(13) おちていく

         ***

【コロコロ】

 冬のように無情な風が空き缶を虚しく弄ぶ音で重い瞼が意に反して開かれる。

「はぁ」

 思ってもみないため息が勝手に漏れる。

 ――なんで息なんか吸ってんだろう。

 そのまま永い眠りにでもつけばよかったのに。

 ああ、そうか。

 僕ってもう死んでるんだっけ。

 はは、自分が幽霊だってことも忘れて……。

 嗤えるよ。ほんとに。

 こんな僕が人間と渡り合えるはずないのに。

 何してるんだろ。ほんと。

 幽霊なんて……。

 なんで死ななかったんだろう。幽霊なんて……この世に未練があんのかよ。

 ――ないだろ。

 じゃあ、なんでまだこの世に留まってんだよ。

 見ず知らずの、あんなに優しくて、誠実で、一途で、心が広くて、素直で、頼もしくて、社交的で、でもほんの少し独りよがりで、少しだけ臆病で、はにかんだ笑顔が可愛くて、からかう時の笑みが善人さを隠しきれてなくて、僕と一緒に笑って、悩んで、怒って、泣いて……それから……それから……そ……れ……? あれ? 何を……言おうとしてたんだっけ?

 可笑しいな。なんで今前が見えなくなってんだよ。可笑しいだろ。なんで! なんで今なんだよ! なんで……さっき溢れなかったのに……なのに……なんで今……。

「はは」

 ひでーな。

 あんなに雫の気持ちを踏みにじり、心を抉り、泣かせて、自己嫌悪に陥らせて、あんな言葉まで言わせて……。

 なのに、僕は……雫の前で泣けず、淡々と突き放し……。

 全部僕の自己中心的で独り善がりの偽善だったんだ。雫の将来とか言って……本当は……ほんとは……自分の……じぶんの……………

「ぅうわぁぁぁ!!」

「ヒッ!!」

 !

 大声で叫んでいた全身が一気に硬直し声がした方を反射的に首だけ動かして振り向く。

 夕陽が落ちかけ仄暗い中一人の女性がこちらを禍々しいものを見るような目つきで睨んでいた。

「す、すいません!」

 思わず謝ってしまう。

 しかし、その女性は数秒こちらを凝視した後、スマホを取り出して耳もとに当てて全力疾走して去って行った。

 まだ収まらない鼓動の音を聞きながら嘲笑する。

 幽霊ってこと、忘れてんのかよ。

 何謝ってんだよ。今更人間振ってんじゃねえよ。

 どこまでいっても僕は……ロクデナシだな。

 首を上に上げる。あの時は朝だったのに……もう日暮れか……。

「このまま沈んで逝けばいいのに」

         ***



「じゃあ、約束」



         ***

「※※※!」

 気付くと立ち上がっていた。

 朧げな視界を眺めるが、辺りは闇に包まれていて何も見えなかった。

 もう春だと言うのに全身を刺すような突風が吹きつけて思わず座って身を縮こませる。

 少しずつ思考が鮮明になってきた。

 そうだ。僕は、いつの間にか寝てしまっていたんだ。それで……あれ……なんか長いような短いような夢を見ていた気がする……が、全然思い出せない。何か大切なことを言っていた気がするのに……。一文字も思い出せない。つい数秒前まで覚えていたのに。それが歯がゆい。いや、そもそもそれが誰の言葉なのかも分からないんじゃ、どうしようもないか。

 それに、目が覚めると同時に何かを叫んだ気がするのに、それさえも思い出せない。

 そんな自分の不甲斐なさに腹が立つのと同時に深く失望する。

「あぁ」

 寒い。幽霊なのに体温なんか感じやがって。

 でも僕にはこれぐらいがお似合いか……。

「はは」

 力なく嗤うと背もたれに全身を預け視点が定まらないまま空中をずっとずっと眺めた。


 朝日が昇り太陽が上から見下しまた僕だけを置いて落ちていく。

 もう寒ささえも感じなくなっていた。

 今度こそ、死ぬのかな。

 そう思うと自然と口角が上がっていた。

 死への恐怖は微塵も感じなかった。

 けれど。けれど、なぜか心の中は「生きろ!」ともがいているようだった。生きているのかも分からないのに。


 もう何日、いや、何十日……何千日経っただろうか……。

 これじゃ……まるで……地縛霊じゃんか。

「まぁ」

 これでいい。

 僕に相応しい最期なんだから。

 ……?

 幽霊に最期なんてあるのか……?

「ふっ」

 あると信じたいな。

 ……。

 ……ごめんね……雫。

 もう……終わりたい……。

 なんだか心なしか身体が重く感じて……。

 ああ……そうか。

 心の中では何かが必死にもがいていたが、もう気にしなかった。

 開いているのかも分からない瞼を何時間もかけて瞑る。


「……」

 ザッ。

「……」

 カツ。カツ。

「……」

 ……うるさいな。……まだ死んでいないのか……。

 音がした方が気になって目を開けようとする。が、少ししか開かない。

 微かに拓けた視界に映るのは……。

 仄暗い闇夜の中、街路灯の淡い光に照らされた何かだった。

 人……のような形だった。

 しずく。

 おぼろげな思考の中、そう呟くが、そんなわけない。

「ぁはぁはぁ」

 声にすらなりきれない役立たずのただの吐息を漏らす。


「……」

 そういえば……まえにも……こんなの……あったな……。

 ばか……だな。

 けっきょくは……のぞんでんじゃねえか……。

 でも。

 もうおわりだ。

 もうすぐ……しぬ。

 からだがいうこときかないのが……そのしょうこだ。

「……」

 すぐには……しなない……もんだな。

「……」

 は…や…く……し…に…

「……」

 さいご……に……。

「……」

 さいごに……あやまりたかった……な…あ…ぁ。


「……」


 …………く……


 ご……め……


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る