真相と暗躍
オクトたちが隣町への道中、森の最中でひと悶着あった後。ノシメ港町は再び混乱の渦に巻き込まれていた。オクトが連れ去られ、イオタが昏倒した姿を目撃した住民は、盗賊の襲来だと騒いだ。そして、領主のいるシラン邸に押し掛けた。
「こんな夜更けになんの騒ぎだ」
門を開けたシランの目の前には、カリアを筆頭に殺気立った住民がいた。彼女だけは眉をハの字にして、辛うじて話が通じそうだった。
「シラン君。大変なの」
彼らの様子を見るにただ事ではないのは見て取れた。住民にとっての最大の脅威として考えられるのは、やはり盗賊の襲来だろう。
「盗賊がまた出たのか」
群衆を押しのけ、漁の親方が前に出る。
「イオタがやられて、オクトが攫われた」
親方の背後から頭を抱えながらやってくるイオタ。彼らの言っていることは本当だろう。シランは焦った。
「な、なんで、また」
「そんなこと俺たちが知るかよ。領主殿、もう町でうかうか寝てられねえ。女子供だけでもいいから避難させてくれ」
親方の後ろ、群衆の中には泣きじゃくる赤ん坊を抱える母親や子供たちが複数いた。屋敷に匿うぐらいわけない。しかし、シランは首を振った。
「待ってくれ。そんな急に」
「助けてくれよ。あんた領主だろ」
揉み合いにある中、背後で縮こまる年配の男がぼそりと。
「ランタナ殿の代わりにはならんか。こんな何処の馬の骨ともわからん若造」
その言葉に、混乱するシランの頭がカッと熱くなった。
「誰だ。無礼者」
シランは咄嗟に腰の飾り用の剣を抜いたが、月光に照らされると刃がぬめりと光った。
住民の群が何歩か引き下がると、シラン邸の奥で馬の嘶きが聞こえた。シランの頬に汗が流れる。しばしの沈黙の後、赤い服を着た豪奢な服を着た女性がしずしずと現れる。
「皆さま、どうかされましたか」
「母様」
シランの救いを求める目を、母であるデルフィは伏せがちの瞳で避ける。
「盗賊が出たんだ。デルフィ殿、どうか弱い者だけでも一日、邸宅に置いていただけないか。お亡くなりになったクラズ様だったら、きっとそうする」
住民に向けていたデルフィの頬がひくりと引き攣る。彼女の手には、西瓜程の大きさをした丸い布の荷物があった。
「この町にか弱き者などおりませんわ。それよりも、そう、言いづらいのだけれど。オクトさんが戻ってきたの」
注目の人物がどこにいるのかとみなが周囲を見渡す。
「何処だ。あいつは」
親方が堪らずデルフィに尋ねると、彼女が手に持った荷物を胸に掲げた。群衆から引き攣った声が溢れる。
「私が庭に出ている間、これが置かれていました。彼らは再び町を訪れると、文を置いて。皆様、私たちはシラン領主の名の元、必ずや盗賊を討ちとってみせましょう。だからどうか、今日のところはお帰りください。亡き我が甥に免じて」
彼と親しくなかった者ですら、恐怖と絶望で震えていた。親方は唖然とするカリアの肩を抱き、イオタは片目で布に覆われた首塚を凝視した。
「見せてくれよ」
デルフィは首を振る。
「明日の朝、教会で最期の別れの時に見せましょう。ここでは、子供たちもいますし」
「友達だったんだ」
イオタの頬を涙が落ちていく。親方は彼の肩を抱いて落ち着かせる。
「今日はもう帰ろう」
親方がイオタに言い聞かせた言葉が民衆に伝播し、闇の中を不安そうに帰路に着く。
残された若き領主は、母が持つ自身の従兄弟の首に震える手を伸ばす。
「嘘だ」
母の手から受け取ったそれは、思っていたよりも軽かった。兄と慕っていたあの男の頭とは思えない。かつて母と母の妹クラズ、ランタナと共に庭で遊んだ。カリアや彼女の両親とも、仲睦まじくかけっこをした。永遠のような幸福を感じていたのに。
シランは布を恐る恐る外す。すると、そこには鼻の削げた男の頭があった。思わずシランは口に出してしまう。
「誰だ」
堪らずデルフィが吹き出した。
「あはは。おっかしい」
デルフィは先程までの清廉さを投げ捨て、派手なルージュの唇で大笑いした。シランは屋敷に入っていく彼女に追随し、尋ねた。
「どういうことです。悪戯にしてはタチが悪すぎますよ。この男は誰ですか」
「あたしが知るもんか。盗賊たちが宣戦布告に持ってきた首を民衆の前に晒した。これで舞台は整ったってわけ」
シランの頭は混乱している。オクトは何処だ、生きているのか、母がしようとしていることを止めなければいけないのではないか。
「お母様。やはりこの計画は無茶です。エイプル革命軍に取り入りたい気持ちはわかりますが、もし巡礼中のフロックス大司祭にこのことが知れたら」
捲し立てるシランの頬をデルフィは平手で弾いた。彼の手に持っていた誰とも知らぬ頭が床を転がる。
「いい加減にしな。これは全て、あんたの為なんだよ」
「何を仰って」
惚ける我が子の両頬に、デルフィは優しく手を添える。
「あたし達は不幸のどん底だった。でも、時代は変わったの。今こそ、あんたが上に立つ番だよ。こんな小さな町の領主で終わっていいもんですか」
彼女にとったら、オクトたちとの触れ合いは全て意味の無いことだったのだろうか。素朴な疑問が頭の中で揺れる。クラズたちが住んでいた屋敷に押しかけておいて不幸のどん底だなんて、よく言えたもんだ。しかし、デルフィの唇が頬に触れると何でも許してしまいそうになった。
「はい。母さん」
デルフィは魅惑的に笑うと、口論の聞こえる扉の前に近寄った。男二人の声が交互に言い争っている。
「お前の言ってることはさっきから二転三転してるぞ。どっちなんだ」
「ううう。俺だって五年ぶりに会ってワケわかねえんだよ。でも、匂いが明らかに違うんだ」
「匂いなんて日によって違うだろうが」
「そんなんじゃねえ。中身だ。中身が違うんだ」
「だったら、さっきなんであいつに挑発されて興奮なんかしたんだ! 気持ち悪い」
口論は終わりそうにない。それどころか、放置していたら血を見ることになりそうだったのでデルフィは扉を開けた。
そこに居たのは、広い部屋に蹲り休息をとる男たち。その手には町から簒奪した食料が握られていた。彼らは、街を襲った盗賊そのものだ。そして今は、彼らのリーダーであるウォルフとカトレアが喧嘩しあっている。
「いい加減にしとくれよ。外にまで聞こえちまったら、あんたらを匿っているのがバレる」
血気盛んな二人を止められずにいた男達は、ほっと肩を撫で下ろした。
「はあ。ウォルフ、このことは取り敢えず飯食ってからまた話そう」
「望むところだ」
待ちな、とデルフィが発すると空気が再び緊張の糸を張った。
「あんた、持ってきた頭は誰のだい」
カトレアの目が泳いだが、にっと笑って誤魔化す。
「あー、オクトだっけ。注文通りだろ」
「馬鹿言いなよ。うちの息子がすぐ見抜いた。あたしもすぐ分かったさ。ありゃ、道中転がってる死体かなんかの首だろ。誤魔化そうなんていい度胸してるね」
シランは母がオクトを殺すよう命じたのを今知り、ギョッとする。一方カトレアは頭をかく。
「悪かったよ。俺たちの信頼関係に余計な波風を立てたくなかったんだ。オクトの首は必ず持ってくる。それまであの首をノシメ同胞の首として晒しといてくれ。顔は誰かわからないように滅茶苦茶にしとくから」
デルフィはのらりくらりとした彼の態度が気に食わないのか、彼の眼前に迫る。
「本当にオクトの首を持ってくる気はあるのかい。そもそも、腹を空かしたあんたらに飯やら住まいやらを提供したのは、あたし達だろう。その分の誠意ってやつを見せな」
カトレアは疲労困憊の顔でうんうんと頷く。言い返そうにも、彼女の気迫に気力負けしそうだった。
「承知した」
辛うじて絞り出たその言葉を聞き、デルフィはシランを連れて部屋を出る。足音が遠くなるのを聞き届け、ウォルフはカトレアの脇を小突いた。
「なあ。オクトを頭に置くってのは、比喩でもなく言葉通りの意味なのか。あいつの頭をそのまま持ってくれば良かったのかよ?」
カトレアは深くため息をつき、彼の鼻を叩いた。
「馬鹿野郎。フリだよフリ。あの女はあの女で企みがあるんだろうが、俺達は俺達で作戦を進めればいい話だ」
「俺たちは待てばいいんだよな。巡礼中のフロックスの野郎がこの町を通った時まで」
カトレアの瞳が暗くなる。
「おいおい。黒判様に成りすました奴もここを通るんだぜ。そいつら諸共皆殺しだ。黒判様の弟君も草葉の陰で見守っていて下さるだろうよ。奴らの、無残な死を」
カトレアの言葉に、ウォルフが獣じみた歯を剥き出して笑う。カトレアも疲労が溜まり、彼の笑いにつられて喉を引き攣らせて声を滲ませた。この時をどれほど待ちわびたか、五年越しの報復が形となる瞬間を思い描くと、興奮で体が震えた。
部屋の扉の外では、彼らの話を盗み聞きしていたシランが急いで母の元に走る。
「どうしたのよ」
デルフィは焦る息子に尋ねると、恐怖で舌足らずな口を何とか動かした。
「あいつら、フロックス大司祭様を殺す気だ。やはり彼らは即刻エイプル革命軍に告発して、処分して貰いましょう」
この島国の、いずれ教会の大司祭になる偉大な男の命の危機に、シランはありったけの思いをぶつけた。デルフィは答える。
「だから」
シランは自分の伝え方が間違えたのかと思った。
「あの、大司祭様の命が危ないんですよ。お母様も、毎日礼拝堂でお祈りされるでしょう。その教会に携わる人を殺害しようとする不届き者がいるんですよ。今、ここに」
シラン、とデルフィは彼の肩を抱く。彼女にとったらお決まりの行為だった。子を言い聞かせる母の愛に満ちた、優しい声で。
「私たちはね、いま時代の流れを作っているエイプル革命軍に取り入り、もっと広くて快適な領地を頂ければそれでいいの。大司祭が死のうが、私たちが国のために戦ったとエイプル様に伝われば、それでいいじゃない」
シランは納得しない。彼は彼女ほど自分本位に生きられない。誰かの犠牲で快楽を得ることに、抵抗感のある貞淑な男だった。
「ですが、人が殺されるんですよ」
「私たちも命をかけてあの盗賊たちと戦うつもりよ。彼らはきっと別の目的があるだろうことは私も承知よ。利用してるつもりなんでしょう。放っておきなさい」
シランは当初、盗賊と手を組んでエイプル革命軍の前で彼らを守る茶番劇を繰り広げる。そして、褒美を貰う構図だと母から聞いた。しかし、今は状況が違う。彼らは盗賊ではなく、エイプル革命軍の殲滅を企む賊軍だ。今朝の乱痴気騒ぎでは済まされない。きっと、ノシメ港町には両者無数の血が流れる。その舞台として、この町が穢されるのだ。
「そこまでして、広い領地を望むのですか」
デルフィの目は澄んでいた。悩みで日々眠れぬ息子の充血した両眼に比べて、ずっと。
「私たちはね、特別な血縁を持っているのよ。エイプル革命軍が倒した前王の妻の、親戚っていう」
そんなの血の繋がりなんてひとつも無い。だがデルフィはその縁に縋る。
「目を覚まして下さい」
「とっくの昔に覚めてるわよ。母国が燃え、冷たい土地で貴方を孕み、命からがらノシメに辿り着いた時にはもうとっくに。貴方こそ、従兄弟を殺してでも王位を奪還する気概くらい見せなさいな」
シランは何を言っても仕方ないと、屋敷を飛び出して行った。暗い坂を下し、教会の礼拝堂に押し入る。そこには、礼拝堂の奥にある水湧き場を確認しているカリアがいた。
「どうしたの」
「聖水を、拝飲したいのですが」
この地に根付く礼拝の仕方だった。しかし、彼女は申し訳なさそうに首を振る。
「ごめんなさい。実は水が湧かなくて、今は拝飲を断っているの。役に立たなくて申し訳ないわ。だからいつまでたってもみんなに認められないのよね」
カリアはふと、シランが今にも泣きそうな顔に気づく。そして、シランは彼女の肩を掴んで引き寄せた。
「今だけは、俺をオクト兄さんだと思って」
心細さで震えるシランの体を、カリアはそっと触れて距離をとった。彼女の顔には嫌悪はなかったが、困った風に笑う。
「できないわ。シラン君、貯水ならあるから。温かいお茶持ってくるわね」
カリアが去り、シランは残された礼拝堂の床にへたり込んだ。彼女を困らせてしまった、何もうまくいかないと肩を落とす。自分の人生も母任せで、周りにも当たり散らしてばかりだった。
「海の神よ。私をどうか罰して下さい」
祈っても答えは返ってこない。消え入りたい彼の心に届いたのは、薬草を煮たてたハーブ茶の香りだけだった。
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