第11話 アデライドお母様、しらーっとした目で辺境伯を見る。
バラデュール辺境伯がアデライドを疑うであろうことは、最初からわかっていた。むしろこの辺境伯の言葉は、問答無用で追い返されたり切り捨てられたりするよりも穏当な対応だ。
ありがたいことにバラデュール辺境伯領は地獄ではなかったし、辺境伯は普通の倫理観の持ち主だった。
「王家の金庫番といわれるフランセル子爵が、王家から逃げるだと?」
「……まず第一に、フランセル家は王家と親しくはございません。権威に媚びへつらう趣味があった元夫のせいで、別れた今も迷惑しておりますの。第二に、王都での私のあだ名は〝金庫番〟でも〝錬金術師〟でもなく、〝金庫〟そのものであり〝金の卵を産むガチョウ〟ですわ」
フランセル家がよく稼ぐので、王家を筆頭にフランセル子爵家には金が無尽蔵にあると思っている中央貴族の多いこと。
彼らが申し込んでくる借金の額など大したものではないし、今後アデライドやシャルロットが王都で活動するにあたって何かの役に立つかもしれないと思って黙って金を貸していたら、ついたあだ名がひどかった。
「元はといえば、閣下が経済封鎖をなさるから……」
辺境伯家にゆかりのある貴族領の物が王都に入ってこなくなり、イザベル嬢の縁で隣国からの輸出入にも制限が入った。どんどん上がる物価と、募る閉塞感。中央貴族達のなかでも危機管理意識の高い者は、さっさと王都を脱出している。
残っているのは「自分達は貴族で、王家の覚えがめでたく安泰。ゆえに無敵」となぜか思い込んでいるボンクラか、この機に乗じて金を稼ごうという商魂たくましいアデライドのような者ばかりである。
「フランセル子爵が逃げ出したということは、荷止めも多少は効果があったか」
「……第三に、私はフランセル子爵家当主の座を退きまして、今はただの隠居です」
あの状態でもボンクラ相手に稼ごうと思えば稼げたけどなあ……と思いながら、アデライドは扇子で口元を隠して微笑んだ。
「隠居!? まだそんな歳では……いや、失礼」
ゴホンと咳払いをして、辺境伯はやや冷めた紅茶で喉を潤した。
「あなたが離婚して本格的に活動を始めて、まだ二年ほどだろう? 驚異的な稼ぎ方だが、ハイペースに金の卵を産みすぎて早くも廃鶏になったか」
かなり手厳しく、アデライドの人格を貶めるような言い草だった。が、元夫達のせいでフランセル子爵家は王家派とみられているのだ。バラデュール辺境伯からすれば、アデライドは間違いなく敵対派閥の人間である。
どんな目的があってこちらに乗り込んできたのかと警戒するのも当然だし、敵対する派閥の人間が会話をするのなら、痛烈な嫌みの一つや二つはあって然るべきものである。
むしろ辺境伯のその物言いは、女であるとか子爵家であるとか、そういう侮りがない。
アデライドと対等に向き合い、警戒し、こちらの様子をうかがっているのだろう。
そう考えると清々しささえ感じるが、とはいえ不愉快ではあるので、
「……まあ、閣下……」
と、しらーっとした目で辺境伯を見やる。彼はしまったという顔をして、アデライドから視線をそらした。
「すまない……その……つい思ったことを言ってしまうタチでな……。よく娘にも口を慎めと扇子で
大きな体を縮めてもじょもじょと謝る辺境伯のつむじを見ながら、アデライドは深い溜め息をついた。
確かバラデュール辺境伯は、ずいぶん前に妻を事故で亡くしている。それ以来、社交界からは足が遠のいており、辺境伯という自領から離れられない役目を担っていることも相まってパーティーなどでもあまり見かけたことがない。
そのせいで〝戦い〟として敵対派閥の人間への応対は優秀でも、〝社交〟としての女性の扱いは雑になっているのかもしれない。
にしても淑女であれば泣きながら部屋を飛び出しそうな言いぐさだったが、この程度の失言ならば問題ない。悲しいかな、アデライドには耐性がある。
元夫はアデライドの心を折るために自覚してもっとえぐいことを言ってきたし、やんごとなきお方お二人の悪意ないご発言には、思わず人生を止めたくなるほど打ちのめされた。
「閣下の失言など、こちらの方々のお言葉に比べたらバラの棘に触れた程度のものですわ」
とはいえ棘は棘、触れれば痛い。
バラの棘よりさらにささやかな棘でバラデュール辺境伯をチクリと刺しながら、アデライドは膝の上に乗せていた革のファイルから書類を取り出し、辺境伯へ渡した。
例の、オーブリー殿下との婚姻に関する書類である。
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