の最中さなかにいるという絶望ばかりが重くのしかかる。


「パパ……」


 なきべそをかく蓮は、振り返り炎の方を見て呟いた。子供達にとっても容赦ない現実、爆発の音、震動、土煙に炎、木々も花もない荒れ果てた地面に痩せ細り笑顔のない大人達。おいしいご飯も、パパやママの抱っこも、あたたかいお布団で眠る事ももうできないかもしれない。


「レン、ないちゃだめ。パパはおやくそく守ってくれるよ、ゆびきりだってしたんだから」


 美蕾は大人の足元で、聞こえないよう蓮を慰め続けた。







「一体どこへ? 」


 数時間後、帰ってきた内藤に水野はいぶかしげな視線を送る。


「別に。どこでもいいだろ」

「よくありません。大変だったのですよ」


 思春期男子が母にするような態度をとる内藤に、水野は遥がいかに大変だったか力説し溜め息をつく。


「まるで子供です。倒しに行くと言って聞かず、寝ろと言っても隠れて出て行こうとするし……一体、どう手懐てなずけたのですか」


 まるで育児に疲れた母親、溜め息まみれの水野をよそに内藤はそっと歩み寄り、優しく遥の髪を撫でる。


「遥には、薔薇バラより秋桜コスモスが似合うな。白い秋桜コスモスがいい」


 その言葉に一体どんな意味があるのか、水野は溜め息を止めて硬直した。


「今晩、二人で過ごしたい。遥と二人きりで」

「死ぬつもりですか。こんなにしておいて一人で」

「必ず生きて帰る。全部終わらせて……遥を連れて遠くへ。北の海の街に知り合いがいるんだ。そこで静かに暮らしたい、遥に銃を捨てさせたいんだ」

「ならなぜ、そのような事……」

「万が一ってもんがあるだろ。もし帰らなかったら……その時は頼むよ」


 立ち上がると内藤は、水野に深々と頭を下げた。そこには覚悟を決めた、一人の男が立っている。


「わかりました。明朝、互いに決行しましょう」


 その格好では遥が心配すると言い、水野は内藤に銀貨を一枚手渡した。


「新たな隠れ家です。必要な物資もある程度揃っています。明朝、遥を迎えに行きます」


 もう一度、深々と頭を下げると内藤は眠っている遥を抱き寄せ歩き出す。


「南へ行きなさい。北は全滅、あの家族も……もうこの世にはいません」


 背に投げられた水野の言葉、一瞬立ち止まる内藤。なぜかそれが、かの日に酒を酌み交わした友とその家族の死を意味すると、わかってしまった。


 “今度は本物の酒を”


 蘇る笑顔、初めて頬を涙が潤した。

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