第12話 しかし、物語は良い方向へは進まない
心身ともに、限界だった。
もう一歩だって動くことが出来ないだろう。
クロノは、咄嗟に使ってしまった技の代償を受けてしまった。
具体的には、体内の魔力のほとんどと、内臓がいくつかが消費された。
回復のための魔法を使っているが、回せるエネルギーの少なさと、『代償』という特殊な傷のせいで、なかなか安全圏までは治らない。
代償のために起こってしまった失血も無視は出来ない。
何もかもにガタが来ていて、まともに歩けもしないだろう。
アリオスは、もう力を使い果たした。
骨が砕け、肉は潰れ、内臓は傷付いた。
だが、一番深刻なのは現在残っている魔力量だ。
宝剣の使用によって、ただでさえ凄まじい量の魔力を消耗していたのに、クロノのとっておきを喰らってしまった。
瞬時に、無意識的に行われた魔力を使った防御。そして、宝剣が行った、所有者への『自動回復』も発動済み。
ここまでいけば、動くことすら困難になる。
意識を保っている今すら、ほとんど奇跡。
喋れているのも、彼らの並外れた意志によるもの。
本音を言うなら、今すぐ眠りたいはずだ。
そして、言いたい事は全部言い終えた。
張り詰めていた糸が、今にも途切れそうになっているのだ。
これを油断と言うには、あまりにも理不尽だろう。なおも気を張り詰めろなど、鬼畜が過ぎる。
だから、仕方がないことなのだ。
仮に物語が良い方向へ向かったとして。
仮に物語が一区切りついたとして。
それでも、起こるべくして、悲劇は起こる。
理不尽、不条理、不公平。
そんなものは、当たり前にあることだ。
ただ、不運であった。
そういう運命だった。
本当に、ただそれだけの事である。
「「!」」
バツン、という音がした。
森を覆い囲む結界が、消えた。
巨大な魔力が霧散した。
高度な陣によって構成された凄まじい結界が、跡形もなく。
近くにいる人間の中で、それを異変と捉えなかった者は、たったの一人。
それ以外の全員が、勘付く。
マズイものが、やって来ている、と。
「アリオス……!」
「逃げ、」
当然、疲れ果てた二人もそれは分かっていた。
まだ動ける状態ではないのに、無理矢理体を起こす。
笑う膝を堪えるのに必死で、走るなど出来ようはずもない。
だが、何もしないよりはマシだ。
這ってでも、異変が起きている方向の逆へと進もうとしていた。
しかし、
「あ」
漏れた声がどちらのものか、分からない。
それどころではなかった。
眼の前に現れた存在は、ちっぽけな彼らの理解など、簡単に凌駕する。
『謨代>縺ッ蠢?★縺ゅj縺セ縺』
それは、一言で表すのなら『冒涜』だった。
見上げるほど巨大な化け物を前に、他人事のようにそんな感想を抱く。
人の女のような上半身が見えた。
膨らんだ胸部は、きっと雌型であることを示しているのだろう。へそから首までは、恐ろしく華奢な、ともすれば少女のもののようにも思える。
しかし、ような、というのは、人とは違う歪が散見されるためである。
人の腕は一対になっていて、右二本、左一本ではないはずだ。それぞれで関節の数や長さは異なり、だが、手は人のものらしく、人二人分はある巨大な剣や戦斧、盾といった装備を有する。爪の先が鉤爪のようになっており、握る手に突き刺さって、血を流しているではないか。
生物として、非合理なものだと何となく思える。
『鬲ゅ?隗」謾セ繧帝。倥>縺ェ縺輔>』
頭にあるものは人ではなく雄牛だった。
だが、目が何故か横の位置にはなく、額と右頬に雑に付けられている。
下半身は、獅子の体があって、なのに、脚の先には蹄が見えた。
尻尾が途中で切れているのだが、アレは、いったい何の尻尾なのだろう? 少なくとも、獅子のものではないのは確実で、何かと言われれば、昆虫の下肢のように見える。
あの羽は、コウモリのものだろうか? 左側は途中でへし折られており、変な方向を向いていた。
発せられる言葉もめちゃくちゃで、人の言葉と、獣の唸り声と、虫の羽音がかき混ぜられたような、気持ち悪いものだった。
もしも、この世界の生物が神に創られたものだとして。
普段何気なく視界に収めている生物たちが、如何に完璧に創られているかが分かる。
そして、コレを創り出した存在が、如何に神とはかけ離れているかが分かる。
「あ、あ、あ、」
おぞましいとか、恐ろしいとか、そんな言葉では表しきれない。
あるのは、圧倒である。
脳がソレの存在を理解する事を許さない。
存在だけで、あらゆるものを超越している。
『諢帙?譏溘r隕?>縺セ縺』
その動きは、限りなく疾かった。
本来ならば動いた瞬間に終わっているほどなのだが、何故か目で追えた。
代わりに体が動かず、どうでもいい事ばかりが頭に浮かんだ。
結界は、端から二十キロはあったろう。
なのに、壊れてからここに現れるまで、十秒かかっていない。
その俊敏性を前に、この体で逃げ切れるはずがない。
目をつけられた時点で、終わっていた。
いや、そもそも何故目をつけられたのか?
他のどの獲物よりも、ここは近かったか?
否、そんなはずがない。ならば、何故わざわざここを狙ったのだろう?
理由があるとするのなら、
「あ」
クロノの眼前に、刃が迫る。
所々錆びているなまくらだが、あの質量だ。しかも、それを目にも止まらない速さで振るう膂力もある。
斬れ味など、まるで関係がない。
そのまま、体が泣き別れになるだろう。
色濃く、死を意識した。
そして、
「 」
横から、急に突き飛ばされた。
フラフラの状態のまま、耐えられるはずもない。
弱い力ではあったが、為す術なく地面に激突する。
血の味と土の匂いを強く感じる。
「あ」
本当の意味で、仲良くなれると思っていた。
頑張り屋で、自分の努力を表に見せず、卑屈で、なのに尊大に振る舞って、弱い自分を見せようとしない。
初めての友達になれると思っていた。
戦って、血を流して、それで理解し合えた、初めての人だった。
なのに、
「ああ……」
彼は、腰から下が無くなっていた。
冗談のように内臓が飛び出ていて、力なく倒れ伏していて、視界の全部が赤くなって。
目に、生気が宿っていない。
完全に死んでいると、見ただけで分かる。
『邨カ譛帙?縺ゅj縺セ縺帙s』
笑っている。
嗤っている。
友の死を、嘲笑われている。
この『冒涜』は、自分だけでなく他人すらも、こうして倫理を踏み躙る。
怒りを覚える。
憤怒に身を任せることに、躊躇いはない。
そして、
「死ね」
使ってはいけない力を、使った。
化け物は吹き飛ばされた。
そして、
直後、地響きが起きる。
何もかもが、白で埋め尽くされる。
全てを無に帰す、大爆発が起こった。
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