コードオブビューティー

結城綾

Code of Beauty

 机上きじょうには無数の落書きが描かれている。

絵文字や人物名、吹き出しによる会話劇まで、それは単なる退屈な授業の暇つぶしだろう。

それらを消しゴムで一掃していく。

ゴシゴシと力強く表面ごと削っていくが、一つ僕宛のメッセージ……暗号が残されていた。

これは僕と彼女にしか伝わらない魔法の言葉。

『風姿花伝』、これが今日の内職戦争と放課後のキーワードだ。









 所で内職には三大勢力が蔓延はびこっているのはご存知だろうか。

傍観勢、内職勢、妨害勢の三つの勢力である。

まず最初に傍観勢。

奴らは基本的に教卓と場を支配する教師の説明を受動的に傍聴する。

主に座席前列に生息しており、くじ引きという日頃の行いに敗北した弱者だ。

なりたくてなっている人は少数なので、本当に授業を理解しているかは怪しい所。

続いて内職勢。

最も多く生息している教師からしたら唯の害悪。

座席後列に居住していて、小テスト勉強や課題に勤しむ。

受験期になると急速に増加し、さながらウイルスと言っても差し支えないだろう。

最後に先程紹介した勢力をひたすらに邪魔する漫才師、それが妨害勢。

多種多様な手段を用いて周囲を惑わし混沌に陥れる。

時には教師でさえも味方につけるまさにトリッキー。

予測不可能な内職戦争、生き残るのは……誰なのか。

集合場所は単位制の数少ないクラス授業である現代文でホームルーム教室。

始業のベルと共に、内職戦争が今日も始まる。






 現代文の先生笹尾文雄──通称チョコミントが教室のドアを開けて学級委員である僕に号令を促す。

チョコミントと名付けられた理由はただ一つ、好きなアイスを他の先生同士で団欒している所を割り込んでその名を叫んだからでしかない。


「起立、気をつけ、礼」

感情の篭らない死んだ目で号令をする。

早く授業終われと己に暗示をかけながら声を出した。


「お願いします!」

この瞬間だけは生徒全員授業を受ける気で溢れている。

闊達かったつで気迫のある校訓の模倣をするが……席についた途端から既に探り合いは始まっている。

まず行動に出たのはやはり傍観勢。

黒板に白いチョークで描かれる盤面を、一言一句欠かさずに記していく。

教師にとってはありがたい人物であろうが、思春期で青春を駆け抜ける僕達には独りよがりにしか見えない。

一方内職勢にとっては、教師の視線や表情から眉間の皺までを凝視し分析を繰り返しをするまでが基本だ。

これを怠る者は即座に監視役であるチョコミントの視界に収まり放課後説教コースだ。

このコースを経験した弱者曰く、


「シテ……コロシテ……」

とのことだ。


ちなみに僕の座席は教卓の目の前にある席なので、内職をせず付箋にペンを綴らせている。

人の事を口走っておいてはなんだが、僕は臆病な人間で人畜無害なのだ。

わざわざ担任に頼んでその場所に固定してもらう程度には真面目だ。

空っぽで何も無いから阿呆とも言う。

つらつらと書かれた記号と文字のある付箋を教卓の下側に貼り付けて、少し席を後ろに下げる。

戦争はまだ、始まったばかりだ。




 授業が開始して数分が経過した。

前方にある時計の針を眺める度に気が遠くなりそうだ。

退屈しのぎに背後をそっと横目で見通すと、どうやら一部の塊がざわつき始めた。

茶色が地毛のショート髪の人物、妨害勢のリーダー加藤茶々だ。

彼と僕は正反対の性格をしている。

僕が影を支えあまり人と馴染めない月だとすれば、彼は陽気で誰とでも接する太陽そのものなのだ。

故に考査成績もトップクラスで、学年中で人気のある頼りがいのある人物。

しかし一方で授業をあまり真面目に聞いておらず、先生方の評価はよろしくない。

そんな優等生と問題児を両立する彼は何を企んでいるのだろうか、クラス全体の空気が変わろうとしていた。


「そこ、プリントの穴埋め終わったのか」

チョコミントは壁側にいる二人組の女子に目を光らせる。


「すいませ〜んっ」

誤魔化しの効いた台詞を口にする人物、内職勢リーダーの細川かえでだ。

おちゃらけた雰囲気を醸し出し、色気のある女性の特徴をばっちり捉えている。

加藤とはとある一件で犬猿の仲となり、一見すると思考を停止させているようにしか見えないが、目下もっか彼に死線を向けている。



「喋る余裕あるなら終わらせろよ〜」

内職勢の中にも、親しい友人とおしゃべりをしている人もいる。

こういった先生との親密度が比較的高い人物はどの勢力も警戒している。

しかしこの僅かな隙でさえも怠慢な生徒達は見逃さない。


隣の席の子が落とした文房具を拾っていると、早速彼が行動に出た。


「ドーン、カシャカシャ、キラキラキラキラ」

側から見たら関わってはいけないモンスターなのだが、この効果音の再現に数人の生徒が笑みを浮かべる。

そう、今行われている謎の遊びは物真似だ。

彼はピクトグラムのようなポーズを隅々まで

完璧に仕上げてきていた。

各教科の先生の特徴的部分を再現していく。

ちなみにさっきのは世界史と現代社会を担当している人の真似である。

パワーポイントでの授業の効果音が耳が破れる程の音量なので、二つ隣の教室からでも充分傍聴可能だ。


「たわけが!」

続いては日本史担当の教師。

もうフィクションでしか聞いたことがないいにしえの言葉……所謂死語を口にする稀少人物だ。

よく放課後の下校通路で挨拶をしているが、あまりの出現速度の速さに複数人いる説も出ている。

これもまたクラスの心を鷲掴みにして、笑いを誘ってきた。

笑いに耐えきれずに注意される人まで現れ始めた。






 ここまでは順調に事を運んでいる彼。

監視役にもバレておらず、漫才師として完璧な役割を果たしている。

僕がまた付箋を前に貼り机の中を弄っていると、彼が勝負を仕掛けてきた。

席を立ち椅子を中にしまいクラスの視線がそこに集中する。

チョークの音だけが体内時計と一致する。

コン、コンコンコン。

蝉の鳴き声と黒板に記された白の刻印のみが、この場で許されている環境音。

その禁句を、彼はことごとく破ろうとしていた。


「……」

しんとした空気が周囲を安息と緊張の空間とする。

今か今かと待ち侘びている連中もいた。


「──ま」


「先生、お花摘みに行ってもいいですか」

──この刹那、このタイミング、この漫才として完璧なタイミングを一秒狂わず楓は空を切るかのように意趣返しをした!

妨害勢はどよめき慌てて騒ぐ、この予想外の事象で計画が台無しになったのだ、無理もない。

それを知らない残りの二勢力は大爆笑に包まれて、張り詰めた空気が一気に解かれていった。


「ああ、行ってこい……おい加藤何をしている」

チョコミントは瞬時に状況把握を済ませ、指導対象ターゲットを自動追尾する。

某逃走中で例えれば、ハンターに捕まったと言うべき場面であった。

彼の視野に入り逆鱗に触れてしまった哀れな弱者には罰が与えられる。


「加藤、放課後職員室まで来なさい」


「……チョコミント!」


「やかましい!」

この一連の流れを見て僕は笑い転げそうになっていた。

接着した付箋を手で粉々にして彼の顔と目が合うと、漫才師としてのプライドを粉々に砕かれたのかしかめっ面をしてこっちを睨む。

僕はそっと知らんぷりをして別教科のプリントを高速で埋めていた。

無事に明日の課題を終えた僕は終業のベルを心地良く待っていた。

本日の戦争は、内職勢の圧倒的勝利だ。







 黄昏と月夜を待つ放課後。

空中庭園に赴いていると、楓がベンチに座っていた。


「よっ、今日のMVP」


「それはどっちなんだか、

彼女が皮肉じみた言葉で物言いながら、紅茶花伝を一本こちらにくれた。


「で、

全てを見透かしたかのように目配りをしてきながら、炭酸水を勢いよく飲み干していた。


「ん〜なんのことかな」

一応しらばっくれてはみるが、恐らく無駄に終わるのは薄々感じていた。


「誤魔化すな、加藤に指示を出していたのも僕に指示を出していたのも全部ひそか君じゃないか」


「なんだ分かっていたのか」

付箋をぺたぺた貼っていたのは彼の視界に入るようにする為。

暗号は単純で、先生の苗字とその特徴に一致する記号を加筆しただけ。

それらを妨害勢に伝達する手段はそれまた普通である。

隣の席の子に物を落とさせ、その拾う隙に付箋を貼り付ける。

これぐらいは楽勝で造作もないことだ。

まあ言ってしまえば傍観勢と妨害勢を惑わす……道化師。


「それ二重スパイってことよね、今度から信用失うよ……全く」

そう警告してきながらも楓の表情を観察すると、ちょっぴり嬉しそうであった。


「僕との連絡はスマホだったけど、よくバレなかったね」


「意外とバレないもんだぞ?」

机の中に秘密兵器として潜ませておいたスマホをポケットの内から出す。

あの手段は後列だと不自然なのですぐバレてしまう、でも前列……しかもとなると視野の範囲外となり成功する確率がぐんと上昇するのだ。


「そっか、頭いいんだね」


「ずる賢いだけとも言う」

僕達はまた追想しては笑いに浸っていた。







「で、重ねて一度。なんで協力してくれたの?」

協力する理由はどこにもなかった。

彼と僕は友人だし、そもそも最初は軍師として二勢力を掻き回す役割であった。

それを拒否してはいなかったし、愉悦を感じている部分も心の奥底に内在していた。


「楓、前加藤に男なのにって茶化されてただろ」


「……え?それ知ってたの?」

楓は幼少期から生物学的には男であったが、内心では少し違和感を持っていたらしかった。

女性でありたいと自認したのが高校生になってから。

それまでは男性と同一の服装や行動をしていたが、両親のバックアップもあり無事に転換に成功したのだった。

その秘密を知れば、事情も知らず風刺訛伝を説いた彼に対しお灸を据えたくもなる。



「それに、楓が好……」


「え?ごめん聞こえなかったもっかい」


「……何でもない」


秘すれば花なりコードオブビューティー


饒舌にひけらかし魅力を失うピエロより、心の内に秘める花こそ絢爛けんらん

そんな楓に惚れてしまった告白も、いつかの大舞台までそっと秘密にしておこう。




















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