忘れ者
私は学生寮の管理人をやっている。やることと言えば、学生さんに挨拶をすること、玄関横の管理人室で新聞を読むこと、たまに来客の案内をすることぐらいのものだ。
やりがいのない退屈な仕事と思われるのかもしれないが、自堕落な私にとってはまさに天職なのだ。
それはなんでもない休日のことであった。休日とは言ったものの、私にとっての休日ではなく学生達にとっての休日である。
私はいつものように、外出する学生達を新聞を片手に管理人室の小窓から見送っていた。
ある学生が一人、小窓前にはっとした顔で立ち止まりすぐさま踵を返して走っていった。
廊下を走るなと小言の一つでも言おうかと小窓から顔を出したが、その学生の姿はどこにもなかった。
今朝入れたコーヒーもぬるくなってきた頃、先ほどの学生が、今度は大荷物を背負って小窓の前を通り過ぎて行った。
なんだ、忘れ物でもしていたのかと思っていたところ、彼がまた来た道を戻ってきたのである。そそっかしい子だな、と溜め息と共にひとり呟く。
次に彼を見た時、私はとても驚いてしまった。無理もない、先程背負っていた大荷物がどこにも見当たらないのである。これはまた引き返すのではと思っていたら、案の定、彼は逆戻り。
三度目の正直だ。流石にもう何かを取りに帰ることもないだろうと思った矢先、寸刻前とは違う服装で彼は現れた。手荷物らしき物は見当たらない。またも踵を返す。
これ以上は我慢ならないと私は彼に声をかけた。
「何度も往復しているようだけど、君は一体何をしているんだい」
「忘れてしまったのです」
「何を?」
「何を忘れたのかを、何をするつもりだったのかを、忘れてしまったのです」
私は呆れるわけでも憐れむわけでもなく、ただ呆然とした。
あゝなんだ、彼は私ではないか。
ふっ、と蝋燭の火が消えるように彼はいなくなってしまった。
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