第32話 『あちゃあ。彼、貴重な人材だったのですが』
そう、時間はかからなかった。
圧倒的に思える実力差、潜ってきた修羅場の数、隠し持った能力。
あらゆる要素で、勝っていた。
ヴァンドルよりも優れ、強い人間は、この場には居ない。
大人が赤子に勝てる道理がないのと同じだ。
どんな奇跡が起きれば勝てるのか。くだらない絵空事の上にしか成り立たない事象である。
どちらが勝つかは、明白だ。
火を見るよりも明らかで、天地がひっくり返っても、アリオスの勝ちはない。
その前提に違わず、戦況の優劣はすぐにはっきりする。
アリオスの傷は、隠しきれるものではない。
体にあるいくつかの陥没や、あちこちに見える火傷に、酷い打撲の跡、へし折れた左腕などなど、ボロボロなのは明らかだ。
特に陥没など、致命傷一歩手前の傷だ。
内出血で赤黒くなり、ダメージは甚大である。
放っておけば失血死する可能性は高い。
アリオスは、まだまだ成長中の子供。
他と比べれば十分に力はあるが、何故こうも一方的に押し込まれたのか?
実力差と片付けるのも、もったいない。それ以外の、圧倒的な差がある。
敢えて語るのならば、その理由は二つ。
ひとつ、得物の優劣。
ヴァンドルが身につけていたメリケンサックのようなものは、『身体強化』や『感覚鋭化』などの魔法が込められた一級品の魔導具だ。
ヴァンドルと夫妻のやり取りをこっそり覗き、それからアリシアの様子がおかしい事に気付いて、そして彼女が使用人たちに魔法をかけてから居なくなったのだ。
それに、戦闘の可能性など考慮していなかった。
家の宝剣など持ち込むはずもなし。家の中を駆けずり回り、何とか手にした
ふたつ、切り札の有無。
ヴァンドルの目は、特別性だ。
魔法を使うには、力と表現が必要になる。そして表現は詠唱、術式、儀式などなど様々。
本来ならば、完全にマニュアルで操作する分野であり、思考力や演算能力が必要になる。武器などにあらかじめ術式を刻む事で、魔力を流し込み、即時魔法を起動する場合もあるが、上記の形が基本である。
だが、身体だけで表現の役割をオートで果たす場合も存在するのだ。
その一つが、ヴァンドルが持つような『魔眼』である。
眼球が特殊な構造になっており、魔力を通せば魔法が発動する。
極めて効率的に、自然に、強く。
ヴァンドルの『魔眼』に込められた『麻痺』の力は、アリオスを苦しめ続けた。
アリオスは、常に『魔眼』に
その状況下で、武器の性能で劣る中、攻撃を凌がなければならない。
経験や魔力、身体能力で上回れる格上相手に。
積み上げてきたモノの差が、如実に現れる。
自らの能力に向き合い続けた時間の差、求められたモノを得ようと足掻き続けた研鑽の差が。
「はあ……はあ……」
立っているのがやっとだ。
手にした剣は折れている。ダラダラと血が滴り落ちている。
血を失いすぎたせいか、かなり感覚が鈍い。目もかなり掠んでいる。
押せば倒れるような、瀕死である。
終始劣勢、針の穴ほどの活路を通り続けた、苦しい戦いだった。
「ごふっ! う、ぐ、」
折れた肋骨が、内臓に刺さっているかもしれない。
込み上げた血の味が口の中を満たす。
何度も受けた打撃の数々は、受けたことが無いほど重い攻撃だった。
一撃目で胃の中身を戻したが、今は胃にも血が溜まって仕方がない。
苛烈、その一言を体現したかのような戦いだった。
アリオスにとって、そんな手合いはほとんど相手をしたことがない。
剣を用いた、一対一。
正々堂々の戦いに慣れて、かなり翻弄された。
喰らった手傷の多さも、その証だ。
「ふぅぅぅ…………!」
アリオスは、回復の魔法は得意ではない。
じわじわ、少しずつ回復させる事がやっとだ。
まともに動けるようになるには、時間が必要である。張り詰めた状況ではあるが、悠長でもしなければ死ぬ。
また痛みが昂り始め、傷が熱を持ち始めたのを感じていた。
「負けてたよ」
ゴボゴボと漏れ出る血が落ち着く。
喋れるまでも、時間が必要だった。
トドメの直前だから、何とか喋れる程度には回復したが、戦闘中ならまず無理だ。
詰みまで、確定している。
だから、こんなにも穏やかになれる。
命を摘む瞬間が来るまで、その瞬間が訪れる前の、微かな静寂だった。
「勝てない。普通、無理だ。出来ない事は出来ない。それだけの実力差があった」
「…………」
分かりやすい数値で見るなら、アリオスがヴァンドルに勝てる要素はない。
言葉通り、通る理の無い事象だ。
逆転など、誰も想定すらしていない。
大人と子供の勝負に、まさかなど起きない。
「苦しかった。一つ間違えれば、予想通りの負けは、現実になっていた」
だが、しかし、不思議なことに。
強さだけで、勝敗が決まるとは限らないのだ。
「早く、殺せ、クソったれ……」
「そうは、いかない。やるべき事が、ある」
倒れ伏すヴァンドルに、アリオスは語りかける。
瀕死の状態であり、声も掠れていた。
迫力など無いに等しいが、これは尋問だ。
王国の貴族の一員として、コレをむざむざ放置など出来るはずもない。
裏で暗躍する巨大組織の、その手がかり。
殺す訳にはいかなかった。
「『越冥教団』とは、なんだ……? 組織構造、は……? 人員は何人、だ?」
「言うかよ、バーカ……」
分かっている。
コレは、性根が腐っているが、覚悟がある。
何をされても、きっと吐かない。
死の寸前でも変わらないのだ。自分の命をゴミとも思っていないから、失う事に躊躇いがない。
自分の価値の土台が、変わらないのだ。この確信が、信頼が、自信が、彼を形作っている。だから決して、彼の中に裏切りはない。
「テメェ、らが、気の毒でならねぇ、よ……。は、ははは、はは……」
「どういう、意味だ……?」
「へ、へへ、テメェらの想像より、ずっと、ずっと、深い闇さ……踏み入れりゃ、帰れねぇ……だが、もう手遅れ、だ……もう、関係ねぇとは、言えねぇな……」
ヴァンドルは、乾いた笑いを止めない。
ゲホゲホと血混じりの咳込みをしながら、ずっと笑い続ける。
目の前の男の運命を、嘲笑っているのだろうか。
背を地面に付けているのに、アリオスをその位置から見下している。
「テメェは、試練に、打ち勝った……ならば、神は、さらなる試練を、与えられる……」
「なんだ、それは?」
「俺の上司なら、こう言う……」
意味が分からない。
アリオスに理解できる内容ではない。
異端者にしか、この言葉は伝わらない。
「テメェらは、もう目ぇ付けられてんだよ……」
「…………」
「仕事の情報は寄越さねぇくせに、館に居るガキがどうだの、変な事ばかり、言ってきた……」
嗤っている。
酷く憐れむように、嗤っている。
「妙な力を、使うガキ共……こりゃあ、上も興味津々さ……アイツらは、そういうのを、求めてる……」
「妙な、力?」
「なんだ、自分で気付いてねぇのか? お前が、俺に勝てた、のは、何故だと、思う……?」
「…………」
「実力だと、思うか……? お前自身が積み上げた力だと、思う、か……?」
嫌な感覚がした。
得体のしれないものが、背中からじっとこちらを見つめるような。
知らない内に、自分の中の何かを握られたような。
アリオスは、そんな致命的な歪を感じた。
「おかしい、ねえ……自然に戦っている、ようで、肝心な場面で、
「…………」
「まるで、時が飛んだ、ような……」
心当たりが、無いと言えば嘘になる。
一秒先を生き残るのに必死で、よく覚えている訳では無いのだが。
一体何故、そんな妙な力を使えるようになったのか?
一体、
それは、アリオスの預かり知らない所だ。
「神頼みでも、したのかい……?」
「……神は、この世界には居ない。その考えは、異端のものだ」
ヴァンドルは、何も否定しなかった。
世界の法則に背かない、正しい人間の発想に、嘲笑をくれてやる。
そのまま、大きく息を吸って、
「ふ、ふはははは!! 異端、そう、異端さ! 俺たちは、異端者! 世界から、爪弾きにされたバカ共の集まりさ!」
「…………」
「だから、仲間を求める! 力を求める! この世界を覆し、自分たちの世界を創り直すためにな!」
血塗れのまま、ヴァンドルは叫ぶ。
ゴボゴボとした嫌な音が叫びと同時に聞こえる。
こうして叫ぶことすら、命を削っているはず。
軋む体にムチを入れながら、自分の意地を通そうとしている。
その姿は、とても、見ていて心地よかった。
「テメェも、お友達も、異端たる資格がある! 言っとくが、逃げられん、ぜ?」
「…………」
「俺の上司は、化け物だ……テメェらが、アレの靴を舐める姿が、目に浮かぶ……」
ヴァンドルは、胸元のネックレスに手をかける。
垂れ下がった宝石を手で弄び、嗤う。
「じゃあな、クソガキ……地獄で会おうぜ……」
「! まさか!」
その瞬間、ヴァンドルは宝石を握り潰した。
バキン、という音が鳴り、魔法が発動する。
事前に仕込まれた、自害用の魔法。速やかにヴァンドルの体が炎に包まれ、燃えていく。
体の端から炭化して、どんどん消えていく。
かなり高位の魔法だ。止めるためには余力がない。仮に今止めたとしても、間に合わない。
真っ赤な炎の奥で、ヴァンドルの目はずっと嗤っている。
水分が炎で蒸発する中でも、光が消えない。
夢に出るほど、不気味に、ギラギラと。
「また、な……」
それは、呪いだ。
必ず追手がやって来る。そして、自分と同じ所に堕ちてくる。
そんな未来を保証するための、呪い。
「…………」
後味の悪さに、眉をひそめる。
勝った気どころか、戦った気すらしない。
何者かに仕組まれたような、操られていたような感覚に支配される。
自分は、どうするべきなのか?
漠然とした不安が、のしかかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます