第2話 宮廷の魔術師

 窓から差し込む淡い光に目が覚めて、まなぶは寝ぼけながら半身を起こす。

 柔らかで手触りの良い寝具に我が家でないことを思い出し、慌てて辺りを見回した。

 ベッドは五人並んでも一緒に寝られそうに広く、天蓋てんがい付きと贅沢な装飾の付いたものだ。真っ白なシーツと掛け布団はとろけるような肌触りで、何度も頬擦りしたくなるほどだ。

 寝かされていた部屋は学校の音楽室を二つ繋げてそれよりも広い。

 華美ではないが質の良さそうな家具が配置され、ふかふかの絨毯じゅうたんや繊細なレースや細かい刺繍のカーテンが設置されたホテルのスイート顔負けのものだった。

 所在なげにしている学は意を決して起き上がる。

 そしてハタと気がついた。

 寝巻きを着ているのだ。

 ちょっと待てよ?

 学は自分の行動を思い出してみるが、リーインの所で居眠りをかましてからの記憶はない。

 はて。

 彼女は気恥ずかしくなるようなワンピース状の透ける真っ白な寝巻きを見下ろす。美しいレースが施され、動いたら引っ掛けて解けそうだ。

 ノックの音がして「お嬢様」と声がかかる。

「はい?」

 お嬢様ではないけど、と思いながら答えると、失礼します、と扉が開かれた。

「お目覚めかと思い、参上しました」

 メイド服を着た少し年上くらいの女の子が学の前で一礼した。

 ミルクチョコレートのような茶色い髪をきちんと後ろでまとめて、誠実そうな焦茶の瞳が学を見つめている。

「えっと」

 どうして良いのか分からず、学は気まずい思いで彼女を見ていると、それに気が付いた彼女は弾けるように微笑んだ。

「私はお嬢様専用に配属された侍女のアトリスです。お着替えやお食事のお世話など、生活に関すること、それ以外のお世話もさせていただきます。ですから、なんでもご希望はおっしゃってくださいね」

「ありがとう。よろしくお願いします」

 他になんと言って良いのか分からず、学は頭を下げた。

「いやですわ、お嬢様。お嬢様は私のご主人様です。私に頭を下げる必要なんてないのですよ。堂々としていてくださいね。それから、旦那様からお衣装を用意するように言われていたのですが」

 ここで戸惑い気味にアトリスは学を伺う。

「騎士服のようなズボンが良いとおっしゃられたとか」

「そうそう。動きやすいものをお願いしてんけど、大丈夫やったかな」

「ええ、それは。旦那様が身につけていらっしゃるようなゆったりした型の貴族の男性が着ておられるようなものではなく、軍服のようなものが良いと、それでお間違い無いですね?」

 何度も念押しされて、学は少々うんざりして頷いた。

「そうやけど、そんなに確認しなあかんことなんかな」

「それはもう。妙齢の女性でズボンなど、お止めするのが侍女の務めです」

「そんなに?」

 学は驚いて目をぱちくりさせる。

「しかし、旦那様の許可は出ていますのでご用意はさせて頂きました。公爵家のお嬢様に相応しい最高級の布と高い縫製技術とで超特急で仕上げられた逸品たちですので、どこへ行かれても恥ずかしくない装いです」

 ふんっと鼻息も荒くアトリスは言い置いて、小姓に衣装の入った箱を運ばせると、その中の一着を取り出した。

「本日はこれをお召しになってご登城頂きます。騎士服のように気高く、しかし軍服のように粗野ではなく、優美で華麗なお衣装はお嬢様の雰囲気に合い、最高に美しく仕上がること間違いありません」

 猛然と着替えさせられて、学は引き気味にされるがままになっている。

 ぐう、とお腹が鳴る生理現象のおかげでアトリスが手早く仕上げてくれなかったら、やれ化粧だ、やれ香油だとあれこれ意に染まぬ装飾を施されるところだった。何やらアクセサリーもつけられそうになるのを断って、学は己の姿を鏡で確認する。

 どこからどう見ても漫画に出てくる貴公子というやつだった。それが自分なのが不思議なくらいだ。

 髪は丁寧に撫で付けられ、わざと少し解けさせてスキを作ってあるのが自分ではない者のように色香を作り上げている。

 プロに任せると美人になるのか、と驚いているとアトリスが鏡越しに熱い視線を送ってくる。

「本当に首飾りも、化粧もいらないのですか?こんなに美麗なのにもったいないです」

「いや、そういうのはいらないから」

 騎士服のようにかっちりはしていないが、細かい刺繍が施され、デザインも着心地が良いのにラインが美しく出る秀逸なものだ。品の良すぎるユニフォームと言ったところで、王城へ行っても不審人物とは思われないだろうと学は思った。欲を言うのならば、ツナギのように汚れることを前提とした服が欲しかったことである。

「それではお食事にしましょうか。食堂で準備が整っていますので、こちらへ」

 アトリスの案内で食堂へ向かうが、何せ広い屋敷だ。移動だけでも体力がいるな、と学はうんざりしてきた。

 食堂では豪華すぎる食事が並び、学の食欲は必要以上に満たされる。

 朝から食べ過ぎだな、と反省しつつ、学は食後のお茶を入れてくれているアトリスに目を向ける。

「アトリス、今日は私は自由にしていてもいいの?」

「いいえ、これから王城へ登城して頂きます。なんでも宮廷魔術師の方からお嬢様の魔力を調査していただくとか」

 言っているアトリスの言葉から、宮廷魔術師というものの地位が高いことが窺い知れた。まるで憧れのアイドルに会えるなんて羨ましいと言った表情だ。

「それって良いこと?」

「もちろんです。普通は宮廷魔術師には貴族の方でも会える方は稀なのです。もちろん、国の一大事や戦争になれば宮廷魔術師は表に出て民を救って下さいますが、それ以外の場所では王城の奥深い魔術棟で鍛錬なさっているとか」

 なんだか詐欺師集団じゃないのか、と疑いの感情を抱きながら学は相槌を打った。

 魔法なんてものに馴染みのない学にとって、魔術師の偉さが分からないのは仕方のないことだった。

「とりあえず、案内はしてもらえるんよね?」

「それはもちろん。私も公爵家の侍女としてお嬢様に同伴を許されております」

「あ、そうなの?良かった。知らない所へ行くの、何気に緊張するねんなあ」

 見た目に合わない、とよく言われる学の性質である。

 いつも堂々としていてクールだ。そんな評価を受けているが、そういうわけではないことは本人がよく分かっている。

 人の見た目なんて、本当に信用ならないのだと声を大にして言いたい。

「お嬢様、馬車が準備できたようです。参りましょうか」

 アトリスはどこで察知するのか、玄関前に馬車が用意できたことを告げて学を誘う。

 お見送りの侍女や侍従がわんさか出てくる中、立派な馬車に乗せられて、学は再び王城へと赴くことになった。

 道中はアトリスの面白い話で大いに笑った学は緊張することなく王城の中へと入ることができた。

 今回は王太子への挨拶やらはしなくても良いというお達しがあったらしく、アトリスと一緒に学は嫌と言うほど歩かされる。王城勤務の騎士団の所属という見目麗しい青年フェンに奥へと案内されながら、そろそろ呼吸が荒くなってきた学は文句を言ってやろうかと口を開きかけ、そして同時にそこに到達した瞬間に足を止めた。

 王城の魔術棟。

 それは何世紀も前に存在した石造の古城跡を好きに弄り倒した建物だった。石造の壁にはツタが這い、幽玄な雰囲気は訪れる者の足を止める。寒々しい印象に付け加えてどこか恐ろしいものが現れそうな重苦しい空気を纏っている。

 しかし、学が足を止めたのはそんな魔術棟の見た目のせいではない。

 何か圧迫感を与えてくる大きな力を持つ存在感に反応したからだ。

 案内の騎士フェンは足を止めた学を振り返り、期待に満ちた藍色の瞳を向けてくる。彼の柔らかな金髪がふわりと揺れて幻想的な美しさを醸し出している。

「異世界人殿は分かるのですね」

 何が、とは言わない。アトリスが不思議そうに美しい騎士を見上げるが、何をとは問わなかった。ここでは学のおまけだからだ。

「入っても大丈夫なんかな」

 不安に思って学は言ったが、フェンには殴り込みに来たで、と言っているように見えたようだ。

「今回の異世界人殿は本当に迷い込まれただけなのですか」

 フェンにそう問われても学にわかるわけがない。

「聖女とかそんなんとちゃうのは分かるやろうに」

「それはどうでしょう。見た目や態度で判断はできませんから」

 フェンは人懐こい笑顔で学を見つめる。異性に興味のなかった学でも、彼に対してはなんだか心が騒ぐ。

「異世界人って言うても、普通の人やろ?私もそうやし、ホンマやったらそっとしておいて欲しいところやで」

「確かに多くの平凡な異世界人がこちらへ渡ってきたのは事実です。本人の意思とは関係なしにこちらの世界へ来てしまい、人生を大きく変更せざるを得ないのは非常に困難なことだろうと察します」

 フェンは志ある騎士らしく気遣いに満ち、知性ある瞳で物事を見ているようだ。そんな彼に学は好感を持つ。

「侍女殿、少し異世界人殿と二人で話をしても?」

 フェンは公爵家の監視役であるアトリスに許可を求める。アトリスは学が頷くのを見て、そっとその場を離れた。

「話って?」

 学はフェンを真っ直ぐに見た。

「老婆心ながら忠告を、と」

「忠告?」

 声を潜めたフェンに訝しげな表情で学が問い返す。

「はい。公爵閣下は差別主義者です」

 学は意味が分からずに首を傾げる。

「リーインさんが言ってたわ。異世界人って言うて差別する人がおるって」

「まさしく公爵閣下がそうです。階級差別は彼の方はなさりません。小気味良いほどの実力主義者です。ですが、異世界人にはひどく冷酷で憎しみすら感じていらっしゃる。そんな閣下にメレス殿下があなたをお預けになったのには何か深いお考えがあるのだと思いますが、それでも、危険なことではないかと私は思うのです」

「危険」

 学は昨日のリーインの様子を思い浮かべる。

 わずかな時間ではあったが、彼は誠意を見せてくれた。しかし、確かに学の嗅覚は彼の何かしらの違和感を感じ取っていた。

 それが異世界人への差別。

「どうしてそれを教えてくれたんか聞いても?」

 学の問いにフェンは短い逡巡を見せたあと、寂しそうに微笑んだ。

「昔、聖女様に助けていただいたことがあります。異世界の話を聞いたり、親しくさせて頂きました。何か恩返しがしたいと聖女様に告げると、他の人に親切になさいと仰られました。それからは私は人助けを心掛けています。それに私は公爵閣下と幼馴染ですが、閣下にも異世界人をもっとよく知ってもらい、過去の経験で曇った目を洗い流して欲しいのです」

 フェンの言葉は学には少し理解に追いつかないところがあったが、詳しい話をするつもりはないようだったので、大まかに理解することにした。

「ご忠告、どうもありがとう。でも私はリーインさんに預けられた身なんで、自分の好き勝手する訳にはいかなさそうやし、リーインさんが私へ嫌なことするなら、まあ、甘んじて受け入れはしないけど、立場的には逃げられなさそうやし、我慢するしかなさそうやなって思ってました」

 学の言葉にフェンが驚いた顔をする。

「お若いのに、状況を受け入れられるのが早すぎませんか」

「あー、まあ、実家が商売しているので、そういう世間体っていうのはよく分かってるつもりやけど」

 学は顎に手を当てて考えるふうにしてフェンを見た。

「悪い人ではなさそうやし、このままリーインさんにはお世話になります」

「そう、ですよね。貴女に選択肢はないのだから。でも、困ったことがあれば私に相談して下さい。必ず、お助けすると誓います」

 フェンは学に立礼を捧げる。

「ありがとう。でもフェンさん、無理は禁物ですよ」

 騎士が総理大臣みたいな人の権力の前に敵う訳がないのは常識だ。

 あまり無理をされても寝覚めが悪い結果にしかならないなら、気持ちだけ受け取っておくほうが気が楽だ。

「本当に、貴女は今までの異世界人殿とはまるで違うようだ」

 フェンは感心して言った。

 彼にそう思わせるものが何か分からなかったが、学は褒め言葉として受け取っておくことにした。

 フェンは離れた所で待機していたアトリスに目で合図して話が終了したことを告げる。

 そのあとは何事もなかったかのように奥へ案内してくれる。まるで幽霊でも出そうな雰囲気の場所だが、明るい日差しが入り込んでいて無駄に怖いと言うことはない。

 古いだろう石畳はちゃんと磨かれ、輝きを保っている。そこかしこに植物が侵食しているが、逆にそれが無機物からの攻撃を和らげている気がする。

 彼は大きな木の扉の前で立ち止まり、ノックした。

 学は不意に緊張感が増して頭を掻いた。

「どうぞ」

 中から若い、それも少年のような声がして入室を許可した。

「第一騎士団団長のフェン・クラークハイム殿が何用でしたかな」

 中にいたのはまるっきり少年の姿に紫色のローブを纏った存在だった。

 彼は絵画の中から抜け出してきた妖精のような見た目で、学は不思議な感覚に彼をくまなく見つめるという不躾な視線を止められなかった。髪は黒髪で日本人に馴染みがあるものの、瞳は濃い紫という別枠ぶりだ。

「って、フェンさんは第一騎士団の団長」

 てっきり平の団員騎士だと思っていた学は驚いて隣に立つ人の良さそうなフェンを見上げる。

「はい、一応団長職を承っております」

 柔和な笑顔で答えた彼がまさかの人の上に立つ者だと知って、学は動揺した。想像していた騎士とは違ったのだ。麗しく優しすぎる見た目に騙されたと勝手に思う。自分がよく誤解されるのに、少し申し訳ない思いも込めて、信頼していると目線で訴えておく。

「デスラー魔術騎士団団長、殿下から連絡が入っていると思いますが、こちらの異世界人殿の鑑定をお願い致します」

 口調は丁寧に、だが有無を言わさない圧力を持ってフェンは言った。

 眉尻を上げて少年はフェンを見る。

「ふう。この私が、直々に、その異世界人の相手をしろ、という命令は、本当だったのですね」

 いちいち言葉を切って、少年は言った。

「殿下がたまたま拾っただけの異世界人だろうに」

 少年がぼそっと漏らした言葉はちゃんと学の耳にも聞こえていた。

「仕事はちゃんとせないかんよね?」

 余計なお世話だとは思ったが、学は声をかけた。

 キッときつい目で見返されて学はふふんと他所を向いた。

「いいでしょう。あなたの隅から隅までお調べしましょう」

 暗い色を宿した少年の目は老獪な色を帯びて狂気を感じさせる。

 学は背筋に寒気を覚えて敵に回す人間を間違えたかな、と弱気になる。

「フェン・クラークハイム団長、もう帰ってもらってもいいですよ」

 デスラーに言われてフェンは首を振る。

「私は殿下に言われて全て見届けるよう言われておりますので」

 引く気はないのだと宣言する。

「いいでしょう。ここは私の管轄。あなたは指を咥えて見ているがいい」

 なんだか悪役のセリフのように言ったな、この子。

 学はなんだか愛らしいものを見る目で少年に目を向ける。

「ちょっと、そこの異世界人、何か勘違いしてみるみたいだけど、私は偉い人間なんだぞ。分かってる?」

「うんうん。大丈夫」

 学は気楽に答えて微笑んだ。

 思っていたよりも、なんだか馴染めそうだった。

「ふん、余裕な顔をしていられるのも今のうちだぞ」

 デスラーは立ち上がって、手を大きく空中に振りかぶる。すると淡い光に包まれた黒板のようなものが現れて文字が記される。

「お前が最後の異世界人と言うわけか」

「お前とちゃうよ。学。ほら、呼んでみ?」

「マナブ」

 親しみを込めてフェンが学を呼ぶ。するとデスラーがムッとした表情になる。

「学、行くぞ」

 デスラーがぶっきらぼうに言い、別の場所へ移動するよう促す。

「はいはい」

 学は小さい子の癇癪に微笑んだ。

 移動した先の部屋は体育館のように広く、向こうの壁には的のようなものが見える。

「ここでは魔力量の測定と属性検定による攻撃力のテスト、それから身体計測を行う」

「あー、こないだ学校で身体計測したっけな」

 学は不意に襲ってきた寂寥の思いに足元を掬われそうな感覚に陥る。あの時は冬香が学の背の高さを本人に代わって自慢するように腕を組んできていた。だが、今現在その冬香は隣にいない。

 ここはどこで、自分は一体どこへ向かうべきなのか。

 安心できる場所はどこにある?

「マナブ、私が一つ一つ説明しよう」

 彼女の肩を守るようにフェンが手を置いた。

「ありがと」

 学はいくらか落ち着きを取り戻した。

 そんな様子を横目で見ながら、デスラーは淡々と検査メニューを確認するふりをしていた。

「まずは魔力量の測定だよ。あの水晶に手を当てて見てごらん」

 フェンが指差したのは、繊細な彫りの施された台座に乗った子供の頭よりも一回り大きい透き通る水晶だった。

 見つめるとゆらゆらと蜃気楼のようなものが見えてくる。

 意を決して右手を水晶の上に置いて見ると、なぜだか水晶は中に煙を集めたように白濁してしまった。

「これって正常な色?」

「あー」

 フェンはデスラーを振り返る。当のデスラーはまん丸の瞳で水晶を凝視している。

「壊れているのかな?」

 フェンは水晶に乗せた学の右手を自分の両手で包み込んで外すと、今度は自分の右手を水晶に当ててみる。

 すると炎が水晶の中に渦巻き、まばゆい光を放つ。

「壊れている訳がないだろう」

 デスラーがぼそっと言い、フェンの常識はずれの魔力量に眉を顰める。

「それだけの魔力を有しているのに魔術騎士団に入団せず、第一騎士団の団長などとクソ笑える地位にいる奴の魔力量はちゃんと測れているのだ。壊れている訳がない」

 デスラーはじいっと学を見ている。

「芳しくない結果やったって言うこと?」

 学が恐る恐る尋ねるとデスラーはため息をついた。

 子供が大仰にため息をつくと、つかれた本人は非常に気まずい立場になってしまうことを学は知った。

「まずあり得ないことが起こった。この水晶は触れる者の属性と魔力量を反映させる。今のフェン団長のように属性は火、そして魔力量は王国一の輝度を示した。属性というのは、火、水、風、地に分けられる。その中にも細かい種別はあるが、ここでは省く。つまりは、白く煙ることはないということだ。属性無しならば水晶は変化しない。聖女であるならばまるで太陽の光が閉じ込められているかのように眩い光に溢れ出す」

「つまりは、どういうこと?」

 学の問いにデスラーが彼女を睨む。

「俺が聞きたい」

 俺って言った、と学が微笑むと険しい顔でデスラーが学の前に歩み寄る。

「何者だ?異世界人を装おった侵入者か」

 只事ならぬ気配に学は少々戦慄した。

 子供かと思って油断していたら、魔術騎士団団長という地位にある者らしく、相手を威圧することもできるらしい。

「そんなこと言われてもなあ」

 学はわざと間延びした声を出した。

 それから表情を変えてデスラーを見下ろす。

「言うとくけど、来たくて来たんとちゃうで。勝手にそっちが呼んだんとちゃうのん?それを侵入者扱いやなんて、心外やなあ?」

 内面はともかく、見た目は散々冷たい、冷酷だのブリザード王子と言われ続けた身だ。それなりに場数も踏んでいる。

 見た目だけの脅迫はお手のものだ。

 そんな学の様子にフェンが、嬉しそうに微笑んでいる。何を以ての笑顔かは甚だ疑問だが、好意と解釈して良さそうだ。

 デスラーが学の静かな迫力に少し身を引いた。顎を引いて考えるように彼女の姿を確認して、また盛大なため息をついた。

「異世界人であることに間違いはないし、敵意もないと判断した。悪かったな」

 素直に謝って、デスラーは学に背を向けた。

 だてに騎士団長の地位にいるのではない。

 デスラーは観察することに意識を集中しているようだ。

「次は何らかの魔力が発動できるかテストする。こっちだ」

 デスラーの案内で別の部屋に移動することになるが、フェンが、おや、と言う顔で少年の背中を見ている。

 彼らは地階への階段を降り、フラスコやらいかがわしい見た目の薬品の入ったボトルの並ぶ棚を越え、広々とした空間に入った。生活感のあるごちゃごちゃした物も床に放置されていて、一瞬ゴミ屋敷かと思った学だったが、どうやらここはデスラーの私室らしかった。

「散らかっているのは私のせいではないからな。断じて」

 言いたいことが分かっているのだろう少年はキッと学を見据えて断言した。

「それならどなたかのせいなんでしょうねえ」

 学は分かっていますよ、という表情で答える。

「信じてないだろう」

「いや、別に信じる信じないやなくて、そう言うもんなんやな、と」

 学は笑顔で答える。

「ランテス、お前のせいで私が片づけられない性格みたいに思われてるぞ。主人に恥をかかせるとは」

 デスラーが斜め上の宙を睨んで言うと、闇を纏った青年が宙に浮いた状態で現れた。

 目でもおかしくなったのかと学は一瞬彼らから目を逸らし、そしてもう一度確認する。

 やっぱり、いる。

 デスラーは急に現れた青年と言い争いをしており、こちらは眼中に無いようだ。

「フェンさん、あれ、見えます?」

 学は自分が見えているものが正しいのかフェンに視線を移して尋ねてみた。

「はい。私もそれなりに魔力がある方なので、精霊を見ることは可能です」

「じゃあ、アトリスも見えるの?」

「私も微弱ながら魔力がありますのでかの方のお姿を拝見することはできますが、畏れ多くて」

 彼女は節目がちに、漆黒の色彩を持つ青年を見ないように答えた。

「畏れ多い?」

「はい、精霊は人智を越える存在です。自然の脅威をそのまま身に宿していると言えます。そんな精霊を使役なさる魔術師の方々は素晴らしいですが、精霊というものは私には怖いとしか」

 アトリスの言葉に学は見た目の割に軽薄そうな漆黒の青年を見た。

 ふと青年が目をこちらに向ける。

「カーライン、あれは何という生き物だ」

 彼はデスラーに問いながら、まっすぐに学を見ている。

「異世界人だ。お前も一緒に過ごしたことがあるだろう。聖女とか」

「ああ、あれの仲間か。しかし、全くの別物じゃないのか?魔力は全くないのに、俺を見ているぞ」

「魔力が、ない?」

「ああ、カケラもないな。それなのに、精霊である俺を見ている」

「魔力がないのに、どうして精霊を見ることができるんだ」

 不可解な出来事にデスラーの眉が寄せられる。

「知るか」

 主人に対して敬意のない精霊はそれっきり興味を失ったかのようにデスラーの頭をぐりぐりいじって遊ぶことに集中し始めた。

「こうなったら解剖して詳しいデータを取るか」

 ぶつぶつ考えるように言ったデスラーに学はギョッとしてフェンの後ろに隠れる。

「こらこら、デスラー団長。冗談は実力だけにしておいて下さいね」

「何だと?」

 一触即発、とまではいかないニコニコ顔のフェンと頭を精霊に弄られながら攻撃的なデスラーを交互に見て、学は内心ため息をついた。

 何だか面倒な所へ来てしまった、と頭を抱えながら、これからの生活を不安に思うのだった。
















 

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