私は魔女ではありません!

ようひ

1 魔女見習い

プロローグ 幸せの約束

 アニカちゃんはとてもいい人です。

 お腹を空かせて森で倒れていたミサに、パンをくれたのですから。


「パンをくれてありがとう、アニカちゃん!」


 黒いワンピースを着て、ボサボサの黒髪をした女の子がミサです。

 ミサはもらったパンをもぐもぐと食べています。


「べつに、ただ余っただけだから」


 対してアニカちゃんは、白いTシャツに水色のスクールバッグを背負っています。

 腰まで伸びた金髪はところどころ傷んではいますが、とってもきれいです。


「おいしいパンだね! なにか特別なパンなの?」

「違うよ。ただのパン」

「そうなんだ。街の人はいいものを食べるんだね」


 ミサとアニカちゃんは同い年の11歳。

 でもアニカちゃんは、ミサとは比べ物にならないほど落ち着いています。


「アニカちゃんは、よくここに来るの?」


 ミサはむしゃむしゃとパンを食べながら訊きました。

 アニカちゃんは木の下で膝を抱えて座っています。


「うちの妹が好きな場所なの」

「妹?」


 その時、さくっさくっと小さな足音が聞こえてきました。


「おねーちゃんっ。ここにいたの?」


 ひょっこりと出てきたのは、8歳くらいの小さな女の子。


「エマ、今日は何もされなかった?」

「うん。くつを隠されただけだった!」


 エマちゃんは自分の裸足を指差して、にまっと笑いました。

 アニカちゃんと同じ金髪です。この子がアニカちゃんの妹だと、ミサはすぐにわかりました。


「そっちの子は、おねーちゃんのお友達?」

「わっ、私は……」


 ミサがしどろもどろになっていると、アニカちゃんが言います。


「友達じゃないよ。さっき会ったばっかりだから」


 ミサは少ししゅんとしました。

 てっきり、アニカちゃんとはもう友達だと思っていたからです。


「でも、いっしょにいるならもうお友達だね!」


 エマちゃんはとととっと駆け寄ってくると、じっと見つめてきました。

 ミサは少しドキドキしました。

 まるで炎に当たっているように、顔がぽうっと熱くなります。


「それに、その黒い服と黒い髪……まるで“魔女”さんみたい!」

「えっ!?」


 いきなりそう言われて、ミサはびっくりしました。

 そうです。ミサは実は“魔女”なのです。


「よくわかったね、エマちゃん。私は魔女だよ」

「え、ほんとうに魔女なの!?」

「だけど……まだ魔女じゃないんだ」

「え! 魔女なのに、魔女じゃないの!?」


 エマちゃんは混乱した様子で、目をぐるぐると回しています。

 ミサはにっこりと笑いました。


「まだ見習い魔女なの。魔女を目指してるんだ」

「へぇ〜、すごいね!」

「エマちゃん、ちょっと手出してくれる?」


 エマちゃんはきょとんとしていましたが、すっと手を出しました。

 ミサはその手を優しく握ります。焼き立てのパンのような、もちもちとした小さな手です。


「ちょっとだけ目を閉じててね」

「うんっ……」


 エマちゃんはぎゅっと目を閉じました。

 そんなに強くつぶらなくてもいいのに、とちょっとおかしくなります。


「目を開けてごらん」


 エマちゃんがぱちっと目を開けました。


「あっ!」


 エマちゃんの手のひらには、クローバーの花で作ったブレスレッドがありました。


「どこから出したの!?」

「魔女はこんなこともできるんだよ」

「すごーい! ほんとうに魔法が使えるんだね!」


 満面の笑みを浮かべるエマちゃんに、ミサはどんどん嬉しくなります。

 次はどんな”魔法”でエマちゃんを喜ばせようかな——そう考えていたときでした。


 ごーん、と突然大きな鐘の音がしました。

 街の方からです。


「時間だよ、エマ」


 座っていたアニカちゃんが立ち上がりました。

 エマちゃんはパンパンと服のホコリを払います。


「ごめんね、もう帰らなきゃ」


 エマちゃんはアニカちゃんと手をつなぎました。


「今日はありがとう。えっと、お名前は」

「ミサだよ」

「ミサちゃん……バイバイ、ミサちゃん!」


 沈む夕日に溶けるように、アニカちゃんとエマちゃんは帰っていきました。

 ひとりになったミサは、木の下に寝転びました。

 しぃんと静まり返る森の中、ミサの心はどくんどくんと騒いでいました。


「楽しかったなぁ」


 今までひとりぼっちだったミサでしたが、今日は安心して眠れそうです。

 ふたりのことを思い出しながら、ミサはまぶたを閉じました。






 次の日は雨が降っていました。


「こんにちは、ミサちゃん!」

「いらっしゃい。エマちゃん、アニカちゃん」


 エマちゃんとアニカちゃんは傘を差しています。

 エマちゃんは雨が降っているのに裸足です。


 ミサたち3人は木の下に座りました。

 大きな木は傘のようになっていたので、ミサたちが濡れることはありません。

 

「ミサちゃんは、どうして魔女を目指してるの?」


 エマちゃんがミサにくっつきながら訊きました。


「お母さんが魔女だからね。私もなるんだよ」

「そうなんだ。いつ魔女になれるの?」

「もうちょっと先かな」

「どうしたら魔女になれるの? なにか特別なことをするの?」

「うん、それはね」


 魔女見習いが魔女になる方法は、ひとつだけなのです。


「誰かを幸せにするとね、魔女になれるんだよ」


 魔女は人のために役立つ存在です。

 そして魔女になるためには——魔女の力で、誰かを幸せにするのです。


「ステキな夢だね!」


 にまっと笑うエマちゃん。


「ミサちゃんなら絶対になれるよ、ステキな魔女に!」


 ミサはぎゅっとエマちゃんを抱きしめました。


「ありがとう、エマちゃん!」

「うにゃっ! えへへ……」


 ミサたちはそのまま抱き合っていました。

 アニカちゃんは、街の方を見ていました。

 石の壁の向こうでは、灰色の煙が上がっていました。


 ごーん、ごーん。

 そうしているうちに、またあの鐘の音が響きました。


「じゃあね。また明日ね!」


 エマちゃんとアニカちゃんは帰っていきました。


 楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいます。

 悲しいことですが、逆を言えば「ちゃんと楽しかった」のです。


「今日も楽しかったなぁ」


 ひとりぼっちになっても、さみしくありません。

 エマちゃんとアニカちゃんは、また遊びに来てくれるのですから。

 胸がドキドキしたまま、ミサは笑顔で眠りました。




「また明日ね」と言ってくれた、エマちゃんとアニカちゃんは。




 それから10日も来ませんでした。






 雨が降っても、風が吹いても、ミサはへっちゃらです。

 くしゃみは何度もしましたし、鼻水も垂れましたが、問題ありません。


 だって、10日ぶりにアニカちゃんが来てくれたのですから。


「久しぶりだね。アニカちゃん!」


 アニカちゃんが森へ来ました。

 でも、なんだか様子が変です。

 最後に会った10日前よりも、ずっと暗い顔をしているのです。


「待ってたよ。10日もなにしてたの?」


 アニカちゃんの金髪は、もっとボサボサになっていました。

 それに、色白だった顔はところどころ紫色になっていました。

 どこかにぶつかったり、転んだりしたのでしょうか?


「あれ?」


 ミサは声をあげました。


「今日はエマちゃん、いないの?」


 その言葉に、ぴくりとアニカちゃんが身体を揺らしました。


「いたほうがよかった?」


 小さな声で言うアニカちゃん。

 ミサは首を大きく振りました。


「ううん。アニカちゃんだけでも来てくれて、うれしいよ!」

「そう」

「それに、エマちゃんも好きだけど、アニカちゃんも好きだから」

「そう」


 アニカちゃんはそっけなく返事をするだけでした。


「でも……エマちゃんにも会いたいな」


 ミサが言うと、アニカちゃんがギロリと鋭い目を向けました。


「エマに会いたいの?」


 ミサは今すぐにでもエマちゃんに会いたかったのです。

 可愛くて元気いっぱいの、あのエマちゃんに。


「うん、会いたい!」

「じゃあ、今から会いに行こう」


 アニカちゃんはミサの腕を掴みました。

 その力は強く、ぐいぐいと引っ張られていきます。


「ど、どこに行くの?」


 アニカちゃんは答えませんでした。

 その代わりに、ポケットから白い布を取り出して、顔に付けました。


「マスク付けて」


 アニカちゃんはもう1枚マスクを出しました。


「なにこれ……なんで?」

「いいから早く」


 ミサは言われるがまま、アニカちゃんと同じようにマスクを付けました。

 鼻先がくすぐったくて、息が苦しいです。


「アニカちゃん。この布、苦しいんだけど……」

「黙ってついてきてよ。エマに会いたいんでしょ」


 ミサはぐっと口を閉じました。

 ふたりは街の中に入りました。

 ゴツゴツとした石畳をコツコツと歩いていきます。


 街には人がたくさんいました。

 ミサはその光景に、ゾッとしました。

 なぜなら、街の人々は誰もが同じように白いマスクをしていたのです。

 表情が見えず、不気味です。


「アニカちゃん……どこまで行くの?」

「まだだよ」


 空には灰色の雲が広がっています。

 かすかに煙の臭いがしました。遠くでごうごうと燃えるような音も聞こえてきました。なにか燃やしているのでしょうか。

 そして、叫び声も聞こえてきます。

 なんだかよくわからない、変な街です。

 不気味で怖くて、居心地の悪い街です。


「アニカちゃん、まだ行くの?」


 ミサを引っ張るアニカちゃんの力が強くなりました。


「ねえっ! アニカちゃんっ、痛いよっ!」


 ミサが声を上げても、アニカちゃんは手の力を緩めません。


 はたしてこの先に、エマちゃんがいるのでしょうか?

 いたとしても——いったい何をしているのでしょうか?


「ほら。ついたよ、ミサ」


 アニカちゃんがようやく止まりました。

 そこにあったのは、大きな炎でした。

 空にまで届きそうなほどの、巨大な火柱です。

 

『裁きを受けよ!!』

『すべてお前らのせいだ!!』

『我々の平和を返せ!!』


 そしてあの叫び声の正体は、炎を囲む人々の声だったのです。

 しかもその声はすべて、この炎に向けているようです。

 いったいこの人たちは、何をしているのでしょうか?


「どうしたの、ミサ。エマに会えたのに」

「え?」


 ミサは呆然としました。

 だってどこを見渡しても、エマちゃんの姿はないのですから。


「何言ってるの、アニカちゃん……エマちゃん、いないよ」

「いるよ」


 そういってアニカちゃんは指をさしました。


「この中に」


 その時、ミサは見てしまいました。

 炎の中で焼かれている人たちを。

 

「なんで……人が焼かれてるの?」


 炎の中でもがく人たち。

 みな鎖に繋がれて、炎から逃げることができません。

 男性も女性も、若者も老人も、みな焼かれているのです。

 叫んでいるようですが、炎の壁に阻まれて、何も聞こえないのです。


 そしてミサはついに——見つけてしまいました。


「あ」


 炎の中の、小さな女の子。

 ぐったりとしてうつむいていた、金髪の子。

 アニカちゃんと似ている、妹のエマちゃんを。


「うっ……げぇェッ!!!」


 その瞬間、ミサは強く吐き戻しました。

 この10日間ろくに食べていなかったので、胃液だけがバシャバシャと出てきます。

 ミサの11歳の身体は、この事実に耐えられるはずがありません。

 全身を痙攣させて、吐き続けました。


「うぁ……うああぁぁッ!!!」


 吐くものがなくなったミサは、泣き崩れました。

 顔は涙とよだれと胃液でぐちゃぐちゃです。

 頭がどうにかおかしくなってしまいそうでした。


「ねぇ、ミサ……」


 アニカちゃんが言いました。


「魔女になりたいって言ってたよね。誰かを幸せにすると、魔女になれるって」


 うずくまるミサに、アニカちゃんは優しく触れました。


「だったらさ。あたしのこと、幸せにしてよ」


 ミサは顔を上げました。

 炎に照らされているアニカちゃん。

 ボサボサだった金髪は、燃えるような強い赤色をしていました。


「ミサは魔女になれて、あたしは幸せになれる。ふたりとも幸せになれるんだよ」

「ああ……うああ……」


 言葉を発せないミサを、アニカちゃんは抱きかかえました。

 それは優しい抱擁で、熱い抱擁でした。


「あたしのこと、幸せにしてくれる?」


 ミサの頭は、まだ混乱しています。

 エマちゃんが焼かれているというのに、アニカちゃんはなぜか落ち着いています。それは大人の落ち着き方なのです。周りで人々の叫び声もします。ごうごうと燃える炎に全身が熱いです。吐いたせいで喉がいたいです。酸っぱい臭いがします。また吐きそうになります。そんなミサを、アニカちゃんはぎゅっと抱いています。

 つまりミサは、何も考えられないのです。


「アニカちゃん……」


 だからミサは、こう言うしかありませんでした。


「するよ……アニカちゃんを、幸せに……」


 ミサは泣きながら、精一杯に笑ってみせました。

 アニカちゃんは口元だけ微笑みました。


「お願いね、ミサ」


 人を焼く炎は、ごうごうと燃え続けています。

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