第13話 アデライドお母様、再び衝撃を受ける。

 辺境伯の言葉に、アデライドは目をまたたかせた。


 「……カヴァネスやメイドとして、ではありませんの?」


 「娘はすでに学院を卒業して家庭教師は必要ないし、フランセル殿ほどの女性をメイドとして雇う馬鹿はおらん」


 にっこりと笑顔を向けられて、アデライドの戸惑いはさらに募った。


 「やはり王家の差し金とお疑いなのでしょうか。私に槍を持って敵に突撃し、戦場で散れとおっしゃるの?」


 生まれも育ちも貴族のアデライドである。元夫が時たま手近にあった棒を手にして暴れまわっていたのを見てきたので、普通の貴婦人よりは暴力的な光景に耐性があるけれど、さすがに槍も剣も振るったことはない。持ったことがある刃物は食事のときに使うナイフくらいのものである。


 「誰があなたに槍働きをしろといった」


 今世紀最大の笑える冗談を聞いたとばかりに豪快に笑うと、辺境伯は目尻に浮かんだ涙をぬぐった。

 あまり見ない高位貴族の大笑いに、アデライドの困惑は深まるばかりである。笑うと意外と幼く見えるし、傷のある頬にえくぼができるなどという、のちになんの役にも立たない情報ばかりが蓄積されていく。


 「先ほどの話で出た、王都への経済封鎖の件だが」


 ふーっ……と気持ちを落ち着かせるために大きく息を吐いてから、辺境伯が笑いの余韻が残る声で続けた。


 「こちらも被害がないというわけではない。だいぶ無理をさせた」


 「それはそうでしょう」


 金が回る王都で商売ができないのは、経済的にはきつかっただろう。腐っても王都である。

 バラデュール辺境伯家自体は大貴族だから揺らぐことはなさそうだが、派閥のなかでも少ない資金でやりくりしているところや、これといった売りのないところは今もつらいはずだ。


 「派閥の経済を立て直すのに〝錬金術師〟ほど適任はおるまい。ある程度の資金と権限を渡すから、派閥からの相談を受け、領地経営の状態を分析して経営改善や強化のための提案をしてほしい」


 「つまり私に閣下の派閥の、経済的な相談役のようなことをしろということでしょうか」


 そうしたことは得意だし、お金儲けや商売はアデライドの唯一の趣味でもあり娯楽でもある。やれといわれれば、おそらく良い結果も出せるだろう。


 うなずく辺境伯に、けれどアデライドは眉根を寄せて首を傾げた。


 「派閥違いの私に任せることではございませんわ」


 「部外者だからこそだ」


 派閥違いだからこそ、派閥内の上下関係や力関係を忖度せずに思いきりできるだろう。むしろそうしてくれ。と言われ、アデライドはなるほどうなずいた。


 「存在しないはずの金を持つ者や、納めるべき金を知らぬ顔をして貯めている者もいることはわかっているが、今は手が離せないことが多くて内に目を向けられないのでな」


 「つまり、閣下は私に派閥内の掃除をせよと?」


 「頼む。俺はその間、外の掃除をするのに忙しいのでな」


 「まあ……!」


 掃除は好きだ。

 大事にしなければならないものはきちんと手入れをし、捨てるべきものを捨て、代わりに新しいものを据える。ゴミも埃も綺麗に掃き出したあとに換気をすれば、部屋は爽やかに風が通る。

 アデライドは、その正常な空気が好きだ。清浄で風通しのよい場所は運気も上がる気がする。


 想像したら楽しくなってきてしまって、アデライドは扇子で口元を隠すのも忘れて満面の笑みを浮かべた。


 「せっかくこの……」


 辺境伯はそう言いながら、アデライドが持ち込んだ〝王家の無茶ぶり〟をひらひらとそよがせ、からりと笑った。


 「誰が見ても納得する掃除の理由が、我が家の庇護を求めて逃げてきたのだ。ありがたく活用させてもらおう」


 手に入れたときは、フランセル子爵家に理不尽な要求を突き付けた王都の貴族とやんごとなき方々の鼻面にパンチできるかもしれない……と思ったものだが、まさか本当にそのために役に立つとは思わなかった書類。辺境伯の手によってまるで風にそよぐ木の葉のように揺れるそれを目で追いながら、アデライドは身を乗り出した。


 「まずはモンテルランからですか」


 「まあな。だが、これはすぐに終わる。そうしたら埃を被った金ぴかな置物を一気に片付ける。その時には、錬金術師殿にはまた中央で采配を振ってもらおうか」


 娘の卒業パーティーで受けた以上の衝撃が、アデライドの背骨を走った。


 目の前で楽しそうに笑うこの男性は、この国で最も尊いとされるものを、〝不要〟と書かれた箱に躊躇なく投げ入れる気でいる。それを手伝えと、アデライドに言うのだ。


 「楽しみですわね」


 心の底からアデライドがそう言うと、辺境伯が傷のある頬にえくぼを浮かべてうなずいた。

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