愛の火花 〜spark of love〜


「どうして……」


 悲痛な声が洞窟に響く。


 暗闇に持ち込まれた光。銃を手に携え踏み込んできたのは、ロイド軍の制服に身を包んだ草野海斗。


「どうしてロイド軍の格好なんてしてるの? 蓮と美蕾は? なんで一緒にいてくれなかったの」


 混乱と戸惑いに満ちた叫びに、映し出される心は切なく胸が張り裂けそうだ。それなのに目を背け、海斗は遥を見ようともしない。


「海斗……ねぇ、答えて」

「信頼できる人に頼んだ」

「信頼出来る人……」

「離婚したんだ、もう関係ない」


 一歩ずつ、立ち上がり歩み寄る遥を冷たい声が突き放す。俺の知る二人ではない。あの頃、見つめ合っていたはずの視線が通い合う事はなさそうだ。


「脱獄してきたのか。二人仲良く」

「え……? 」

「今さら隠す必要はない」


 尚も響く冷たい声にとどめを刺され、遥は崩れ落ちそうになる。駆け寄り支えようとした俺に向く銃口、怒りに満ちた目が睨んでいる。


 嫉妬の念……なぜだ。


 海斗の気持ちは変わっていない。それなのに遥を追い出し、突き放さなければならない理由……まだわからないが、きっと、何かある。


「動くな、まずはお前からだ」

「やれるもんならやってみろ」

「やめて……お願い、この人は私を助けてくれたの。海斗にとっても恩人のはずでしょ? 」

「脱獄犯を始末する為に来た。任務は必ず果たす」

「そんな……」


「遥、少し待っててくれ」


 少し懲らしめるつもりで、立ち尽くす遥をそっと抱き寄せ頬にキスをする。


「離れろ、死にたいのか」

「離婚したんだろ? なら関係ないはずだ」


 案の定、凄む声。


 振り返り、遥を隠すように立ちはだかる。


「今のお前には渡せない。返してほしければそんなもん脱いで、あの女と別れてから出直してこい」


「女? 何の事だ」

「相変わらず芝居が下手だな」


 眉を歪め、怪訝けげんな表情。


 まさか見られたとは思ってもいないのだろう。海斗が引き金に指を、撃鉄を起こす音と同時、隙だらけの脇腹に潜り込み一気に投げ飛ばす。


「海斗! 」


 痛そうにうめき、うずくまる海斗に駆け寄る遥。海斗はその手を乱暴に跳ねのける。


「お前、どれだけ遥を」


『隊長、そちらにいるんですね』


 外から聞こえた声に時が止まる。


 投げた震動か、争う声に気付かれたか、それとも……海斗が仲間を呼んだとは思いたくない。


「仲間か……卑怯だな」


 一瞬、焦りを見せた後、海斗は俺を睨みつけ出て行った。十人はいたか……足音が遠ざかっていく。


「追いかけるか。今ならまだ間に合う」


 何も言わず瞬きすらしない、俺が何より守りたかった遥の心は、完全に壊れた。







 俺は遥に何をしてやれるだろう。


 親兄弟もなく産まれた時から一人だった俺に、夫婦の事などわかるはずもない。


 離婚、浮気……死にたいとまで思うのは、それほど海斗を愛しているからか。わからない、遥の気持ちも海斗の気持ちも。そもそも俺に人の気持ちなんて……考えるだけ無駄だ。



「すみません……逃げないといけませんね。ロイド軍が追ってくるかも」

「今夜はここにいよう。爆撃がひどい、ロイド軍も焦ってるはずだ」


 目が覚めたのか……気絶するように眠っていた遥が、ゆっくり重そうに身体を起こす。あれから何時間も経った事に気づいていないのだろう。あんなにも怖がっていた爆撃の音や、地を這う震動さえも。


「自爆ロイドです」

「あ? どうした突然」

「たくさんの人が、心を許したパートナーロイドの犠牲になりました。爆発するんです、ある日突然……家族を巻き込んで。樹梨亜の家族も……私が気付けなかったせいで」

「樹梨亜? 」

「佐原煌雅……覚えていませんか」

「煌雅が? 自爆って爆発したのか」

「はい……五年前みたいに」


 山での爆発、遥も五年前を思い出したのだろう。海斗が爆発したあの時の事。


「威力が凄まじいんです。家ごと、家族みんな燃えて……きっと苦しかった、熱くてつらくて……何が起きたかもわからないまま。私が、殺したんです」


「あり得ない、煌雅に……いや、精魂込めて作ったロイドにそんな事するわけないだろ。一体作るのにどれだけ時間と金が掛かると思ってんだ。修理センターの責任者は。外部からの干渉なら対処すべきだ」

成瀬なるせ……名字しか知りません。オーダーをあげると決められた日時に出荷される……センターには居たんだと思います」

「お前、まさかまだあそこにいたのか」

「最後の一人でした」

「なぜ辞めなかった、軍の人間でもないのにあんな所にいたら誤解される」

「家族も、友達も、そう言いました。でも待っていたんです……馬鹿みたいに」


 震える、小さな声は続く。


「あの人とあなたが助けに来てくれる気がして」


 膝を抱え、震える声。


「寒いな、ちょっと待ってろ」


 俺達と出逢っていなければ……遥はこんな所で震えていなかったはずだ。


「火を起こす。何か燃料を拾ってくるから」

「私のせいで」

「お前のせいじゃない。悪いのは俺だ」


 そんな事しか言ってやれなかった。







「こっち来いよ」


 深夜、洞窟の入口に何かを置いて、立ち去ろうとする背中に声を掛ける。


「寒いだろ」


 遥は眠っていると言うと、黙ってついてきた。焚き火に照らされた寝顔を、見つめる瞳は悲しげだ。



「何があった」


 もしかしたらこいつは、遥を救うためロイド軍に入ったのかもしれない。遥がショップに残った事で軍にいると勘違いして。


「言えよ、何に巻き込まれた」

「遥とはどういう関係ですか」


 その答えは、枝をべると大きくなる炎そのもの。燻っていた所に枝を何本も突っ込まれ、燃え始めてしまった。


「大切な人だ。守りたいと思っている」


 なぜか海斗の頬に微笑みが、意図の掴めない表情。


「そうですか……」


 そして立ち上がった。


「本当にいいんだな」

「どうぞご勝手に」


 炎に照らされた背中は振り向こうとしない。


「なら何でこんなもん持ってきた。心配してるんだろ。遥を生かしたいと思っているから」

「これが最後です」


 海斗は立ち上がる。


「おい、待てよ」

「もう夫婦でも何でもない。次会う時は敵同士、容赦なく撃つと……伝えておいてください」


「てめぇ……どこまで遥を傷つけるんだ」


 胸ぐらを掴む手は振り払われ、海斗は出て行った。なぜか俺まで傷付いている、変貌した海斗に。


「本当に、いいんだな」


 声は暗闇に溶けて消えていく。


 こんな事ならあの時……あまりにも腹立たしい後悔が沸いてくる。悲しませる為にこんな未来を選んだわけじゃない。


 眠る遥の背を見つめ、聞いていなくてよかったと……心から思った。







 涙を浮かべ眠る遥の傍らに座り、内藤は絶やさず火を焚いた。煙もそれだけ立ち上ったが、ロイド兵が追ってくる事はもうない。


 やがて陽が昇る頃、遥がゆっくり重そうに身体を起こす。


「もう春だってのにいつまでも寒いな」


 掛けられたブランケットは長年、愛用していた物。気づいた遥はそれを畳んで傍らに置く。


「あいつが持ってきたんだ、着替えも薬も入ってる。あんな事言いつつお前の事、心配してんだな」


 つとめて明るく振る舞う言葉は無視される。鞄をあさり、白いTシャツとボトムを取り出す。


「もっと暖かい格好しろよ。色々入ってただろ」

「必要ありません」

「そんな事言うなよ。着替えに薬に、そのブランケットだってお前が気に入ってるからって」

「戦うのに暖かい格好なんて邪魔なだけです」

「お前を生かしたいと思ってるんだ。海斗も俺も。戦場で戦わせたいなんて思ってない」

「行きましょう。これ以上、内藤さんを足止めするわけにいきません」

「遥、もうやめよう。街を出て避難を」

「行きましょう」


 遥は頑なに言う事を聞かず、水を掛けて火を消す。


「案内したい所があります」


 荷物を置き去りに。走り出す遥に、ついていくしかなかった。







 全部、聞いていた。


 側にいられなくても密かに想うのは自由、やっと気持ちを整理できた所だった。最期の日まで海斗を……蓮と美蕾を愛していたかった。


 でも……もうできない。


 拒絶され、冷えていく。動かなくなった心は石のように重くのしかかる。


「昨日はすみませんでした。次はちゃんと戦います」

「そんな事しなくていい」

「ここは戦場、ロイド軍は敵ですから」


 思えばいつも孤独だった、ブランケットを見て思い出す。荷物と共に海斗を愛した自分も捨てて、銃を握った。







「行ったのか……」


 二人が去った後の洞窟を、悲しげに見つめたたずむ海斗。


 何度も同じ朝を迎えてきた……でもこれからは。置き去りにされた荷物、畳まれたブランケットを愛おしそうに抱きしめる。


「この子は連れて行くよ」


 海斗もまた、決意を胸にこの場から立ち去った。


「幸せになって……遥」


 別々の方向へ走り出した遥と海斗。その悲痛な声が遥に届いていたなら、何かが変わったのかもしれない。

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