第3話 王妃の逃避行会議


 夫の執務室を出たマーガレット王妃は、清々しい表情で廊下を歩いていた。


 とはいえ。ひとまず休暇の許可は得られたものの、まだ油断はできない。

 何しろ、今回の目的はただの里帰りではない。実家に帰るふりをしながら、こっそりと別の地へ観光しに行くことが本当の狙いなのだから。



「……エメルダ、貴女のおかげで上手くいったわよ」

「良かったですね、マーガレット様!」


 マーガレット王妃は、隣を歩くメイド姿の少女に声をかけた。するとエメルダは満面の笑みで応じる。



「でもあの人のことだから、こっそり監視を付けてくるに違いないわ。どうやって彼らを撒くか、今から考えなくっちゃ!」

「ふふふ。それならば私にお任せください」

「頼りにしてるわよ、エメルダ。ふふっ……陛下もわたくしが行方不明になれば、きっと自分が犯したあやまちを自覚してくれるはずだわ」


 そう言って、エメルダと頷き合う。彼女は自分を裏切った者たちとは違い、自分の心に寄り添ってくれている。


 マーガレット王妃は改めて実感した。やはりエメルダこそ、心の底から信頼できる人物であると。



 部屋に戻ったマーガレットはさっそく、エメルダと共に今後の計画を立てはじめた。


 まずは自身が不在の間を任せられる代理を立て、業務が滞らないように手配する。それから必要な荷物をまとめ、王都から離れる準備を整えていった。



 そして出発の日。


「さぁ、行くわよエメルダ」

「はい!」


 まだ夜が明けきる前に、マーガレット王妃はあらかじめ王城の裏口に停めておいた馬車へと乗り込んだ。するとすぐに御者席に座ったエメルダが手綱を振るって、馬を走らせる。


 侍女や護衛にも気付かれていない。作戦は大成功だ。



「あははっ。まさか王妃が使用人に扮して城を出るとは、誰も思わないでしょうね!」

「マーガレット様。嬉しいのは分かりますが、まだ夜明け前は冷えますので、窓はお閉めください」

「心配しなくて大丈夫よ。むしろ身体は熱いぐらいだもの」


 平民が着るような質素な服を身にまとったマーガレットは窓の外を眺めながら、上機嫌な声を上げた。


 冬の朝はかなりの寒さだが、暖かい王城暮らしだった彼女にとってはそれすらも新鮮に感じる。むしろこれから始まるであろう冒険への期待感を膨らませてくれた。



(エメルダには本当に感謝ね)


 世間知らずな自分だけでは、ここまで上手くいかなかっただろう。

 本人から聞いたところによると、エメルダは馬術だけでなく武芸にも秀でているらしく、今回の旅における護衛としても十分に働いてくれるであろう。



「ありがとう、エメルダ。わたくしのために、いろいろと手を尽くしてくれて。わたくしはあなたのことを誰より信頼しています。だから、これからもよろしくね」

「はい! 必ずやマーガレット様のお役に立てるよう、誠心誠意頑張ります!」


 マーガレットは忠実で優秀な部下の存在に感謝しながら、これから向かう目的地について思いを馳せた。



(とりあえずの目標は、ボルケ領にある地方都市ね。道中の町にも滞在して、観光を楽しみましょう。あぁ、なんて素晴らしいのかしら! この国を自由に旅をするなんて、生まれて初めてだわ!)


 マーガレットは今回の最終目的地について事前に調べていた。


 ボルケ領は火山に囲まれた山岳地帯で、隣国との国境近くに位置する田舎町だ。


 見どころとして温泉があるらしく、穏やかな空気が流れる住みやすい街だと評判らしい。彼女はそこにしばらく滞在してみるつもりだった。



「……ねぇ、エメルダ」

「はい、なんでしょうか?」

「もし、もしもの話なんだけど……陛下が浮気をやめられなかったらどうしましょう?」


 唐突に不安に駆られたマーガレットに対し、エメルダはうーんと首を捻りながら答えた。



「その時はどこか違う国に逃げちゃいましょう! 私、どこまでもお供しますので!」


 マーガレットは不安げに訊いてみたのだが、エメルダは明るくおどけたように笑う。


 その声を聞いて、彼女の気持ちは軽くなった。

 そうだ、こんなところで弱気になってはいけない。せっかくこれから楽しい旅が始まるんだもの。



「今のわたくしたち、なんだか駆け落ちする恋人のようね」

「いいですね! さながら私は、姫をさらう悪い騎士ってところですね」

「ふふふふっ、なによそれ」


 馬鹿らしいやり取りがなんだかおかしくて、思わず吹き出す。するとエメルダも釣られたように笑い出した。


 二人はしばらく声を上げて笑っていたが、やがてそれも静かになった。


 興奮して夜も寝れなかったマーガレットは、馬車の中でスヤスヤと寝息をたて始めていた。



 こうして、王妃と侍女による二人だけの逃避行が始まったのだった。


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