あの夜の花火
泡盛草
第1話
夏休み、数年ぶりに来た祖父母の家は、前に来た時と変わっていなかった。外の花壇も玄関に飾られている絵も同じで、俺はなぜかホッとする。
リビングに入ると、じいちゃんとばあちゃんが嬉しそうに話しかけてきた。
「大きくなったねぇ。もう高校生だっけ」
「
「うん」
俺は照れくささでいっぱいだった。
「晴海くん、喉渇いたでしょう。何か出すから待ってて」
ばあちゃんはそう言って冷蔵庫を開けた。
「……あら、牛乳がない。夕飯に使うのに困ったわ」
そんなばあちゃんの様子に、母さんが俺にこそっと耳打ちしてくる。
「晴海、ちょっとコンビニで牛乳買って来なさいよ」
「えー」
「お願いー。お小遣いあげるから」
「まじ?」
俺はあっさり、お小遣いに釣られてしまった。
外に出ると、もう夕方だった。だが残念なことに、暑さは昼間とさほど変わっていない。少し歩いているだけで、じっとりと汗をかいてくる。
「コンビニ……思ったより遠いな」
必死に足を動かしていると、しばらくして海が見えてきた。薄闇の中に広がる海は、祖父母の家に来る度に遊んだところだった。
「懐かしい。今年も遊びたいなぁ」
立ち止まって眺めていると、ふと隣に気配を感じた。そろりと左を向いてみると、俺と同じくらいの年齢の男子がいた。濃紺の浴衣を着て、空を見上げている。
「あっ……」
俺は思わず声を上げた。彼を知っているような気がした。誰だっけ……えっと、そうだ。昔、よく遊んだ友だちだ。
思い出すのに時間がかかったが、彼とは確かに友だちだった。海で遊んだり、木登りをしたりしたときのことを、鮮明に思い出せる。
「ひ、久しぶり」
躊躇いがちに話しかけると、彼はこちらを向いた。
驚いたことに、記憶の中の姿と全く変わっていない。顔も髪型も、身長も着ている浴衣も、全て同じだ。
しかし、ここで再会の喜びを分かち合う……とはいかなかった。
「え……っと、あ、え?」
戸惑ったような、言葉になっていない声を出して、視線を彷徨わせている。
もしかして、人違いだった?
一瞬、そんな考えが頭をよぎるが、すぐに否定する。
そんなわけがない。忘れるはずがない。どう見ても、ここにいるのは俺の友だちなのだ。それも、親友だった。たぶん、思い出すのに時間がかかっているだけだろう。
「忘れちゃった? 昔、よく一緒に遊んだじゃないか」
「いや……たぶん僕ら、初対面だと思う、けど」
そう言って、彼はまた視線を彷徨わせた。
「え、初対面?」
まさかの初対面発言に俺がショックを受けていると、パァンと音が鳴った。何かが爆発したような音に、俺はびくっと身をすくめる。
刹那、辺りが明るくなった。海には無数の光が漂っている。はっとして空を見上げると、いつの間にか真っ暗で、闇の中に大輪の花が咲いていた。
おかしい。花火大会は明後日のはずなのに。じいちゃんが言ってた方が間違いなのか?
パァン、パァンと次々に広がる花火は色とりどりで、強い光を放っている。この世のものとは思えないほど美しい。眩しすぎて、不気味さすら感じられる。
「君、さ。名前はなんて言うの?」
「え?」
唐突に話しかけられて、俺は少し驚いた。
「あ……晴海だけど」
「そっか。君は僕の名前、知ってるの?」
「当たり前じゃないか。名前は……」
そこまで言って、俺ははっとした。その先が、出てこない。開いたままの口が、ゆっくりと閉じていく。
俺は必死に記憶を探った。隅から隅まで探ったが、出てこない。知っているはずなのに……!
彼はそんな俺をじっと見ている。暗いからか、その表情からは何も読み取れなかった。
名前も言えないくせに話しかけてきた俺を不審がっているのか、それとも俺がここにいることを迷惑がっているのか。
感情がわからない分、嫌な想像をしてしまう。
ドォン。
また、花火が上がった。
赤と緑の光が、彼の顔を照らしている。小さく口を開くのが見える。
俺は思わず身構えた。どんな言葉が降ってくるのだろう。
しかし、彼がぼそりと呟いたのは、予想外の言葉だった。
「……ここの花火の言い伝え、知ってる?」
「言い伝え?」
「会いたい人に会えるらしいよ」
なぜ、急にそんなことを言ったのだろう。
「会いたい人が、いるの?」
「いる。いるから今日、ここに来た」
「……誰に?」
「親友に、会いたい。あいつ、一人だけ行っちゃったんだっ……僕を置いて、あっちの世界に」
その声は少し、震えていた。
ドォン。
花火が上がって、再び彼の顔を照らす。花火を映した目は、僅かに潤んでいた。
彼の様子から察するに、おそらくその親友は、もう亡くなっているのだろう。
「そっか」
俺は何と言えばいいのかわからなかった。何となく気まずくて、下を向く。
その間にも、花火がどんどん上がる音がする。煙の匂いが、ぬるい風に乗って運ばれてくる。
「急に話しかけて悪かった。俺、もう行くよ」
早くコンビニ行かないと。もうこんな暗いし、きっと心配してるだろうな。
くるりと海に背を向け、一歩踏み出したとき、ぎゅっと手首を掴まれた感触がした。
「待って。もうちょっと……ここにいてよ」
振り返ると、驚くことに、彼が俺の手首を掴んでいた。
「何で……だって俺」
「さっきの話の続き、してもいい? 聞いてほしいんだ」
「いいけど、初対面なのに聞いていいの?」
「それなんだけど、もしかしたら僕ら、友だちだったのかもね」
友だち「だった」?
彼の表情はどこか真剣で、熱を帯びている。
「もしかしたら、さ。君が、僕の会いたい『親友』かも。だってこの花火は、会いたい人に会わせてくれるはずだから」
「ちょっと待てよ……おかしいだろ」
「どこが?」
「だって、その『親友』はもうこの世にはいないんだろ……?」
「でもたぶん、君が僕の『親友』だ。話してて、わかってきたよ。雰囲気が似てる」
「まさか……夏だからって、そんな話をしても涼しくなんないぞ、はは」
笑おうとしたが、顔が引き攣って上手く笑えなかった。
冗談じゃない。まさか俺、実は死んでるのか……? 嘘だろ?
だが、よくある話かもしれない。死んだ本人は死んだことに気がついてなくて、幽霊になって彷徨っている、とか。そんな怪談を、誰でも一度は聞いたことがあるはずだ。
急に恐ろしくなった。歯が勝手にカチカチと音を立てる。
もしかして、俺が彼の名前を覚えてないのは、俺が死んで記憶がないから? そう考えたら、辻褄が合ってしまうじゃないか!
一体、どうなっているのか。
「ぷっ、そんな青い顔しないでよ」
彼は堪えきれないというように笑い出した。
「いや、でも、死んでるなんて言われたら」
「別に言ってない」
「じゃあ、どういうことだよ」
ドォン、ドドォン。パァン、パパパ。
その時、一気に花火が打ち上がった。
「大変、もうすぐ終わっちゃうな。早口で言うからちゃんと聞いて。この花火が上がっている間は、あの世とこの世が繋がるんだ」
「繋がる?」
「そう。だから安心して。君は生きてるから」
「じゃあお前がいるのは、あの世なのか……?」
あの世とこの世が繋がって、生きてるのは俺の方なら、死んでいるのは彼の方だ。
でも俺に、死んだ友だちはいないのに。
「あの世……まあ、そうだね。ここは君から見たらあの世とも言うし、生まれる前の世界とも言うよ。僕と君は一緒にいたけど、ある時、君が先に生まれ変わったんだ。つまり君は、僕の親友の生まれ変わりだ。信じられないかもしれないけどね」
「生まれ変わり……」
ドォン、バン、バババ、バババ、ドォン、バババ。
花火のクライマックスだった。
咲いては枯れて、咲いては枯れてを繰り返す。
「会えてよかった。花火の言い伝えは本当だったんだ」
彼はそう言って微笑んだ。
「僕も、もうすぐそっちへ行くから」
「生まれるってこと?」
「そう。君の近くに生まれるかもね。楽しみだよ」
「わかった、待ってる」
俺も笑って答えた時、一際大きく花火の音がした。
ドォン! パァン!
空いっぱいに、花火が広がった。目に飛び込んでくる光が眩しくて、俺は思わず目を閉じた。
「晴海、晴海! おい、晴海!」
「ん?」
目を開けるといつの間にか、じいちゃんの膝の上で寝ていたようだった。
「うわっ⁉︎」
俺が慌てて飛び起きると、すぐに母さんに後ろから抱きしめられた。
「晴海! どこ行ってたのよ! 二日もいなかったのよ!」
「か、母さん。二日ってどういうこと?」
「そのままよ。ずっと行方不明。心配したんだから!」
「そんな……ここで花火を見ていただけなのに!」
俺はさっきのことをじいちゃんと母さんに話した。だが、母さんにはとても信じてもらえなかった。
仕方ない、俺だって信じきれないのだ。
ただ、じいちゃんは、
「晴海の言うことは本当かもなぁ」
と言っていた。
「この海は昔から、こういうことが時々ある。数日間だけ行方不明で、戻ってくると皆、花火を見たと言うんだ。……誰かと一緒に」
「そうなんだ……」
「まあ真相はわからん。単に夢を見ていただけかもしれないし、ここら辺は狸が多いから化かされたのかもしれない。がっはっは!」
じいちゃんの言う通り、真相はわからない。
ただ、夢や狸よりも、あそこで彼が言っていたことを信じたい気がした。
あの夜の花火 泡盛草 @Astilbe
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