第2話 王妃の休暇申請


「陛下、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」

「いったいどうしたのだ、マーガレット。見ての通り、私は今忙しいのだが……」


 書類の山に囲まれたアルフォンスは戸惑いながらも文官たちを退室させ、彼女のために席を空けた。


 ちなみに公務終了の時間はとっくに過ぎている。窓から差し込む夕陽に照らされた彼の顔には、疲労の色がありありと出ていた。



「話はすぐに済みますわ」


 一見すれば勤勉とも思える夫の元に、マーガレットは遠慮なく歩み寄った。


 彼女はいつも通り淑やかな笑みを浮かべているが、その瞳は鋭く光っている。そんな妻の様子を見て、アルフォンスは何事かと不安そうに眉を寄せた。



「一体何があったというのだ?」

「実は陛下にお願いがあるんです」


 その言葉を聞いた瞬間、アルフォンスはピシリと固まってしまった。


 妻からただならぬ気配が放たれている。思わず手に持っていたペンを置き、目の前にいる妻を見つめた。



 一方のマーガレット王妃はその美しい微笑みを崩すことはなく、ただただ夫の返答を待っていた。


 二人だけの空間に、しばしの沈黙が流れる。

 やがてアルフォンスは大きく息を吐くと、苦々しい表情を浮かべながら口を開いた。



「……願い、か? 構わんが、その内容次第だ。お前の頼みといえど、できないこともあるからな」

「ありがとうございます。実はわたくし、陛下に有休を申請しようかと思いまして」

「……は? 王妃が有休だと??」


 突然の申し出に、思わず王の口から間抜けな声が出てしまった。と同時に、アルフォンスの顔に疑問符が浮かぶ。


 部下たちを始めとした勤め人には有休制度を採用しているが、王妃が休みを取るなど前代未聞だ。それに妻の口から「休みが欲しい」だなんて、初めて聞いた。



「もしや体調でも崩したのか? ならば医者をすぐに呼ぶが……」


 今年の冬は寒波が強く、このところ寒い日が続いていた。王都は比較的温暖な地域だが、ここ最近は燃料が不足しているせいで寒さを覚えることが多かった。


 アルフォンスは心配そうな面持ちで、マーガレット王妃の顔を覗き込んだ。だが彼女は夫の問いかけに対し、首を左右に振ることで否定する。



「違います。わたくしが申し上げたのは、しばらく王城から離れたいということです」

「こんな真冬に城を出てどうするのだ? 実家にでも帰るのか?」


 アルフォンスの言葉に、今度はマーガレット王妃がコクリと首肯して見せた。


 しかしそれでも王は理解できないといった様子で、眉間にシワを寄せる。そもそも、マーガレット王妃がわざわざ休みを取ってまで実家に帰りたい理由がわからない。



「……目的を教えてくれ。まさか家族が亡くなったのか?」

「違います。家の者は健康そのものですよ。せいぜい、肩や腰が慢性的に痛むぐらいです」

「それは私もなのだが……では何故、そのようなことを」

「あら、それは簡単なことです。わたくしが陛下の愛を感じられなくなったからですわ」


 マーガレット王妃がサラリと言ってのけた瞬間、室内の温度が急激に下がった。


 その変化を感じ取ったのか、窓の外を眺めていたエメルダがビクッと震える。



「なっ!? あ、あい……だと?」

「えぇ。わたくしの勘違いでしたら申し訳ございません。ですがここ最近、陛下はわたくしのことを随分とないがしろになさっていますよね?」

「そ、そんなことはないぞ!」


 慌ててアルフォンスが反論するが、マーガレット王妃は冷たい眼差しで彼を見据える。



「いいえ、間違いなくそうでしょう。今月、共に過ごした時間がどれだけか分かりますか? たったの数時間ですよ? 先日の舞踏会の夜だって、結局最後まで一緒に過ごせませんでしたもの」

「あれは急な公務が入ったからで! それにここ最近は多忙なのだ!!」

「へぇ、そうなの。その割には、他の女性とは頻繁にお会いになっているようですけれど?」

「……なっ、なんのことだ?」


 一瞬、アルフォンスの瞳に動揺の色が浮かんだ。だが彼はすぐさま平静を装うと、不機嫌そうな顔つきで妻を睨みつける。



(ふふふ。エメルダが言ったとおりね。こちらが主導権を握れば、舌戦が得意な陛下も形無かたなしだわ)


 マーガレットはエメルダとアイコンタクトを交わすと、小さく笑みを浮かべた。


 この部屋に来るまでに、エメルダはマーガレットにとある助言をしていた。具体的な証拠もなく詰め寄ったところで、陛下は簡単に言い逃れしてしまうだろう、と。


 押して駄目なら、あえて引いてみる作戦である。



「ともかく、わたくしは少々疲れてしまいました。いくら王妃の務めとはいえ、あまりにもわたくしを酷使し過ぎではありませんか?」


 マーガレット王妃の訴えに、アルフォンスは大きく目を見開いた。


 彼の脳内に、これまでの自分の行動が走馬灯のように流れていく。


 毎日大量の書類仕事を課し、自由な時間はほぼ皆無。たまに休みが取れたかと思いきや、視察と称してあちこち連れまわしていた。確かに言われてみると、これで不満が出ないという方がおかしいかもしれない。


 アルフォンスは思わず口元を手で覆った。思い当たる節があり過ぎたのだ。しかしここで折れたら王の威厳に関わるとでも思ったのか、なんとか弁明を試みる。


 だがそれを言葉にする前に、マーガレット王妃が口を開いた。



「もちろん、この国のために必要なこととは分かっておりますよ。ですがわたくしも若くありません。このままではいずれ、身体を壊してしまいます」

「うっ……」

「わたくしがこの世からいなくなっても良い。そうおっしゃりたいのなら、話は別ですけれどね?」


 彼女のキッパリとした物言いに、アルフォンスの心にグサッと何かが突き刺さる。


 王が今最も恐れていること――それは妻に愛想を尽かされ、離縁されることだった。

 もしそんなことになったら、自分はどうなってしまうのだろうか? 想像するだけで恐ろしい。


 一方の王妃は、夫からの視線が弱まったことを確認すると、今がチャンスと畳みかけた。



「安心してくださいませ。あくまでも一時的な休養です。わたくしが戻る頃には陛下もきっと、わたくしへの愛を取り戻されていると信じていますから」

「……本当に帰ってくるのだな?」

「えぇ、もちろん」

「ならば許す。……お前の有休を認めよう」

「ありがとうございます」



 王は尋問のような時間がようやく終わり、ホッと溜め息を吐いた。


 見事アルフォンスから休みをもぎ取ったマーガレット王妃は席を立ち、優雅なお辞儀をしてみせる。


 その裏で彼女は、その美しい顔をニヤリと歪めていた。



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