アデライドお母様の大掃除
万丸うさこ
第1話 アデライドお母様、婚約破棄に衝撃を受ける。
ふんわりした雰囲気の少女を庇うオーブリー第三王子殿下と、彼らに対峙するバラデュール辺境伯家のイザベル嬢のやりとりは、まるで劇を観ているようだった。
配役としてはふんわりした少女がヒロイン、殿下がヒーローで、イザベル嬢は悪役令嬢といったところだろうか。
しかし、
そして、婚約破棄だ! と叫んだ殿下に対し、イザベル嬢は飛んできた火の粉を払うような反射速度で「殿下の有責にて婚約破棄、承知いたしました」と返す。
いや、イザベル嬢の瞳は空ろというより虚無だった。
多くの貴族が見守る学院の卒業パーティーで王家の人間が……よりにもよって自分の婚約者が、これから来賓祝辞というときに
「何を言う! 学院ではララを無視し、社交界では令嬢たちの茶会から締め出して虐めた陰険な貴様が悪いのだろう!」
「殿下は私の婚約者であり、我が家に婿入りされることは王命でした。しかしながら在学中からその方と浮気をした。王命に背き辺境伯家ににらまれるような女性を皆が遠巻きにするのは当然では?」
うぐっと言葉につまった王子が視線と話題の先を少しだけ変えた。
「貴様が俺に与えられなかった愛というこの世で一番尊いものを捧げてくれたララとは真実の愛で結ばれている! 浮気などではない!」
「それを浮気というのです、殿下。さらに婚約者のための資金で、その浮気相手に高価なドレスや宝石を買い与えましたね」
「何が悪い! このララはこれから俺の婚約者となり、ゆくゆくは結婚するのだから、その金を使うのは当たり前だ!」
イザベル嬢はパンッ! と扇子を広げ、汚物を見るように王子を見て続けた。
「それは王家が用意した婚約者の私のために使うべき公的資金です。それを愛人に使うことは横領ですわ」
「そ、そんなひどいこと……!」
男爵令嬢が目を潤ませて何かを言おうと開いた口をひとにらみで黙らせて、イザベル嬢が続けた。
「まあその無礼な女性と添い遂げたいとおっしゃるのならかまいません。バラデュール辺境伯家は先日、先んじて婚約破棄を申し入れましたので」
「な、なんだと!」
辺境伯令嬢の言葉に、学園の在校生や今日卒業する卒業生たちは全く動揺しない。彼らは学園で本人たち的には王子と男爵令嬢の忍ぶ恋(はたから見れば見せつけるような、はしたない逢瀬)を目の当たりにしてきたので。
王族という権威を取っ払ってみれば、自分のものでもない金をつぎ込んでまで女に貢ぐだらしのない男がいるだけだ。生徒たちの間では、オーブリー殿下はいつか婿入り先のバラデュール家が爆発して王家に突き返されるだろうと語られ、それがいつになるか密かに賭けになっていたほどである。
他国からの侵略を防ぐために存在するバラデュール辺境伯は、一族郎党おしなべて武闘派である。さもありなん。
ザワザワと動揺しているのは、卒業パーティーの会場にいる彼らの保護者たちだ。
子供たちの報告は聞いていたが、これほど酷いとは思っていなかったのだ。
そして可愛い一人娘が今日卒業というのでパーティーに出席していた子爵家のアデライド・フォン・フランセルも、下位貴族の席が並ぶ二階席から王子と辺境伯令嬢のまるで劇のようなやり取りを見て動揺した。
それはもう、雷に打たれたうえに大きな鐘の中に閉じ込められて、外から筋骨隆々の男にウォーハンマーでガンガン叩かれているような衝撃だった。
辺境伯令嬢の朗々とした声が響く。
「顔を合わせば嫌味を言われ、容姿を
右脳から走ってきた馬車と左脳から走ってきた馬車がバーン! とアデライドの頭の中で衝突した。
そして隣に座る夫をこっそり観察する。
難しい顔をして舌打ちする夫。
女がでしゃばるなど、ろくでもないと吐き捨てる夫。
妻は三歩下がって頭を低くせよと命じる夫。
「王家がどうしても、とおっしゃるから結んだ婚約でしたのよ? それによって王家と我がバラデュール辺境伯家の閥との間に結ばれた友好関係も砂のように崩れ去りましたわ」
結婚前から愛人がいる夫。
結婚後も愛人のために土地を買い、家を建て貢ぐ夫。
「そのような男性を婿に迎え入れるなど、王家との結束どころか家の力を大いに削ぐでしょう」
フランセル子爵家の財産にたかる夫の親戚たち。
資金難で爵位返上寸前どころか一家離散寸前だったのを救われたというのに、恩を仇で返す夫の実家。
「どうぞモンテルラン男爵家で養ってさしあげて? 我がバラデュール辺境伯家には必要のない方ですもの」
びしゃーん! とアデライドの脳内に特大の雷鳴が
「……」
アデライドのかわいいかわいい一人娘にも全く関心がない夫。
婿養子の、夫。
アデライドはもう一度、隣に座る夫のことを上から下までじっくりと観察した。
不愉快そうにじろりとにらまれた。
愛人に貢ぎ、仕事をしないで遊びまわり、ギャンブルで借金を作り、それを妻が働いた金で支払う夫。
仲間に見栄を張るために乗りこなせもしない高価な馬を何頭も買う男。
愛人のためには高価な宝飾品を買うくせに、娘のためにはクッキーひとつ買ってきたことがない父親。
娘の晴れ舞台だというのに鼻から鼻毛が飛び出した父親。
「い、……」
アデライドは夫に聞かれぬように口の中だけで呟いた。
いらないのでは? こんな男。
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