第132話 置き去り
英雄と、彼らは呼ばれていた。
何の嫌みも負い目もなく、そう名乗るに相応しい実績がある。
誇りと志を胸に、気高く生きる在り方を選んだ。
多くの希望を背負い、悲しみを負わされ、嫉妬を集めた。
何一つ、表に弱みを出すことなく、誰かのために戦い続けることができた。
なろうとしてなったのではない。
そうしたいと目指し、動き続けた結果として、彼らは英雄の称号を得た。
その根底には、願いがあったのだ。
人から人への、微かな想いが。
可能性への、隠しきれない熱意が。
それにこそ、命を使うべきと心得た。
積み重なって、引き継がれて、尊い流れが常にあった。
そのために、彼らは死ぬような目に遭ってきた。
そのために、彼らは死ぬ運命にあったのだ。
※※※※※※※※※※
「酒はやらねぇのか?」
「いや、勘弁してくださいよ……」
クロノは、向けられた酒をやんわり断る。
今の歳で酒をやること自体に忌避はない。だが、師の嗜み方を見ていると、あまり進んで飲む気にはなれない。
だが、強制されている訳ではない。
気遣いの範疇であり、互いには敬意がある。
気を許している距離感を、互いが自覚をしている。
「若いなあ。ワシみたいな年寄りは、酒がなけりゃあ、やってけん」
「……辛いことでも?」
「いくらでもある。人生は、苦難の連続だ。百年と言わずとも、その半分ですら、荒むには十分なんだ」
顔に刻まれた皺は、蓄えた傷は、彼を歴戦の戦士と知らしめる。
クロノと一対一になる前から、十分な量の酒を含んだはずだが、あまり酔った様子はない。
直前、クロノとの剣の指導仕合いでも、恐ろしいキレを見せていた。
飲んだくれのような物言いや雰囲気を表に出しているが、酒の毒は、彼の奥底まで届いてはいない。
鋭い眼光で、クロノを見つめる。
今にも切りかかりそうなほど剣呑な空気だが、これが彼の通常運転だ。
「長らく英雄なんて言われるとな。どうしても疲れるときがある」
「…………」
「人なら、誰だってそうだ。同じことをいつまでも続ければ、疲れる。ワシも、歳だからな」
そう長い付き合いではなかったが、クロノは彼のことを理解していた。
人を遠ざけたがる気質と、人を守りたがる性質は、隠し通せるものでもない。
老齢に至るまで、多くの英雄譚を見届けてきたはずだ。だが、そこで何があったのか、興味こそあるが、聞くものではないと、クロノは心得る。
彼は静かに、教訓だけを語るのだ。
その方が良いと、不要なことを胸の内に秘めている。
「持ち上げられることもあるが、所詮はただの人だ。力が強くとも、志が高くとも、いつかは折れるものだ」
「…………」
「続けられない。どれだけ強くとも」
彼は、いつだってクロノに考えさせようとする。
迂遠で、紛らわしい。
伝えたいのに、実のところは伝えたくない。
矛盾を抱えているのが、妙に人間的だ。
「お前の周りは、特にそうだな」
「?」
クロノは、首を傾げる。
己の周囲に居る人間の中に、該当する者が居るとは思えない。仲間たちはまだ若く、年月の重ね具合でいうなら師であるライラだけだ。
しかし、ライラの弱った姿など、想像も付かない。仲間の中でもアインはその枠組みから外れているかもしれないが、それこそ、精神的にまいるほど、細い神経とは思えない。
「精進しろ。人は、弱いものだ。誰もが弱みを抱えている」
「そんなこと無さそうな人も何人か居ますが……」
「誰にでも、ある」
見透かす視線には、慣れている。
超越者に近付いた者ほど、視点は高い。
「注意してやれ。決して、目を離すなよ」
「……? はい」
※※※※※※※※※※
「お前、ホントにイカれてるよな」
アリオスにそう投げ掛けた男は、無精髭の中年である。
全身、青アザを作りながら、肩で息をしている。消耗の具合は相当大きく、少々苦しそうだ。
しかし、男はとても余裕があるように見える。
その軽薄そうな雰囲気が、アリオスには少々相性が悪い。
ここ最近は、訓練は他の面子と交わらず、騎士団の人間と一対一が基本だ。古巣の人間同士では、馴れ合いになりかねない。
なので、アリオスにとっては不本意だが、クロノと離れることを是とした。
だが、こうも見知らぬ人間からズケズケともの申されるのは、あまり愉快なことではない。
「…………」
「おいおい、怒るなよこんなことで! 俺ぁ、褒めてるんだぜ?」
とても、軽薄な男だ。
初めて会ったときから、そう思っていた。
どこまで真剣で、どこからふざけているのか、判断が付きにくい。
英雄と呼ばれるに相応しい実力を持つことは理解できるが、どうにも、折り合いを付けることが難しかった。
だが、アリオスは、とても強情な男だ。
合わないからといって、彼が逃げることはない。
嫌は嫌だが、向き合うことを諦めない。
「普通、人間を辞めるなんて思えねぇよ。我が身の可愛さってのは、どれだけ強くなっても変わらないもんだ」
「英雄でも?」
「当たり前だ。俺はもっと遊びてぇ。女が欲しいし、旨いもんも食いてぇ。なのに、お前は切り詰められる。ガキのすることじゃない」
我欲の塊のような男だった。
口を開けば、疲れた、面倒くさいと愚痴を言う。さらには、やれ酒だ、女だと、節制という概念をそこらに捨ててきたのかと疑いたくなる。
四十手前でここまで好き勝手に内心を吐露できるのは、プライドの低さの現れだ。
とことん、アリオスの好む人物像とはかけ離れている。
「男だぜ、お前は。誰が半人前だなんて言えるか」
「何が言いたい?」
からかわれているとしか、思えない。
本心か嘘か、絶対に悟らせる気がない。
「……お前が、英雄にならないことを祈るよ」
「は?」
「なるもんじゃねぇや、こんなもん。お前らは好きに生きろよ。自分の生き方縛ってちゃ、ざまあねぇからな」
※※※※※※※※※※
「魔法の使い方について、妾から教えられることはもうないな」
「…………」
「不満かえ?」
英雄という立場はもちろん、能力の高さに敬服している。
学べる部分は多く、己を高める上で最高の試金石と考えた。
だから、アリシアは、その英雄に師事した。
だが、突然告げられたのが、今の言葉だ。
終わり、限界、余地のなさ。
様々な受け入れたくない概念が浮かんだ。
「じゃが、こればかりはどうしようもない」
「限界、ということですか? ここで?」
「ああ、そうじゃ。汝にもう伸び代はない。技も知識も、十分極まった。あとは純粋な魔力量だけじゃが、それは一朝一夕ではどうにもならん」
真実だ。
アリシアも、薄々感付いていた。
大きな成長は、もう望めない。
だが、それで納得できるものでもない。
「…………」
「分かっておる。人ならざる者へ至った者が、幾人か居るな? 真似しても無駄だぞ。汝は、向いていない」
かかか、と笑う。
目的のためならなんでもする、という意思を見抜かれている。
「魔法は、理論じゃ。奴らのように、人の殻を捨てれば、力そのものは上がる。じゃが、理論を必要とせん体になる」
「…………」
「退化するぞ、汝の魔法は。繊細さを欠く。他の誰にもない、汝の武器が消える。力と技を両立させられぬとは言わんが、時間がかかる」
もちろん、分かっている。
だが、限界を越えたところを目指しているのだ。
足踏みできるほどの、暇がない。
「じゃあ、どうすれば?」
思い付かない。
やるべきことは、十全以上にこなした。
だが、あまりにも足りない。
地道な進歩ではなく、劇的な進化が必要だった。
「正直、十分だと思うがな。汝は既に、英雄の域にある。まだ先を望むとは、なんとも強欲じゃ」
「…………」
「そも、一発逆転や急成長などあり得るか。汝は異常な環境を見てきたかもしれんが、地道な積み重ね、それしかないのではないか?」
アリシアも、分かっている。
それは間違いなく正論だ。
反論の余地など何一つなく、おとなしく引き下がるのが当然だ。
言葉通り、急成長とは、本当に限られた一例でしかない。アリシアは、既に極まっており、天才ではあるが、人外ではない。
だが、
「それでも、何かありませんか? 常識を踏み越える、そんな方法が」
覚悟がある。
外なる方法でも構わない。
「切羽詰まっているねぇ」
「できることは、なんでもします。対価も、できる限り用意します。ですから、どうか…………」
頭を下げることに、厭いはない。
抉れと言われば、その場で抉る。切り落とすのなら、即座にそうする。
事が終わった後ならば、命すら代価としても良い。
魔法使いの契約が如何ほど重要か、分からないアリシアではない。己の魂までしゃぶり尽くされるのは、仕方ない犠牲だ。
「……そうじゃのう。まあ、
「?」
「妾の所有物でなくなったモノを、汝にくれてやる。意味は、その時に考えよ」
しかし、返ってきた言葉は、想像よりも遥かに優しいものだった。
魔法使いとして、こんな生温い施しは、あまりにも違和感がある。
アリシアからすれば、願ったりではある。
道もないところへ、光が見えたのだから、本当に有難い。
諸手を上げて喜べる返事のはずだが、どうにも素直に喜べない。
その裏の意味を探ろうとしたが、情報が足りなすぎる。
そして、
「案ずるな。すぐに、意味が分かる。妾たちは、無駄に去ることはないのじゃよ」
※※※※※※※※※※
「ホント、君たちで良かったよ」
目の前の女のことを、リリアはろくに知らない。
音に聞く英雄であることは前提のはずではある。
分かることはそれくらいで、彼女は性格すらも知らない。
推し量る気がない、という要素は大きいが、推し量らせまいとしている訳ではない。
識れるほどの中身が、女からは感じ取れないのだ。
「は? なにが?」
「よくここには新しい仲間が来るけれど、皆が皆、仲良くなれる訳じゃないしね」
目を閉じることが、基本な女だ。
表情も変わらない、声色も一定で、生きている気配が非常に乏しい。
リリアでなければ、付き合うことに嫌悪を抱く異質な相手だ。
仮面を被ったような素顔に付いたガラス玉のような目が、彼女を見つめる。
「全員が、良い意味でイカれてるから」
「バカにしてる?」
「違うよ。良い意味でって言ったよ?」
「良い意味って付けたからって、なんでも褒め言葉になる訳じゃないわよ」
女は、考え込むような仕草を取る。
仕草だけ、まともな人間の真似をしているようだ。
「少なくとも、この時点で『迷う』要素があるなら、取り込まれる可能性があるしね」
「英雄なんでしょ? 敵に寝返るなんて……」
「人間だからね。ダメな時はダメさ。アイツらは、欲望の組織だ。欲しいと信じる者は、必ず共感する。だから、満たされていないといけないんだよ、私たちは」
人の脆さは、リリアには分からない。
ただ、そういうものとして、知識を受け入れる。
その昔、起こったであろう悲劇に対して、特別なものと思わない。
リリアには、蔑みも憐れみも、興味もない。
「あたしたちには関係ない話ね」
「そのブレにくさが、必要だった」
とても機械的だ。
あるべくしてあり、自分の役割を完璧に定めている。
淡々と、女は『必要』を提供する。
「願えば、奴らは必ず付け入る。だって、正しいから」
「アンタ、友達居ないでしょ?」
「人間なんだ。英雄だなんて、まやかしだよ。欲しいと願えば、そうするしかない」
人の倫理の欠落が、大前提だ。
だが、あり得ない話はしていない。
大いなる地からを持ち、その責任を求められてきた者たちだ。
ほんの少し、掛け違いがあったなら、英雄は虐殺兵器と変わらない。
血の通わない前提を、持ち合わせている。
「私たちはね? 自分たちの在り方にケリをつけるために、戦っているんだ」
「ねぇ、英雄って迂遠な言い方しかできないの? 単刀直入に話して欲しいんだけど?」
「後詰めは、君たちがしてくれ。もう、託すことしか考えていない」
誰にも、女は影響されない。
何を言われても、聞かされても、動じない。
自分の命にも興味が持てないがらんどうだ。
「後は、君たちとボスの舞台だ」
「本当にアンタたち、嫌い。最初から最後まで、あたしたちを利用する気しかないものね」
※※※※※※※※※※※
「真面目な子で良かった!」
「え!? 何すか、急に?」
男は、ラッシュと気が合う人物だった。
陽気で、誰の懐にでも潜り込める、模範的な快男児である。
馬が合うとはこのことか、と普段から危険人物たちと行動を共にする彼は、久々に心底から安堵を覚えた。
戦闘スタイルも通じる部分があり、師としても、とても有能だ。
人物的に、大いに好感を持てる。
奇抜さとはかけ離れ、常識人に近く、奇行をかますような奇人ではない。
「いやー、君たちのことは、ライラさんから聞いてたからね。とんでもない子達って聞いてたし、マトモな人が来ないから、俺のとこに付けるって聞いた時は怖かったよー」
「はは……まあ、俺以外の奴らは全員イカれてるけど……」
「だから、余計にさー」
規格外の天才は、周囲に居る。
だから、ラッシュにとって、秀才タイプは珍しかった。
ラッシュは既に、完成された武を持つ。
ここまで手本になる人間は、そう居ない。
「君は、本当に実直だ。僕の教えもちゃんと守るし、会話も通じる」
「後半は、別に人なら普通じゃ……」
コロコロと感情を変える男は、ただの若者にしか見えない。
とても平凡で、人混みなら、容易く消えてしまうような『薄さ』である。
とても『薄い』笑顔を向けて、言う。
「英雄の頭のイカれ方を舐めたらダメだよ! アイツら、自分の世界で生きてるからね!」
「あー……」
「もー、人の迷惑とか考えないの! アレしろ、コレしろばっかり! 無茶振りで死にかけたことが何回あったか!」
「お気の毒っす」
苦虫を噛み潰したような表情で、男は語る。
いつ何をしたか、どう死にかけたか、どんな酷い目に遭ったか。
おそらく、腐っても英雄なので、本当に凄絶な経験だったのだろうが、男の空気感からか、どこか滑稽な印象しか受けない。
ラッシュも思わず、男の軽さに釣られて笑ってしまう。
つくづく、男の周りには不和が生まれない。
「愚痴っても愚痴りきれないよ。僕の不満の全部が世間に広まったら、きっと英雄は全員居なくなるに違いない。ファンは皆幻滅するから、残るのはただのゴロツキだけだよ」
「外聞も、英雄を作る要素っすからね」
へらへらと冗談めかす。
ラッシュも、応えて笑う。
「苦楽を共に、なんていうけれど、圧倒的に苦の方が多いよ。よくもまあ、十何年も続けたね、こんなのを」
「すぐに逃げてるっすよ、俺なら」
「命は大事だもんね。気付いたら、すっごい老けてたよ、僕も。あーあ、もっと遊んでくらしたかったんだけどなー」
軽口の中に、何かが混じった。
だが、それは小さな小骨のような違和感だ。
ラッシュには、それは分からない。
とても容易く取りこぼす。
「君も、その内似たようなことになるんじゃない?」
「かもしれないっすねー」
「酷い日常だよー? いつ死ぬかもわかんないし」
これまでの道筋を頭で描きながら、男はラッシュに投げ掛けている。
そんな微妙な心根を、男は決して悟らせない。
雑談の延長としか思わせない。
「あはは。確かに、ろくでもないかもしれませんね」
「君も僕と同じで、命あっての物種って考えるタイプでしょ? 逃げるなら、早い方が良いんじゃない?」
何も考えていないかのような振る舞いだ。
外からでは、男の思考は分からない。
時には道化を、好青年を、暗殺者を。様々な顔を演じてきた男の奥底は、容易く覗けない。
「そうかもしんないっす」
「うん、だよねぇ」
そして、
「でも、多分、貴方と同じ理由で、逃げたりしないっす」
そんな、一番欲しかった言葉が飛び出て、素直に驚いた。
「……君で良かったよ、ホントに」
「ん? どうかしました?」
男の肚は、この時決まった。
全員の覚悟が、これで定まった。
※※※※※※※※※
騎士団、現在総勢十名。
直近の戦争により、三人が使命に殉じる。
クロノたちが王都で『神父』と戦う裏で、第二使徒により、五人が殺される。
クロノたちが入団したことで六人加わり、
この日の夜に、六人が消える。
内、五名は死が確定。
そして、一名はすべての痕跡を消す。
調査により、クロノたちの教育係として任命された五名は、消えたその一名によって殺されたと判明した。
騎士団に身を潜め、この土壇場で裏切ったネズミの名前は、
ライラ・バッカニア
教団を恨む狂人は、これまでの全てを台無しにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます