ミートパイ
私は人間と少しだけ獣の特徴を待っている。具体的には猫のような耳と尻尾が生えているのだ。
「それでは行ってきます」
トンガリ帽子を深く被り、特別な魔法の糸で編まれたローブを着る。そして、桃髪の少女に挨拶をする。これから街にある魔法学校に行くのだ。
「はい、いってらっしゃいませ」
「あ、今日は夕ご飯を作らなくて大丈夫です」
「そんなに遅くなる予定でした?」
「いや、リリーの好きなミートパイを買って来ようかと思いまして」
「わー!それは良いですね。楽しみに待っています」
「エマによろしくと伝えてください」
そう言い残すと私は家から出る。家を留守の間、隣に住んでいる友人に彼女の事を預けているのだ。もうリリーも一人で留守番が出来ない歳ではないのだが、何か事件に巻き込まれたらと思うと心配で仕方がないのだ。
家は少しばかり街から離れた場所にあるため歩いて行くとそれなりに時間が掛かってしまう。なので魔法を使って街まで降りて行く。
私は魔力を足に集中させて言葉を発する
「ヴェロ」
すると足元に青白い光が集まり、やがて何事も無かったかのように散らばって見えなくなる。一歩目を踏み出すとずいぶん先にあった木の根元まで一瞬で移動することができた。
唱えた魔法は速度を操るもので、一時的に歩く速度を加速させたのだ。動く歩道をスイスイと高速で歩いているような感覚がする。これなら大分時間を短縮して街まで行くことが出来る。
街の入り口へと続く橋まで来たところで魔法を解除する。門の前では人が立っていて検問が敷かれている。このあたりで何か大きな事件でもあったのだろうか。怪しまれると困るので私は歩いて門まで向かう。
「そこのネコミミ野郎止まるんだ」
門番に引き止められた。帽子を被っているので私にミミが生えている事は分からないはずなのに彼は言い当てたのだ。
「何か用ですか?」
私は帽子を取ってお辞儀をする。真っ赤な髪の毛に目が止まる。胸に付けたエンブレムからこの街の兵士であるのは間違いないようだ。
「何で分かったんだって顔をしているな。教えてやるよ。俺は生まれつき目がいいんだ。だから、お前の頭の上がモゾモゾと動くのを見逃さなかったんだ」
キラリと光る目を差しながら得意げに口を開ける。目には魔力が集まっているように感じる。視力を強化する魔法が使えるのか、魔眼の類なのか、あるいは本当に生まれつきのものなのか。その真贋は私にはつけられない。
「それは良い目をお持ちのようですね」
取り敢えず目の細工には触れないようにして、温和に話を進める。
「そんな事で誤魔化したつもりか?ここは半端モンが来る場所じゃないんだ。尻尾巻いて出直しな」
半端というのは恐らく私の事であろう。完全な人間でも無く、完全な獣でも無い私の事だ。今、安い挑発に乗ってしまうと私を連行する為の良い理由が出来てしまうので我慢する。
「そう言われましても魔法学校でこれから授業をしなくてはいけませんので」
「授業だ?おい。通行証は持っているのか?」
「通行証?」
聞き覚えのない言葉だった。三日前に訪れた時には必要なかったのだ。その存在すら私は知らない。
「申し訳ありません。持っていないのですが怪しいものではありません。そうだ、リンドさんに確認して頂ければ分かると思います」
「今、リンド隊長を呼べって言ったが?」
「はい。エリンが来たとお伝え願えないでしょうか」
「ますます怪しいぞお前」
全く取り合って貰えなかった。それどころか腰に差した剣に手を掛けている。私は両手を上げて敵意がない事を示す。
抵抗虚しく、騒ぎに気が付いた兵士達がいつの間にか私を取り囲んでいた。
「争う気はありませんから、どうかリンドさんを呼んではくれないでしょうか」
兵士達がジリジリと槍先を私に向けて近づいて来る。いつでもあの門番の指示が有れば私を蜂の巣に出来るようだ。こんな状況で一つも怯えもせずに口を開く私が気に食わないようで門番の男が苛立ちを全開にしている。
私は観念して膝を折るように崩れて座り込む。祈るように両手を合わせて顔の前に出す。
「どうか私を信じて通してはくれないですか」
恥を忍んで、最大限の敬意と慈悲を込めた。
「信じるだと?お前の様な獣を信じれるわけないだろ!!!」
彼が怒りを露わにして手を上げた。その瞬間私の首元に無数の槍が差し出される。少しでも動けば刺さる距離だ。唾を飲むのさえ躊躇ってしまう。
もうここまでかと思った時怒号が鳴り響いた。
「お前ら!御客人に対してなんの無礼を働いているのだ!恥を知れ!!!」
私が知っている声がした。その声を聞くなり首元の槍は下げられた。
「リ、リ、リンド隊長!」
門番の男は声の主に向かって敬礼をする。そんな彼に一目もくれずに私の元へ駆け寄って来る。
「申し訳ない」
短く謝罪をすると膝を折り地面に頭を擦り付けた。その様子を見て周りの兵士は全員腰を抜かしている。
「いえ、顔を上げてくださいリンド」
私は四つ足で彼に近づき肩に手を置いた。それでも彼は頭を上げなかった。
「どうやって非礼を詫びればいいものか」
「貴方は悪くありませんよ」
「部下の責任は俺の責任でもある。どんな処遇でも受けるつもりだ」
「これは困りました。貴方に罰を与えるなんて。そんな事できませんよ」
困り果てていると彼は顔を伏せたまま膝立ちで近寄り私の背中に腕を回した。
「ここからは友としての言葉だ。辛い思いをさせて済まなかった。俺は全て投げ出してこいつらに......」
「そんな事をしても私は喜びませんよ」
私も彼の背中に腕を回す。
「本当にすまなかった」
彼は私から離れ立ち上がる。それから私が立つのを助けてくれる。
「エリン先生!」
門の内側から走って来る人影が見える
「ロイさん!」
私は彼の名前を呼びながら手を振る。
どうやら彼がリンドに助けを求めてくれたらしい。
「よくリンドさんを呼びに行ってくれましたね。お手柄ですよ」
「えへへ。先生が遅いから何かあったんじゃないかって見に行ったら騒ぎになってたからね」
生徒の優しさに救われた瞬間であった。
「なるほど、今日は学校だったか。こいつらにはきっちり償わせるから後の事は任せてほしい」
「頼りになります。よろしくお願いします」
私はロイと一緒に学校に走って向かう。情け無い話だが彼の方が移動系の魔法は得意なので実際には彼に抱えられる形で街を駆け抜けるのであった。ここまで門前で騒ぎを起こしてしまっては自分より背の高い生徒にお姫様抱っこをされる事などもはや恥ずかしい事ではない。それよりもこれから遅刻について咎められると思うと憂鬱である。
「やっぱり、恥ずかしいですよ!今すぐ、今すぐに降ろしてください」
私は彼に向かって懇願する。
「何ですか?今更ですよ。危ないから動かないでくださいよ」
彼はそう言うと立ち止まり、私の事を地面に降ろす。
「大幅に時間を短縮することが出来たので感謝はしていますが、私だって一応教師ですし生徒に抱えられるのは抵抗があります」
「分かりました。ではここからは歩きで行きましょう」
「貴方だけでも一足早く帰るべきではありませんか」
「僕だけ早く着いても授業は始まらないじゃないですかー。それに一人で帰ったら怒られるのは僕ですよ」
自分の不甲斐無さで彼が被害を被るのはあってはならないことである。彼の焦る様子からして許可も取らずに一目散に飛び出て来たのだろう。考えるよりも先に動く事を優先するのは彼の悪癖である。ただその癖のお陰で私は助かったばかりなので今は言葉を飲み込む。私は彼の提案を受け入れて一緒に学校へ向かう事にした。勿論彼の抜け出しに対する弁明も行うつもりだ。
街のどの建物よりも怪しげな外観である。石造りの洋館を思わせる大きなお城である。中に入るとフヨフヨと灯りが漂っている。
「では先に教室に戻っていてください。私は私室に授業の用意を取りに行くので」
「はい。ですが遅刻の理由は別に考えた方がいいのでは?門前で騒ぎを起こして遅刻しただなんて知れたら何と言われるか。ただでさえ先生に......」
「おやおやそれ以上は口に出す事ではありませんよ。心配してくれるのは嬉しいですが、隠した所でいずれバレる事ですし」
私はロイの言葉を途中で遮るようにして心配は無用だと伝える。ただ私とて自分から街に入ることが出来ずに遅刻したと言うほど神経が太い方ではない。
彼が教室の方へ向かうのを確認すると、私は急いで教師用の私室へ向かう。そして直ぐ様教室に行く。その道の途中で声がかけられた。
「これはこれはエリンジューム先生」
背中を撫でられるような声に思わず体には緊張が走り背筋が伸びて動けなくなる。
「おはよう、ございます。アル先生」
振り返ろうとしても指一本と動かすことが出来ない。完全に何らかに拘束されている。段々と息が詰まり始める。辛うじて体の中の魔力を感じることが出来ている。即座に心の中で浄化の魔法を唱える。すると、体の表面に青白い光が集まり発散され、次の瞬間には体の自由は戻っていた。目の前には病弱そうな顔つきで長い白髪、真っ黒のローブ姿の男性が立っていた。
「何か御用でしょうか?私用ですが遅刻をしてしまったので一刻も早く教室へ向かいたいのですが」
「私の縛りをあの速さで解くとは噂の通りの防衛術の腕であるようだ」
「私にした事は水に流します。では失礼いたします」
会話が通じないようなので私は早々に話を切り上げてこの場から去ろうとした。
「待たまえ、半端人よ」
挑発すれば私が止まるとでも思ったのだろうか。そもそも不意打ちで拘束しようとする輩と話す事は一つだってない。彼の言葉を聞こえないふりをして進む。
一呼吸置いて教室の扉を開け、中に入る。
「エリン先生やっと来ましたね。生徒たちには自習をやるように指示しときました」
「シュール先生、ご迷惑をお掛けしました。ありがとうございます」
黒いキノコ頭に丸眼鏡をした長身の男性が教壇には立っていた。私の代理で生徒たちを見ていてくれたのだ。
「では私はここまでです。それと、エリン先生私は余計な詮索はしないので安心してください。神の御加護があらんことを」
そう言い残すと速やかに教室から去っていった。悪い人には見えないのが、どこか異質な雰囲気がある人だ。私は教壇に立ち生徒たちの方を向く。
「皆さん、遅刻してしまい申し訳ありません」
私が頭を下げると、ドタバタと幾つもの音がこちらに向かって来た。
「エリン先生。大丈夫ですか?」
「怪我とかはないですか」
「先生が遅刻するはずないもんな」
「僕たちは分かりますよ。先生が悪くない事ぐらい」
「皆さん、ありがとうございます」
私の教室の生徒達は聡明な子ばかりであった。
「では、ここから挽回致します。席に着いてください。遅れた身ではありますが授業の時間です!」
一日の全ての授業が終わり今は帰路に着いている。朝の出来事の後片付けはリンドが全て行なってくれたので、私は何一つ報告する事なく事なきを終えた。学校の後で色々な書類を書いていたのでは帰る頃には日が完全に暮れてしまい、家で待っているリリーに心配をかけてしまう。
イレギュラーな出来事のせいですっかり忘れそうになっていたが約束のミートパイも買うことができた。
「リリー、ただいま戻りました」
家の扉を開けて、大切な人の名前を呼ぶ。直ぐに返事は返ってくる。
「ご主人様!おかえりなさい。お疲れ様です」
彼女のにこやかな笑顔を見ると外での疲れが全て吹き飛ぶ。私の声を聞くなり座ってた椅子から飛び降りて駆け寄って来てくれる。その勢いのまま私に飛び込んでくる。お腹のあたりに重みが加わる。抱き着いてきた衝撃を受け止めるように腕を彼女の背中に回す。
「心配でした。ご主人様が出ていかれた後に何か嫌な予感がしたんです」
「そうでしたか。でも私はこの通り五体満足で帰って来ました」
「そんなのは心配していませんよ。ご主人様は強いですから、腕の一本落とすことすら容易ではないはずです。ですが、心へのダメージは防ぎきれないじゃないですか」
リリーのいう通り、今日一日だけで何度半端者と揶揄されただろうか。何度理不尽な事に巻き込まれただろうか。全てを隠し通して彼女の心配を杞憂だと言い張り、安心させることも出来る。だが、ここまで自分の身を案じ、帰りを待っていてくれた人に対して通用するほど上手い嘘がつける自信もなかった。
「今日は大変でした」
小さく呟いた。腕の中の彼女は静かに私の言葉を待っている。
「ですが、貴方の顔を見て疲れが吹き飛んでしまいました。なので今は幸せでいっぱいです。後でゆっくり聞いてくれますか?」
「はい、喜んで」
「もーう、出て行く機会を完全に失ったよ!」
横槍のように聞き慣れた声が入ってくる。
「エマ、今日も一日ありがとございます。放置してしまって申し訳ありません」
私は左手に持っていた袋を上げる。
「ミートパイ。エマの分も買ってあるので一緒に食べませんか?」
「ええ。そうさせてもらうわ」
「あ、私は紅茶を淹れますね」
抱きついていたリリーが体を捻って後ろを向いたので、私は彼女を解放する。
「ご主人様は手を洗って、服を変えたりしてくださいね」
「そうですね」
にこやかに返事をするとパイの袋をリリーに手渡す。
「うーん!いい匂いです。ありがとございますご主人様」
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