シークエル 3

3−1 犬飼伊織いぬかいいおり


「あの、ですね。実は前からも、ちょっとその……聞こえてはいたんです、けど」

 定時でみんなが帰ったあと、ボクは静かになったオフィスで元夢もとむさんに相談をしていた。

達希たつき君の心の声が、なんというか……動物に分類されちゃうみたいで、騒々しくてですね」

 言いながら苦笑いをするボクを、元夢さんは不思議そうな目で見る。

「最近仲いいもんな、お前たち」

「そ、それはそうなんですけど、そーじゃなくって」

 ああ、どう言えばいいだろう。そもそも動物の声が聞こえるのがボクの超能力「心命話シンミンファ」だった。あくまでも動物に限定されていたのに、まさかレプティリアンである達希君の声まで聞こえてしまうとは! この事実だけでもボクは動揺してしまうのに。

「はっきり言ってくれ。今日はジムに行く予定なんだ」

「あっ、そうですよね。でも、えーと、あのー……」

 言葉にするの、すごく嫌なんだよな。嫌というか、恥ずかしい。自分でも自意識過剰じゃないかと思うし。でもでも、やっぱり聞こえてきちゃうんだよなー!

 ボクは覚悟を決めてはっきりと告げた。

「彼、ボクのそばにいる時、ずっとボクのことを考えてるんです」

 ああああ、言ってしまった! 恥ずかしい! 恥ずかしすぎて顔が熱くなってきた!!

 元夢さんは冷静に聞き返した。

「つまり、好意を寄せられているのか?」

「うわあああん、やっぱりそうなっちゃいますー!?」

 信じたくなかったけど、元夢さんに言われたことで現実になってしまった。

 今にも泣き出しそうになるボクへ元夢さんはさらにたずねた。

「で、伊織いおりはどうしたらいいか分からないんだな?」

「うぅ、そうなんです」

 相手はレプティリアンと人間のハーフで、男性で、しかも年下だ。

「ボク、恋愛経験がないだけに、どうしたらいいのか本当に分からなくて。なんかもう、達希君と一緒にいるのが嫌になってきちゃったというか」

「ふむ、確かに知り合って間もない相手から好意を寄せられ、しかも心の声が聞こえるとなれば、対応に困るよな」

「はい。なので相談しました」

 元夢さんは窓の方へ視線を移しつつ言う。

「ちなみに、どんな声が聞こえるんだ?」

「え、えっと……ボクのこと、可愛いって」

「他には?」

「うーん……優しい、好き、守りたい、とかですかね」

 口にすると恥ずかしさがまたわいてくる。もう頭は沸騰しそうだ。

 元夢さんがふとボクへ真面目な目を向けた。

「ちなみに伊織は彼のことをどう思っているんだ?」

「えっ」

「好きか? 嫌いか?」

「うーん……普通に好意的に見てはいます、ね。かっこいいとも思うし」

「男が相手でも、キスやセックスができるか?」

「うーん……想像したことすらないので、ちょっと分かりません」

「じゃあ、想像してみろ」

「えっ」

 いきなり想像しろと言われても、すぐには考えられない。しかし元夢さんは真剣だ。真剣に相談に乗ってくれているからこそ、ボクへそう言うのだろう。

 深呼吸をいくつかしてから、両目を閉じて想像してみる。達希君とキスをする場面を……うっ、何でドキドキしてくるんだ。やばい、すごく恥ずかしいのに、ちょっと嬉しいと思う自分がいる。これ、もしかして嫌じゃないってことなのでは?

 目を開けたボクへ元夢さんが問う。

「どうだ?」

「えっと、嫌じゃないかもしれない、です」

「それなら何が問題だ?」

 ああ、そっか。嫌じゃないなら、彼から寄せられている好意も、素直に受け取ればいい。

 急に目の前が開けるような感覚がしたが、すぐに壁へぶつかった。

「やっぱり男同士っていうのが、家族とか他の人に受け入れられないかも、です」

「他人の目を気にするな」

「うぅ、そう言われても」

 弱気になるボクだったが、元夢さんは呆れたように息をついた。

「この際だから言うが、俺はバイだ。男に恋をしたことがある」

「えぇっ!?」

 突然の告白に驚く。

「だが、母さんは受け入れてくれた。それで幸せになれるなら、どんな相手を好きになったっていいと、背中を押してくれたぞ」

「いいお母さんなんですね」

「もし家族に拒絶されても、自分の気持ちに嘘はつけないだろう? 伊織が幸せになるためなら、レプティリアンと結ばれたっていい」

 胸の中にあったもやもやがすっと軽くなる。

「達希はいいやつなんだし、ちゃんと彼と話をした方がいいだろうな。結果的にうまくいかなくても、人生なんてそんなもんだ。後から見れば、きっといい経験になる」

 ぽんと肩をたたかれて、ボクは不覚にも泣きそうになってしまった。

「相談してくれてありがとな。また何かあったら言えよ。俺はいつだってお前の味方でいるから」

「っ……ありがとうございます!」

 泣くのをこらえようとして頭を下げたが、床にぽつりとしずくが落ちた。

 元夢さんが「頭上げろ」と、少し呆れたように言う。すぐにおずおずと頭を上げると、彼は鞄を肩にかけながら言った。

「頑張れよ、伊織。お疲れ」

 そしてさっさと出ていってしまい、ボクは少し嫌な想像をしてしまった。――もしかして元夢さん、早く帰りたかっただけじゃないよね? さっきの言葉、全部信じていいんだよね??

 別のもやもやに胸を支配されつつ、考えないようにしてボクも自分の鞄を手に取った。


3−2 物集女元夢もずめもとむ


 職場を出ると、雨がパラパラと降り出していた。折りたたみ傘をかばんに入れているから問題ないが、早足で駅前のジムへと向かう。

 それにしても伊織と達希があんなことになっているとは。仲がいいのは気づいていたが、そういう関係になるとは想像もしなかった。特に達希はまだ知り合って間もないため、そういう男だったのかと意外な思いだ。

 とは言え、彼らがそれで幸せなら俺はそっと見守るだけだ。世間が何と言おうとも、当人たちの気持ちが一番大事なのだから。


 今日はランニングから始めることにした。雨の日は外を走れないため、まずは最低限のトレーニングをこなしておきたい。

 ランニングマシンで走り始めて数分、隣のマシンを使う人間が現れた。横目に見やれば、せいだ。

「お前が走るなんてめずらしいな」

「今朝は寝坊したんだ」

「へぇ」

 静が寝坊とは実にめずらしい。頭の片隅でそんなことを思っていると、静がマシンに乗ってゆっくりと走り始めた。

「最近、よく眠れてなくて」

「何だ、悩みか?」

「ああ」

 うなずきつつも、静は本題をなかなか話さない。元々が無口な方だから、こちらから聞いてやらないとダメなのだ。

 内心で呆れつつ俺は問う。

「何で悩んでいるんだ?」

 静の走る速度が安定してきた。俺と同じ速度だ。こんなところまで似なくても……とは思うが、やはり魂が双子おなじだからしょうがないのだろう。

「俺は芽衣めいのことを守りたい、俺でないと守れないと思っている。これって、やはり恋なのか?」

 あまりに唐突な言葉に思わず気が抜けそうになった。かろうじて走り続けられたが、危うく転ぶところだった。

「お前、まだ答え出てなかったのかよ」

「分からないんだ。どれだけ考えても分からない」

 答える静の顔は真剣だ。こいつは他の人と少し頭の作りが違う。一言で言えば馬鹿だ。

「そう言われてもな」

 と、困惑を返しつつ、俺はどうやって背中を押そうか考える。年の暮れにも同じような話をしたのだが、まだ答えが出ていなかったなんて信じがたい。

 まっすぐに前を向いて走りながら俺は問う。

「彼女を大事に思ってるんだろう? お前の中で、それと性欲が結びつかないのは知ってる。でも、彼女がお前の子どもが欲しいって言ったらどうだ? 応えられるか?」

「……俺の精液を渡すなら、まあ」

「違う! そうじゃない!!」

 ダメだ、こいつの頭の中にセックスという単語は存在しないらしい。

 多少イラつきながらも、俺は自分の話をすることにした。普通とはどういうものか、教えてやらないとならないからだ。

「俺の場合、ラナに一目惚れした。達希がいなくても帯電しないでいられるようになって、この前はついに手をつないでデートができた。来月にはホテルに誘おうかとすら思ってる」

「……」

「普通はそうやってセックスして、子どもを作るんだ。お前には想像できないかもしれないがな」

「……俺は、でも、子どもが欲しいとは思わない」

 静の言葉に俺は深々とため息をつく。もっと別の方向から話をするべきか。

 再び思考を働かせてから口を開く。

「じゃあさ、聞くけどよ」

 静が横目にこちらを見た。

「前にラナが暴走した時、芽衣が死ぬんじゃないかってこと、あったよな」

「ああ」

「あの時のこと思い出してみろ。もし止めるのが間に合わなくて芽衣が死んだら、どう思う?」

 にわかに沈んだ空気をかもしだし、静は答える。

「あの時はとても怖かった。心臓が急に冷えたみたいな感じだった」

 それなんだよなぁ、と思いつつも俺はうながす。

「他には?」

「……嫌だ、と思った。彼女には危ないことをしてほしくない、俺が守りたい」

「それだよ、静。それくらい大事に思っているなら、もう恋だと言っていい。いや、もうすでに彼女を愛しているとさえ言えるな」

「愛している……?」

「彼女のいない生活は考えられないだろう?」

「……ああ、そうだな。姿が見えないのは寂しいし、落ちつかなくなる」

「そういうことだ」

 ほどよく汗をかいたところで、速度をゆるめてランニングを終える。

「いい加減、芽衣にちゃんと思いを伝えろ。きっと彼女も待ってるぞ」

 言い捨てるように告げてから、俺は背中を向けた。――魂は同じでも、肉体は別々の人間だ。それぞれに人生があるから、俺たちはそれぞれに幸せになるべきだ。

 ギルガメシュとしての記憶を思い出してから、何度も何度も考えた。魂は神々への憎悪ぞうおをつのらせ、許せないと言う。しかし、物集女元夢の人生はどうだ?

 結論として俺は、俺の人生をあきらめたくないと思った。ラナとの幸せを願うだけでなく、一人で俺を育ててくれた母さんに孫を見せてやりたいからだ。

 俺はもう幸せだと、愛する家族ができたからもう大丈夫だと安心させたかった。


3−3 全並静ぜんなみせい


 昼休みの開始を知らせる音がし、俺ははっとしてパソコンの画面から顔をあげる。

 向かいの席では朝陽あさひがやれやれといった風に息をついており、俺はどう声をかけようかと惑う。すると、朝陽と目が合った。

「何ですか、静さん」

「あ、ああ、いや、その……昼飯、一緒に食べに行かないか?」

 少し緊張しながらそう返せば、優しい朝陽は立ち上がる。

「いいですよ、行きましょう」

「ありがとう」

 ほっとして俺も席を立ち、鞄から財布とスマートフォンだけ取り出し、ポケットに入れた。


 彼と二人で昼食を食べるのは、実はもう二十七回目だ。一課をともに支えなければならなくなってから、親交を深めるために頑張っている。

 歩いて五分程度のところにある馴染みの定食屋へ入り、俺はカツカレーを、朝陽は焼肉定食を注文した。ここの店は他と比べて量が多い。普通なら大盛のところを並盛として出していて、値段も安くて美味かった。しかもご飯と味噌汁はおかわりできる。

「で、何か相談したいことがあるんでしょう?」

 と、朝陽が俺を見る。

「ああ」

 うなずいてから少し視線をそらす。どう切り出したらいいか、何も考えていなかった。

 朝陽は何も言わずにお冷をのんびりと飲む。ありがたいことに、彼は俺の性格をよく分かってくれていた。

「お前は凜風りんふぁと付き合っているんだろう? やっぱり、その……下心があるのか?」

 俺の問いかけに朝陽はすかさず言う。

「下心がない男なんています?」

「……」

「あっ、目の前にいたか」

 失敗したと言わんばかりの顔をして、額に片手を当てる。朝陽はどうやら呆れているらしい。

「あのですね、静さん。前にも話したと思うんですけど」

 途中で店員がトンカツが二枚乗ったカツカレーを運んできて、すぐに朝陽の焼肉定食もそろった。

 箸を取り「いただきます」と、それぞれに食事を始める。

「というか、こんな時間、しかも食事の最中に話すことじゃないですね。まったく」

「そうか。すまない」

「まあ、静さんが変わった人なのは重々承知ですし? どうせまた、芽衣ちゃんのことなんでしょう?」

 ため息まじりに朝陽が言い、俺は黙ってうなずく。

「はっきり言って、僕にはあなたの気持ちが分かりません。でも、芽衣ちゃんのことを大切に想うなら、それはもう恋なんですよ」

「だが、キスしたいとは思わない」

「静さん、思春期の頃何してたんですか?」

 たずねられたから考える。

「施設のベランダを好きにしていいと言われたから、お小遣いでプランターや種を買い、いろいろな花を育てていた」

「普通はエロいことに興味を持つものです。エロ漫画や動画を見て、友達同士で情報を共有するんですよ」

「パソコンはなかったし、スマホも禁止だった」

「うーん」

 ただでさえ俺は施設育ちだ。朝陽や元夢の言う普通とは違っていた。

「でもオナニーはしたでしょう?」

「六人一緒の部屋だったから、あまりそういうことは」

「でも一人くらい、こっそりやってる子がいたでしょう?」

「……こっそり?」

「まあ、布団の中でがさごそって感じですかね」

 言われてはっとした。

「いた。毎晩がさごそしてるやつ、いた」

「静さん、もしかして今の今まで気づかなかったんですか?」

「……すまん」

 恥ずかしながら、この年になって今さら気がついた。そうか、あれはオナニーをしていたのか。

「待ってください。静さん、オナニーしたことはあるんですよね?」

「ああ。帝人ていと先輩から言われて、週に一度はやってる」

「人から言われてやるのはちょっと……やっぱり性欲がないみたいですねぇ」

「うーん」

 そもそも性欲とは何だ。いや、性器を触ると気持ちいいのは分かるのだが。

「もしかすると、もっとアダルトコンテンツに触れた方がいいかもしれませんね。そのうちにムラムラしてきて、自発的にオナニーできるようになるかも」

「なるほど」

「そうしたら、好きな女性の裸に触りたいとか、セックスしたいとか考えるようになりますよ。きっと」

 そうだといいな。試してみる価値はあるか。

「分かった。そうしてみよう」

「それじゃあ、安全に見られる動画サイトのリンク、あとでスマホに送ります。有料にはなりますが、無料のお試し期間があるので大丈夫です。慣れてきたら、自分で気に入ったサイトを探してください」

「分かった」

 しかし、俺はそもそも機械が苦手だ。パソコン操作は今でも時間がかかるし、スマホもあまり使いこなせていない。

 そんな俺の気持ちを察してか、朝陽が言った。

「ああ、動画のリンクもいくつか送ります。あと、詐欺に引っかからないよう、丁寧に解説もしますよ」

「詐欺?」

「無料で見られると思って開いたら、金を払えという内容のポップアップが出てくるんですよ。それが法外な値段だったりするのと、ウイルスに感染したとかいう内容のもまだありますね。いずれにしても、よくよく気をつけてもらわなきゃいけないんです」

「ふぅん、そうなのか」

 いまいちよく分からないが、朝陽の言うことに従っておけばいいだろう。朝陽は信頼できるやつだからな。

「ありがとう、朝陽」

「いえいえ。まったく、どっちが上だか分かりませんね。もうとっくに慣れましたけど」

 言いながらもどこか楽しげな朝陽に、俺は少しだけ笑みを返した。

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