第31話 あれ? 何か様子おかしくね?


 ずっと、息苦しいと思っていた。

 食事も、勉強も、会話も、睡眠中でさえ、縛られている感覚が離れない。

 ずっとずっと、水の中で藻掻いて、沈んでいくような感覚がしていた。

 何度も何度も溺れる夢を見て、その度に、自分は縛られているという感覚に襲われる。

 寝ても覚めても、その感覚に終わりはない。

 

 自分の全てを発揮するためのキャンバスが無いのだ。

 大きな絵を描きたくても、許されるのは、目の前の平凡な大きさの範囲だけ。抑えて抑えて、その枠をはみ出れば怒られるから、抑えて抑えて。

 狭い狭い世界で、精一杯小さく描いて、その報酬は親からの畏怖だ。


 銅貨一枚にだってなりはしない。

 そんなモノを貰っても、嬉しくはない。

 期待をかけられ、その期待に応えても、ただ怯えられるだけの日々。

 息苦しさを隠して、上っ面な笑みを張り付ける。

 疲れた、と思ったことは何度もある。だが、それは期待されてはいないから、おくびにも出さない。

 

 ニコニコ笑って、内心はまったく笑えなくて、それでも毎日はやって来て。

 満足することはなくて、満足されることはなくて。

 ダラダラと、やりたくない事を延々と続けさせられるだけの日々。

 砂漠に匙の水を撒くような、不毛で、つまらなく、甲斐のない日常。

 

 何をしても、満足は得られない。

 求めるものは、どこにもない。

 小さな箱庭を与えられて、そこでいっぱいの『利』に満ちた世界を作ってみた。

 だが、それもすぐに取り上げられる。


 何をしても、認められない。

 したいと思った事の全ては、許されない。

 何故、こんなにも価値観が親子の間で違うのか?

 何故、自分がこんなにも苦しまなければならないのだろうか?


 その答えも、枷である家族からだ。

 勉強をする合間に見た、弟妹たちの様子。

 あまりにも幼稚で、知性を感じない。自分とは根底から違う生き物だと直感する。レベルがあまりにも違うから、彼らが両親の期待に応える事など出来るはずがないと、当然のように見下した。

 だが、両親は彼らの相手をして、何故か安堵している。

 程度の低い彼らを相手に、怒りもしない。何故わからないのかと、呆れない。


 弟妹を見て、兄たちを見て、自分が外れた存在なのだと悟った。

 外れた自分を見て、外れていない彼らが良いものと錯覚しているのだと分かった。

 ありがたく無いものも、ありがたいと信じていて、真に貴重なものを蔑ろにする。それが、彼らが選んだ道なのだと、ようやく気付く。


 自分が自分である限り、どうやっても彼らの想いに応える事は出来ない。

 

 思い至るまでに、十三年と少し。

 感じた情は、ただのノイズ。

 閉じた可能性と、微塵も湧かない愛を自覚したその瞬間、アリシアは、家族を見限ったのだ。



 ※※※※※※※



「クロノさん、コレは悪い話ではないのですよ」



 アリシアは優しく、幼子に説くように言う。

 物の道理を一から教えるように、丁寧に。

 


「何が、悪くないんだ?」


「この状況です。良くわからない怪しい組織に、実の親を売り飛ばそうとしている今ですよ」



 それが、どれだけ利になるのか。

 教えられる所を、分かりやすく教えてあげる。

 おかしな所は何もない。自分は、何一つ間違っていない。


 そんな傲慢が、透けて見えた。

 


「彼らは、コーリネス家にとってもう不要なのです。ほら、鼻をかんだら塵紙を捨てるでしょう? 私は、普通の事をしているのですよ」


「普通?」


「ああ、いえ、普通以上の事でした。本来なら、後はゴミになるだけのモノに、最後に価値をもたらすのです。褒められこそすれ、貶されることはありません」



 価値


 アリシアには、それ以外を語るつもりはない。

 必要ないから、意味がないから。

 その文字に込められた、凄まじい魔力。アリシアはそれを広め、取り憑かれた魔物だ。

 人ではなく、魔物の視界で世界を覗く。  

 人が話を出来る相手ではない。分かり合える、などと言えるほど、温くない。

 


「倫理に反しますか? 人道にもとりますか? 気に食わないのは、分かります。ですが、気にしてはいけません。そうしなければ、出来ない事があるのです」


「…………」


「私が切り捨てるのは、貴方が昨日一日会っただけの知らない人たちでしょう? 貴方が首を突っ込む理由が、どこにあるのでしょうか?」



 正しい理屈だ。

 命を張って助ける理由がない他人。

 メリットとデメリットが、明確に釣り合わない。

 その感情に、理屈を付けられないはずだ。

 甘いことをぬかすなと、抱く熱情を奪うように、冷水を差す。

 


「義憤に燃えるのは、やめませんか? 明確な無駄です。こうした一時的な感情から来る争いも、実に不毛ではありませんか」


「……それは、本心だな」


「私は本心でしか話していませんよ」



 本心だから、おかしく見える。

 誤魔化していないのだから、異常だった。

 極めて人間的な笑みであったが、何故か人間離れして見えた。

 


「私の行動は、咎められる謂れはない。貴方は部外者で、私は価値の無いものに価値を与えるという素晴らしい行動の途中で、誰も損はしないのですから」


「損、ね……」


「ええ。自分たちが支払われる事で、一族のためになるのですから、きっと泣いて喜んでいるでしょう」



 それを、本心で話しているようにしか思えない。

 喜ばしそうに、ずっと笑っている。

 ずっと、ずっと、曇ることなく、ずっと、ずっと。



「嗚呼、私が学園を辞めるなんて事もないのでご安心を。取引できる組織が案外大きかったですからね。文官を少し借りるくらいは訳がないでしょう。私が卒業するまでは、十分領地の運営は可能かと思われますので」



 とにかく、徹底的に理由を潰していく。

 クロノがアリシアの事業にちょっかいをかけるための口実が、話す度に減っていく。

 理屈では、何もできないように場を整える。



「これからも、仲良く出来るでしょう? 私たちは、『お友達』ですから」


「…………」



 沈黙が、ズンと落ちる。

 言の葉で考えを曲げる相手ではないからだろう。どんな言葉も無意味だ。アリシアの価値を覆す、そんな魔法のような言葉は、どこにもない。

 それを理解させるために、常人離れした価値観を披露したのだ。

 救うと、場違いにも思った愚か者に、まず思い知らせて、気持ちを萎えさせる。

 その甲斐あってか、クロノの目は、どこかを向いている。アリシアではない、どこかを。ただ、ゆらゆらと、幽鬼のように彷徨っているようだ。

 

 アリシアは、勝ちを確信している。

 話し合いのていでクロノの意欲を挫き、問答無用の奇襲という手を潰した。

 自分のペースに取り込んだ。

 心で優位を取っている。この優位は、きっとこの戦いが終わるまで、いや、終わっても残り続けるだろう。

 それに、気を逸らせたのも、かなり大きい。

 話のついでに、トラップの魔法は仕掛けている。空に七と、地面に八。即死クラスと、足止めのためのものを半々で。クロノが気付いた様子は、一切ない。

 仮に問答無用で仕掛けてきても、優位は取れる。

 


(まあ、時間を稼げればそれでいいのですが……)



 アリオス対ヴァンドル。

 発展途上の小僧と、闇に揉まれてきた悪党とでは、比べるべくもない。

 どちらが勝つかは、明白だ。

 合流出来るまで、じっと待っていればいい。

 二対一なら、より確実に確保可能だ。



(もう少し会話を引き延ばしましょうか……?)



 自分の感情と疵すら、アリシアは利用する。

 触れて欲しくないとも思わない。

 後ろ暗い感情も、抱えた痛みも、単なるノイズだ。

 センチになった所で、なんの得にもならない。


 完璧に、自分をコントロールしている。

 恐怖や怒りすら、掌の上のものだ。

 

 だから、彼女は負けない。

 スイッチは、もう入った。 

 どんな言葉でも揺るがず、目的のために、決してブレない。

 


「今からでも、私に協力しませんか? 少し、貴方が持つ価値観を捨てれば、それだけで、本当に素晴らしいものを手に入れられるでしょう」


「素晴らしい、もの……」


「富、女、力、なんでも。貴方が欲しい物を、何でも用意できます」



 そうさせてみせる、という甘言だ。

 優しく、優しく、毒を流し込むつもりで。


 聞き入らせるのは、簡単だ。

 純真な彼に付け込むのは、容易い。

 はじめは嫌でも、時間をかけて説得を重ねれば、すぐに手を汚すのが人間だ。

 アリシアは、その性質を知っている。

 クロノとて、それは変わらないはずで、簡単に堕とす事が出来ると踏んだ。

 


「私は、」


「俺は、人を理解するのがあまり得意じゃない」


 

 だが、認識が甘かった。

 クロノという存在は、『普通』の『人間』ではないのだから。



「だから、願いを覗いた今でも分からない」


「…………? 何を、言って……」


「お前が一番欲しい物に、なってやる」



 不思議そうな顔をする。

 だが、何故か引き込まれる。

 見透かされたような視線がとても不愉快だったのに、それが期待の根拠になった気がした。

 これから行われる事の、根拠。

 それは、きっと求めていたものになれる。


 

「俺は、お前の『敵』になる」

 

「!」



 酷い高揚を覚える。

 体温が高まったのを感じる。

 なにか、なにか、おかしなものが込み上げて、



「お前を止める理由は、それでいいか?」



 アリシアは、自然と頷いた。

 あらゆる手を尽くして、初めて現れた『敵』を滅ぼす事に、強い喜びを感じた。




 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る