【試し読み増量版】マジック・メイカー -異世界魔法の作り方- 1/鏑木カヅキ
MFブックス
プロローグ
僕は小さなテーブルの前でじっと座って、ずっと時計を見つめていた。
二十三時五十五分。もう少しで日をまたぐ。明日は待ちに待った僕の誕生日だ。
先に言っておくが、別に友達や家族や恋人が祝福してくれるわけじゃない。部屋には僕しかいないし、サプライズパーティーが開かれるという情報も得てないし、そもそも僕には誕生日を祝福してくれる人なんていない。
でも僕は誕生日を心待ちにしている。なぜならば三十歳を迎えるからである。それだけだ。
カチカチという時計の音だけが室内に響いていた。
ごくりと生唾を飲み込みながら、僕はソワソワとし続けた。あと数秒で二十四時になる。いよいよだ。この瞬間をどれほど待ち望んでいたか。怖いという思いと期待を胸に、僕は時を待った。
そして、二十四時になると同時にスマホや時計のアラームが一斉に鳴った。
軽快な音楽と共に僕は立ち上がると、両拳を掲げる。
「きたきたきた! ついにきたぞ! 三十歳おめでとう、僕!」
一人である。三十歳のいい大人である。寂しさから奇行に走ったわけではない。
僕は感慨に震えながら天井を見上げる。
「童貞のまま三十歳を迎えた男は、魔法使いになれる。ついにこれを実証する時が来た……っ!」
僕が住んでいるのは、手狭なマンションの一室だ。室内には必要最低限の家具しかなく、本棚にはファンタジー物の小説や解説書が入っているだけだった。
そう、僕は三十という年齢にもかかわらず、幻想的な世界に夢を抱いているのだ。特に魔法、魔術に関しての興味は尽きなかった。
現実的に考えて、そんなものは存在しないと思うだろう。だが、根拠もなく否定することはできなかった。だってさ、そういうのがあった方が面白いじゃないか。
誰だって想像したはずだ。手から火の玉を出したり、雷撃を発したり、水を生み出したり、空を飛んだり、呪文を考えたり、魔法陣を描いたり。その希望を捨てられず僕はこの歳まで生きてきたのだ。
伝承はある。だがそれは創作であって事実ではない。そんなことはわかっている。だけど僕は『童貞のまま三十歳になれば魔法使いになれる』なんて都市伝説に
こんなことは現実ではありえないって薄々感じてはいる。でも、やってみなくちゃわからないじゃないか。どの時代の発明家も、きっと最初は周りから馬鹿にされて、そんなことはできるはずがないと言われたに違いないんだから。
僕は掲げた両手を下ろして正面に差し出した。そして叫んだ。
「ファイアーボール!」
しんと静まり返った室内。僕の声だけが反響した。
「サンダーボルト! ウインドブラスト! アイスストーム!」
ダメだった。ならばと、僕は真顔で呪文を唱える。
「
何も出ない。悪魔とか召喚獣とかそんな
その後も、ありとあらゆる技名や呪文を唱えたが、何も変化はなかった。ゲームや漫画、自分の中二ノートを参考にした魔術を唱えるが、それも意味はなかった。
お隣さんの壁ドンを最後に、僕は
「だ、だめ、なのか……」
それはダメだろう。薄々わかってはいた。というか考えないようにしていた。
どうやら童貞のまま三十歳になっても魔法使いにはなれなかったらしい。では妖精さんが見えるパターンなのかと思ったが、辺りを見回してもそんなものは見えない。
望みは絶たれた。僕の生きる希望はなくなってしまったのだ。
魔法なんてない。魔術なんてない。この世は普通だ。
「……つまらないな」
世界中に情報が
わからないことはある。でもそれは心躍るようなものじゃない。わかるということは、こうもつまらないものなのか。このまま普通に働いて、普通に生きて、そして普通に死んでいく。そんな人生しか僕には用意されていないのだ。
ああ、つまらない。なんてつまらないんだ。
「寝るか。今日も会社だ」
日付が変わった今日は、平日である。夜遅く、一人で何をしてるのかという
その時、胸の中で何かが暴れ回った。
「あっ……な……がっ!?」
痛い。痛い。胸が、心臓が痛い。
体中の筋肉が
なんだこれ。何が起こってるんだ。わからない。こんなことは初めてだった。僕は大きな病気も怪我もなく生きてきたのに。
理解ができないながらも、痛みは広がっていく。それが徐々に大きくなると、僕の中で比例して不安が強くなる。
怖い。怖い。まさか死ぬのか。痛みは引かない。心音が鼓膜に響き、それが地鳴りに変わったような錯覚を抱くと、視界が
そして、僕は意識を絶った。
◇◇◇
目を覚ました。視界は相変わらずぼやけている。視力が悪い人は普段こんな感じなんだろうな、とぼんやりと考えていた。
僕の視界が動く。自分で動いてはいない。誰かが僕を運んでいるようだった。
天井らしきものが見えた。体温も感じる。生きているということにようやく気づくと、僕は
ここは病院だろうか。誰かが救急車を呼んでくれたのかもしれない。ありがたい。誰だかはわからないけど。多分お隣さんだろう。寸前まで叫んでいたし、壁を
思い出すだけでゾッとするような痛みと喪失感だった。もう二度とあんな恐ろしい経験はしたくない。
誰かの姿が隣に見える。僕を助けてくれた人だろうかと、口を開いた。
「だぁ」
だぁ? 僕の声、じゃないな。でも僕が出した声。え? なにこれ。
「だぁ?」
また声が出た。今度も僕が出した声だ。間違いない。喉が震えているし、自分が出した声だという自覚がある。でも、声は妙に高いし、男の声ではない。
そう、これはまるで赤ん坊。
「あらあら、どうしたの? シオンちゃん」
声が頭上から聞こえた。視界は不明瞭だが、目を凝らすとなんとか見えた。
人だ。女性だ。巨大だ。僕を両手で抱えている。大人を両手で抱える女性なんているだろうか。
どうなってるんだ。僕はどうなったんだ。半ばパニックになりつつ、僕は自分の身体を見下ろそうとした。首がまともに動かない。だが視線は動かせた。
ちらっと自分の身体を見下ろすと小ぶりな手が見えた。小さい。小さすぎる。これはまさか。なんとなく現実に気づきつつあった。でも信じたくなかった。僕が赤子になっているという事実に。
「だぁ、あうぅ、だっ!」
「んー? お腹空いたの? それともしーしーかしら?」
優しい声が頭上から聞こえる。ちなみに彼女の声ははっきりとは聞こえない。水の中で聞こえるような感じだ。聞こえはするが、なぜか集中できず、聞き取るのが大変だ。でも間違いない。僕が赤ん坊なら、この人は
マジかよ。知ってる。この展開。
僕はあの心臓の痛みで、死んでしまったんじゃないか。
そして恐らく、転生してしまったのだ。生まれ変わってしまったのだ。なんてこった。こんなことが現実でありえるはずがない。
そう思う反面、僕はこう思った。転生とくれば、次にくるものは何かと。
なんとなくしか見えないが、女性の顔の形、部屋の風景を鑑みれば間違いなく、ここは日本ではない。そして外国であるとしても、女性は妙に古めかしい服装で部屋の内観も同様だ。
その上、女性は日本語を話している。僕に向かって言った名前も、シオンという明らかな外国名。
これはつまり。ここは異世界という可能性が濃厚である。
そしてもう一つ。僕にとって重要なことがある。異世界ならば確実にあるものがある。
魔物? 妖精? 精霊? 勇者? 魔王? 違う。
魔法だよ、魔法! 異世界に魔法、あるいは魔術がないなんてありえないだろ!
やった! やった! これは僕が
くっ! でも身体が動かない。僕は赤子だし、言葉も話せないし、どうしようもないか。それに滅茶苦茶眠くなってきた。考えすぎたのだろうか。身体は赤ん坊なのに、頭は大人だからな。疲れたのかも。
これが夢だったらどうしよう。ああ、怖い。眠りたくない。またあのつまらない現実に戻りたくない。この世界で。僕は魔法を使うのだから。
僕は妙に温かい感触に包まれて、眠りについた。強烈な幸福感を抱きながら。
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