フロックス大司祭の言い分
「緊張しないでくれたまえ。ささ、兵士がいれた茶の味は保証しないが、毒は入っていない」
三人と対面して座るフロックスは、兵士が運んできた茶をにこやかに勧める。
「本当だろうな」
喧嘩腰のオクトの代わりに二人は再び謝るが、二人とも茶を口にすることはなかった。
日に焼けた背筋の伸びた男と言えば聞こえがいいが、その若さで大司祭に抜擢されるのだから余程の実力者なのだろう。この島の歴史に浅い二人は知らないが、オクトは彼がエイプル革命軍に従軍していたことを把握していた。
裏切りのセオリーとして、反逆をして一番徳をした者が首謀者だと相場が決まっている。オクトは、ただの信者から大司祭に成り上がった彼をきな臭く思っていた。
「こんな場に連れてきてしまい申し訳ない。時間はとらせないさ。オクト君が言っていた、ジュンという人物なんだけどね」
空気がひりつく。フロックスはすました顔で紅茶を飲んだ。
「しらばっくれるんですか」
「お前はどうしてそんなに怒っているんだ。失礼だぞ」
スピカが窘めても、オクトは気を許さない。
「まさか。実はおいおい全国民に通達するつもりだったんだがね、特別に君たちに教えよう。ジュンは、精神を病んで休暇にはいったんだ。五年ほど前に」
あまりのでまかせにオクトは呆れ果て反論しようとしたが、スピカが彼の足を机の下で踏んで邪魔した。フロックスが何を言うか出方を見るのだ。
「私はあまりジュンという方を存じ上げないのですが、では今の黒判騎士は代役を立てていると」
フロックスが満面の笑みで頷く。
「ああ。話が早くて助かるよ。国の強力な騎士が心を病んで田舎に引っ込んでるなんて、敵国に知られたら事だろうから。だが、ジュンという名前を知っている昔馴染みには、すぐバレてしまうね」
「通達はいつされるおつもりで」
「いつか、さ」
その日は決して来ないだろうことは、容易に予想できた。
「政治は大変ですね」
淀んだ空気にハルシャが助け舟を出す。彼女の視線は先程から、フロックスの左薬指につけられた指輪に釘付けだった。
「まあ。何事も苦労はつきものさ。五年前魔女を処刑した頃からか、騒動や反乱は日に日に増していっている。自分が真の黒判だと宣う、嘘つきも出てきたことがあった」
その言葉にオクトの胸がざわついた。五年前。魔女を処刑したのも、カトレアがジュンに問い詰めた時に聞いた年数も、同じだ。彼は、処刑された首とはっきり言っていた。自分の嫌な予感に吐き気を催す。
ジュンが魔女として処刑されかけたのでは、なんて。
「外の空気吸ってくるか」
スピカに心配されるが、オクトは首を振る。
「大丈夫かい、君」
フロックスの顔を見るだけで、嫌悪感で頭が一杯になる。確証はないので思い過ごしだと、自分の中で結論づけた。
あの、とハルシャが口火を切る。
「その手につけている、指輪なんですが」
彼女の細い指が指したのは、ちょうど婚姻指輪をつける位置につけた銀の指輪だった。モチーフは、ブーケのように膨れ上がった可愛らしい花。
「うちの宗派は婚姻を認めているけど、私はいま独身だ。これは、大事な人から貰ったものだよ」
ハルシャの声はわなわなと震えている。
「そのモチーフは、私の母国の、特別な階級の人にしか許されていない婚姻指輪です。サビク王女が、黒判騎士との婚姻の際にしか使っていません」
フロックスの笑みがさっと冷めると、同じ笑顔でも無機質に見えた。しかし、ハルシャは負けじと立ち向かう。
「サビク王女ね。王女を名乗るなら、人口が万を超えた国でないと」
「私の国を侮辱するんですか。それは、貴方がつけていい代物じゃない」
咄嗟にフロックスに伸ばした手を、大きな影が阻害する。その影は空中を飛び、いつの間にか部屋の出入口に待機していた黒判騎士の腕に止まった。
その影の正体は、ランタナの伝書用に調教した隼だった。
「なんであんたが」
思わずオクトが立ち上がる。黒判騎士は何も言わない。
「ランタナ殿から受け継いだ隼ですよ。オクト君は何も聞かされていなかったのかな」
嘘つきの盗人め、オクトはそう言ってやりたかった。全てこいつが裏で糸を引いていたのかと、頭の中で決着が着く。
ジュンがサビク王女から頂いた婚姻指輪も、ランタナの隼も、五年もの間こいつの所有物だったと思うと腸が煮えくり返る。
「どういう事だ」
オクトとハルシュ、互いにそれぞれの怒りを抱える中、スピカだけが置いてきぼりだった。そして構わず事態は進む。
「まあ落ち着いて。私が君たちを呼び止めたのは喧嘩をするためではないんだ。オクト君、ジュンと誰かを呼んでいたね。その人は実際に生きている人物かな」
「当たり前だろ」
若造の怒りにもフロックスは動じない。
「最近多いんだよ。少し事情を聞きかじって、成りすますやつがな。そいつもきっと、嘘まみれの下人に違いない。私たちが処分しよう」
「彼女は本物だ」
「はは。彼女、ね。黒判騎士は男だ。その女は嘘をつく才能もないらしい」
「お前が知らないだけだ! 黒判騎士は、本当はっ」
オクトは知っている。ジュンが、男のフリをして見くびられないようこれから先鎧は脱げないだろうと、ランタナが嘆いていたのを。長い間嘘をついて、孤独に生きてきたであろうことを。
「君は事実、ペテン師と叫んでいたろう。その女は、素性を明かしたがらないんじゃないのか。口八丁手八丁で君たちを騙している、中身のない薄っぺらな大嘘つきさ」
「いい加減にして」
ハルシュの突然の叫びは、一室にいた全員の鼓膜をつんざいた。隼は興奮して鳴く。
「どうどう」
黒判騎士が低い声で隼を宥めるが、ハルシャは止まらなかった。
「さっきから人を小馬鹿にした態度で、大司祭が何だってんのよ。貴方は仲間のことなんてどうでもいいのかしら。ジュンのことよりも自分で手一杯なの。嘘ついてるのはそっちじゃない。私はね、あの人を信じるわよ。人の死を、あんなに悔やめる心優しい人が、下らない人間なもんですか」
啖呵を切れば滝のように流れ出る。周囲は呆然としていたが、黒判騎士は彼女の方をしっかりと見ていた。
「本当に、生きているのか」
あまりにも小さい声だったので、誰も聞いてはいないだろう。ハルシャに睨まれて、黒判騎士はビクリとした。
「あんた、私たちに兜とって顔見せなさいよ。それで今日の所は帰ってやるわ」
フロックスは急いで彼女の進行を止めるが、思いの外力が強く止められない。その時、一室の木窓を割って山猫が現れた。
「また窓割ってる」
オクトが猫になったジュンに言うと、ジュンはうるさいと言わんばかりに鳴いた。そして建物の周囲が騒然となり、山猫は三人に逃げるよう大声で鳴く。
「大司祭様、お守り致します」
「私たちはいい。全員で彼らを捕らえろ」
嵐のように三人が去り、フロックスと黒判騎士だけになった一室。山猫の姿のジュンが猫らしく鳴くと、フロックスは溶けた笑顔で柔らかい体毛ごと抱きしめた。
「フロックス、危ないよ」
黒判騎士の見た目からは想像もできない気弱な声に、フロックスは気にもとめず山猫の感触を楽しむ。
「誰もいない時にしか楽しめないのだ。なんて可愛いんだろう。よしよし、どこから迷い込んできたのかな」
ジュンは辟易としたが何も出来ない。昔からの動物好きだと知っていたが、複雑な心境だ。
「獣は下等な生き物なんだろ。海の女神の信条に背く行為だ」
黒判騎士の腕に乗った隼が鳴く。
「信条だけでは人は生きていけない。楽しみがないとな」
とんだ放蕩男だとジュンは思ったが、彼の左手につけている指輪を見つけてなんとか取れないかと口を動かした。しかしすかさずフロックスは避ける。
「わあん」
可愛く鳴いてみてもフロックスの態度は頑なだ。
「だめだめだめ。これはな、俺の人生でただ一人愛した女がつけていた、指輪だ。男だと自分を偽って飾り立て自滅した、俺の騎士の」
背後にいる黒判騎士には聞こえないよう、小声で言うあたりが真実味を帯びていて不気味だ。彼は嘘をつくのも見破るのも上手く、先程もオクトに嘯いてみせた。頭の切れるところを見込み、ジュンは彼に真実を打ち明けて早々に傍に置いたが。
お前が私を裏切ったのか。
「わおん」
尋ねても答えは返ってこない。すると、ランタナの調教した隼がやって来てフロックスの傍から離れさせた。フロックスは山猫を抱き寄せる。
「おっと。鳥はおっかないな。この猫ちゃんは城に連れて帰るんだぞう」
たまったもんじゃない、山猫のジュンは隼にせっつかれるように部屋を出ていった。
「あんな大きいの、餌代が馬鹿にならない。逃がして正解だよ」
「あれぐらいどっしりした猫を飼っていたら、少しは見栄えもするんじゃないか。お前は全然その鎧に見合う騎士にならないな」
ニゲラ、とフロックスが言うと彼は俯いた。
「姉さんには俺はなれない。五年経って、身に染みてわかる」
「またその話か。慰めは後だ。あいつらは少し気になる。ジュンを女だと知っていたし、あのサビク王女と同郷の女は放っておけない」
「いつまでこんな嘘つき続けりゃいいんだよ」
「死ぬまでだ。それがせめてものジュンへの手向けとなる」
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