第二章:未来からの脅迫

第一節 帝国内闘技場にて

 終戦の時は近いと、アーガランド帝国皇帝、ダガン=ファイ=アーガランドは宣言した。

 これより実行される大規模作戦。それによって、クレセント王国との因縁を断ち切れる。そして帝国に、真の平和が訪れると。


「資源独占のために奴らがしたことは目をつむろう。我々も鬼ではない。降伏の意思を示すのであれば、寛大な処置を取ってやる」

 演説する皇帝の前には、この闘技場を埋め尽くさんばかりの兵士が二万人近く集まっていた。皆、帝国の紋章をよろいの腕に携え、胸に手を当てている。

 人間種だけではない。魔力保有種である岩人や竜族までもを動員し、クレセント王国を陥落させようというのだ。

「だがそれは、向こうが申し出てきた場合のことだ。こちらから譲歩することは一切ない!! 奴等は多くの同胞を奪った! 必ず報いを受けさせてやらねばならん!!」

 兵士は歓声を上げ、皇帝をたたえる。


 軍力として存在する彼らにとって、正義は帝国側の主張だ。それを疑う者は少ない。

 むしろ、いまだ昔の規律に縛られている王国の主張など、鼻で笑うほどの価値観である。

「二万の精鋭たちよ。侵攻の時はきた!! 我らの悲願、かなえようぞ!!」

 兵たちも「オオオォ―――ッ!!」と呼応。それぞれの武器で大地をたたき鳴らす音が響き渡った。


 ダガンは、軽く敬礼しながら壇上を下りる。関係者用通路へと連なる日陰に入った。



「哀れな民草どもが。まんまとノセられおって……」

 多くの者たちは、先に戦争を始めようとしていたのはクレセント側だと思っている。軍の中枢だけが、この戦争で魔導石の供給量を増やすという狙いを認識していた。


 しかし、それすらも建前にすぎない。ダガンの真の狙いはそのもっと先にある。

 重く暑苦しいローブを脱ぎ、ため息をつく。


 脱いだそれを、背後にいた人物が奪い取った。

 急ぎ振り返る。そこにいたのは、紫の髪を腰辺りまで伸ばした女性だった。奪ったローブを着込む。

 十代後半ほどの見た目……。見た目だけはそうだ。

 整った容姿と色気を兼ね備え持つ美女である。ローブより下は、食い込みの激しい下着と、黒の外套がいとうしかまとっていない。とても外をうろついてはいけないような格好だ。


 その正体は、裏で多くを取り扱う黒魔術使い……ステラ=サンセットである。

 本来ならば、人間は体内に魔力を保有できない。だが彼女は体内に闇の魔力を取り入れ、それを使いこなしている。

「言ってることが全部真逆だなんて知ったら、あの人たちどう思うのかしら?」

 フフッと、ステラは不敵な笑みを浮かべた。


 彼女の問いに、ダガンはなにも答えない。逆に問いかける。

「祭り事は嫌いだと言っていなかったか?」

「闇魔法の材料が欲しいの」

娼婦しょうふ男娼だんしょうをあれだけ用意して、まだ足りないとでも?」


 アース・ワールドにおいて禁忌とされる闇魔力は、大量の血や死の概念、人間の欲望などが養分だ。それらを吸収することで力を活性化させる。

 彼女はそのために、要塞内ようさいないの旧司令室を性の掃きめとした。人間の欲望において、最も回収しやすいのは性欲だからだ。

「やっぱり恐怖や苦痛も混ぜたいじゃない? これからいっぱい人が死ぬんでしょう?」

 ステラは、笑顔で両腕を広げている。


 本当に恐ろしいのが誰なのかを、ダガンは再認識した。

「お前が出しゃばらなくとも、クレセント王国は崩壊するぞ」

「別にそれが目的じゃないわ。このアーガランドで気ままに暮らしたいだけよ」


 だがステラの目には、獲物を狙う肉食獣のような鋭さがある。

「何のために寝返ったと思ってるの? 今日この日を楽しみにしてたんだから、皇帝様は好きにあたしを使えばいいの」

「お前に動かれたら、余の軍にも被害が出かねない」

「人を暴れ馬扱い……」



 するとステラの身体が、闇の霧になって消えた。

 一瞬にしてダガンの背後に回り込み、彼の肩をたたく。

 ダガンの巨体が……小さく震える。



 振り返ろうとするも、時すでに遅し。

 ステラは、彼の首元に爪を当てた。そのまま横に滑らせる。

 血が噴き出す。バターをすくうように滑らかな動きで、肉を切り取った。



 ダガンの首がゴロリと落ちる。



「ぬああああああああああああああ」

 膝をついて叫ぶダガン。己の頭部に手を当て、その存在を確認する。

 首と頭はつながっている。安堵あんど溜息ためいきを漏らすが、それもつかの間。


 落ちた視線の先には、噴き出たばかりと思われる血液がきらめきを帯びていた。

 魔術師はクスクスと笑う。指先に、紫色の光が点っている。


 いま確かに、ダガンは死んだ。

 しかし死んで間もなかったため、闇魔術の力で蘇生そせいしたのだ。

「あと数秒遅かったらホントに死んでたわね」


 闇の魔力とはそういうものだ。本来ある概念を覆せるだけの強大な力を秘めている。

 だからこそ、素材として扱う代物も、欲望や血、命といった、禍々しいものばかりなのだ。

 命をも手球に取るこの悪女に、ダガンはなす術もない。



 心に鳥肌が立っていた……その間にだ。

 闘技場に集まっている兵士たちが、なにやらざわつき始めていた。

「誰だあの子?」

 一人の声を合図として、彼らは次々に驚きを口にする。


 先ほどまでダガンが上がっていた壇上。

 そこへポップな星柄の箱を両手で持つ、一人の少女が歩いてきた。


 風でなびくたびに、横に広がる水色の髪が光を放つ。毛先だけが黄色ににじんでおり、どこか奇抜だ。

 まだ十代半ばくらいの出で立ちで、美しいというよりはかわいらしいという言葉が似合う。

 全身の至る部分にリボンをあしらい、胸の部分には紫の宝石がちりばめられている。オディアンのようにも見えるがよく見ると違う。

 スカートのスリットからは太股が見え隠れしており、ギリギリ感から、どこか危うげな雰囲気も醸しだす。特に男の兵士たちは唾を飲んでいる。


 ステージ中央で、彼女は箱を置く。

 正面を向くと、スカート部分を摘んで軽く会釈。にっこりと笑った。


 箱の上には何かが載っている。黒い棒の先に、金網模様の球体が付いた謎の物体。

 少女はそれを手に取り、口元付近まで持っていく。もう片方の手で、人差し指を兵たちに向けた。


「あなたのハートに流れだま♪ こんばんは~! わたし、カナリアといいまーす!」

 その棒がそうさせているのか、反響を含んだ凄まじい大声量だ。

「みなさんに愛を込めて! カナリア、歌わせていただきます♪」

 すると少女は目を閉じる。


 大きく深呼吸をした後、歌声を発し始めた。

 聞いたことのない言語による歌唱だ。言葉の意味はまったく理解できない。


 それでも……彼女の声を聞いただけで、魂ごと揺さぶられるような錯覚さえ起こさせた。

 観客たちが見守るなか、次第にどこからか、メロディーまでもが鳴り始める。


 帝国側が用意したものではなく、やがてダガンも疑問を呈す。

「なんだあの小娘は!? おい、やめさせろ!!」

 通りがかりの部下にそう指示するが、返事はない。

 既にカナリアの歌唱にれ込み、皇帝直々の命令すら耳に入らなくなっている。


 ダガンは耳元を押さえだす。聴けば聴くほど、自分が何のために生きてきたのか、その価値観が崩壊するような感覚に陥っていく。

 そう、自分たちが生きてきたのは、今こうして彼女の歌を聴くため……。


 カナリアの持つスティック状の物体に、水色の軌跡が放たれだす。

 そうして彼女はハートを描き、作ったそれに息を吹きかける。

 すると、衣装の肩部分……。軍服の飾緒とよく似たひもが上向いていく。


 そうして見えた肩の面が、ドアのように開いた。

 どういった仕組みか。そこから小さなハートの結晶が無数に散らばっていく。整列する兵士たちのもとへと降り注いだ。

 小ハートが観客の手に渡り、カナリアは何度か繰り返す。やがて、ここにいる四分の一、約五千人のもとにハートは配布された。

 それは、日陰から出てステージを見ていたステラの手にも渡る。水色の光を放つそのハートをまじまじと眺めた。


 壇上の少女は声を張り上げる。メロディーも壮大さを増す。

 聴いていた者たちは、全身の細胞まで震えだすほどに感情を高ぶらせていた。気づけば涙が出そうなほどだ。

 カナリアはくるりと横に回り、観客たちに背を向ける。そうして、冒頭から運んできていた箱のふたを開く。

 曲の終わりに合わせて、中に入っていたそれが勢いよく持ち上げられた。



 先ほどまでの興奮が、一斉に戦慄せんりつと化す。

 かわいらしい少女の手からは似つかわしくない、ある物がぶら下がっていた。




 男性の生首である。

 そんな代物を、笑顔で振り回している。


「えへへっ♪ みんなー!! 今日は来てくれてありがとー☆」



 狂気に満ちた状況に、帝国の兵たちはもちろんのこと、ダガンまでもが言葉を失った。


 特に軍関係者は……その頭部に見覚えがあった。

 クレセント王国に潜入しているはずの、帝国軍大尉だ。

 彼の指揮のもと、クレセント王国の水源へ劇薬を流し込む予定でいた。

 そして王国民がのたうち回っている間に攻め込む……。そういった流れだったが、その頭部が見えた途端、計画破綻の音が聞こえた。



 唯一、皇帝の傍にいるステラだけが視線を絶えず動かす。

 壇上にいる彼女は何者か。そして、どんな企みをもって現れたのか。



 そして気づいた。

 持っているハートの結晶が、わずかに光量を増やしたのだ。

 ステラは息を呑む。すぐさまそれを前方へ放り捨てた。


 カナリアは、持っていた物体に備え付けられていたスイッチを押す。



 観客席に散らばった結晶たちが、まばゆい蒼光そうこうを放った。

 結晶は、爆炎を伴って破裂。


 押し寄せる炎だけでなく、散らばった結晶の破片も兵士たちの身体を貫く。絶命の連鎖だ。

 悲鳴と絶叫が響く惨劇。このトラップに、辛うじてステラは無傷で切り抜けた。飛んできた破片も、自身の闇魔術によるバリアで防いだ。



 いつの間にやら、この場にいた八割が死亡。

 生きている者も、戦地へ行かせるには厳しいほどの傷を負った。


 ステラは、下着から下げていたオディアンを手に取る。

 死のエネルギーを吸収しているのだろう。ほんのりと光っている。

 だが……これだけの死人が出たというのに、光が薄すぎると思った。


 壇上にいるカナリアは、ステップで前に進む。観客席の方へ飛び降りた。

 幸い生き延び、血塗ちまみれになっている兵士をニンマリと見下ろす。彼の額に人差し指を当てた。


 轟音ごうおんが鳴り響く。鉛玉が頭部を貫き、兵士は即死。崩れ落ちるようにして倒れた。

 殺害した張本人は、背中で手を組み、横を見る。

 ステラとダガンの姿を視認した。親しげに右手を振りだす。


 そのさまは、地獄の中でも高らかにさえずる、鳥のようだった。



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 一端いっぱしでしかない騎士の死に、特別な待遇などあるわけがない。


 王国の中でもひときわ目立つ時計台。そこで、少女の形をした何かは犯行に及んだ。そして目にも留まらぬ速さでどこかへと消えた。

 多くの視線が彼女に向いていたにも関わらず、行方を追えた者はいない。まるで、最初からいなかったかのような錯覚さえ覚えてしまうほどだ。


 原型を留めぬまま崩れ去った肉体は、すぐさま清掃員によって処理され、一つの箱の中にまとめられた。

 リリアーナは、憔悴しょうすいしきった表情で見ている。死体安置所にその箱は運ばれてきた。

 あの事件が起きてから……二時間が経過。夕日の主張が強くなる頃合いだ。


 魔導学校に通っていたころからの縁で、今も親交が深かった王国騎士団の隊員、エキュード。

 全身が安定を保てなくなった彼は、肉塊となって城下町に落ちた。

 その無惨な光景を思い出し、嗚咽おえつを漏らす。誰よりも強かった正義感が、あんな形で終わりを迎えたなどあってよいはずがない。


 彼との思い出が一斉に押し寄せる。魔導学校で一位二位の成績だったこともあり、よく演習でペアを組まされていた。

 卒業してからは会う機会が減ったものの、遠くからでも手を振ればいつも反応してくれた。剣の訓練にも付き合ってくれた。

 セツナを失った後、一番慰めの声をかけてくれたのも彼だ。いつも親身になってくれた。


「なんで……また……こんな……」

 自分を護ってくれる人ばかりが死んでいく。


 そして、彼を殺した人物が誰なのかも、リリアーナの心を苦しめていた。


 事件の重要参考人として扱われてしまった結果、リリアーナの傍には三人の警備がついている。

 さらには、ルミナスの魔法により、いまだ手首同士が風の魔力でつながったままだ。

 自由の利かない状態だが、そんな不自由すら気にならないほどに疲弊していた。

 この数時間にいろいろなことが起きたのだ。リリアーナはうつむき、下唇をむ。


 そこへ訪問者がやってくる。彼も姫君と同様、顔色が優れていない。

 エキュードの相棒であったロゼットだ。

 あの箱の中にいるのが誰なのか気づいたのだろう。膝から崩折れた。


「……なんで死んでんだよ……」

 そうつぶやきつつ、自分の膝上を何度もたたく。


 リリアーナは、手の中にあったホワイトブリムを強く握った。

 これさえあればミケを止められるかもしれない。そう思って寝室から持ってきた物だ。


 結局間に合わず、あらゆる人にとって最悪の被害を生んでしまった。

 自分がもう少し早く行動できていれば……。そう後悔するが、もうなにもかも遅い。


 すると、護衛の一人がリリアーナに近づく。

 かぶとまでつけるという重装備なのを見て、リリアーナは、事態の深刻さを痛感した。

「リリアーナ姫。そろそろ……」

 退室を余儀なくされる。名残惜しさしかないが、リリアーナはうなずく。

 もう一度、彼の身体が納められている箱を見た。涙を堪えながら、深々と頭を下げる。


 出入り口の方へ向かうが、座り込んでいるロゼットの前で止まった。彼と視線を合わせるべく屈む。

 なんと声をかければいいか。リリアーナ自身、彼とエキュードの関係についてはあまりよく知らない。

 しかし今の彼を見ると、とにかく放っておくことはできなかった。震えるロゼットの手を取る。


 それが彼の怒りを買った。

「やめろッ!!」

 リリアーナの手を振り払い、彼女の胸ぐらをつかむ。そして鋭くにらみつけてきた。

 護衛の騎士一人が手を伸ばすも……他の二人はただ見ているだけ。

 ロゼットの行動を肯定しているのだと即座に理解した。


「逃げ出したてめぇなんかに……なんで励まされなくちゃならないッ!!」


 それはミケを止めようとしての行動だったが、誤解されても仕方がない。彼の激昂げきこうを潔く受け止める。

 ──私が何か言ったところで無駄なだけだ。こんな私なんかが……。


 立ち上がり、騎士たちと共に部屋を出る。

 しばらく離れたところで、ロゼットの泣き声が響き始めた。

 リリアーナはその悲しみを聞き、胸が張り裂けそうになる。

 どうか、これ以上の悲劇が起きないようにと、祈ることしかできなかった。

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