ワタツミ様にお願い
守山
<一>初子の願い
第1話 2009年8月
とある島に訪れた静かな夏の夜。引き潮を向かえた海にはさざなみが立つ。
海岸に連なる岩場を一人の少女が歩いていた。転んだらひとたまりもないだろう、ごつごつとした足場を履き慣れたスニーカーで踏みしめる。
岩の隙間に開けた空洞を見つけた少女は中へと進む。苔むした岩の磯臭さが辺りを満たし、ここまで流れ着いたペットボトルや空き瓶などのごみくずが散乱していた。
少女はショートパンツのポケットから小型の懐中電灯を取り出すとスイッチを入れる。頼りない灯りで周りを照らしてさらに奥へ。そして歩くこと数分、目の前に小さな祠が現れた。
「あった、本当にあった!」
思わず声が出た。祠はこれまであまり手入れもされてこなかったのだろう。石造の小さな屋根、それを支える柱は泥だらけで腐りかけている。岩の隙間から薄く差し込む月明かりに照らされて、それがなんとも怪しげに見えた。
細く開いた観音開きの扉の前にはお神酒用のとっくりと、その横に何も刺さっていない花瓶。周りには賽銭に供えられたであろう小銭が散らばっている。
扉の中へ灯りを向けて覗いてみると、奥に正円の鏡と古びたお札が祀られていた。瞬間、ぞくぞくとした寒気が少女の背筋を走る。なぜか見てはいけないものを見てしまったような、もう引き返せないような感覚だった。
――怖い、だけどやるしかない
少女は懐中電灯を足元に置くとショートパンツのポケットから五円玉を取り出す。賽銭箱はないので震える手でとっくりの横に供えると、地元の神社でのやり方で祈る。二礼、二拍手、一礼。お願い事の中に自分の住所を唱えるのを忘れずに。
「……市宮前町4の6 三本
硬く目を閉じて脳内で願いを繰り返す間、遠くに波の音だけが響く。今日泊まってるホテル周辺の賑わいが嘘のようにこの場所は静かだ。
――小浜神社
鎌倉時代 とある貴族が戦乱の渦中、船で流れ着いたこの場所に身を隠し戦火を逃れた。
戦の後、一族はこの島で勢力を伸ばし幕府に仕えつつ繁栄することになる。
それから数百年後、一族の末裔はこの場所に小さな祠を建てて、島まで祖先を導いてくれた海の神を祀った、とされている。
それが今となっては引き潮のタイミングでないと辿り着けないアクセスのし辛さから、なんでも願いが叶うレアなパワースポットとして巷でささやかな評判となっていた。
ご利益は航海安全、大漁祈願、子孫繫栄、五穀豊穣、縁結び、夫婦円満、商売繁盛、合格祈願、心願成就、芸能上達、安産祈願、家内安全、無病息災、病気平癒。たくさんあるが、初子に必要なのは最後の二つだった。
ひとしきり願い事を終えて初子は目を開けた。先ほど供えた五円玉が月光に反射して鈍く光っている。
見てはいけないと感じるのにどうしても気になって仕方なくて、懐中電灯で祠の奥を照らすと再び恐る恐る覗き込んだ。
扉の先に祀られている鏡を目を凝らして見れば、初子の情けない顔がぼやけて映っていた。鏡なのだから目の前のものしか映さない。当たり前のことに少し安堵した。
そのとき、鏡の中に黒い蛇が浮かび上がった。
驚いた初子は反射的に後ずさりする。
これは見間違いだろうか?
それとも現実だろうか?
確かめるにはまた鏡を覗くしかないけど、そんな余裕はない。
その心配に応えるかのように鏡から蛇が頭を突き出した。長い胴体をくねらせ、初子に近づいて来る。
そう言えば、こうやって画面からなにかが飛び出してくる映像をどこかで見たことある。
ああ、あの子が好きだったホラー映画。
あの子がこれ見たら喜ぶかな?
驚くかな?
その前に、さすがにこれに噛みつかれたら痛いだろうな、最悪死んじゃうかも。
僅かな時間で様々なことを考えた初子からようやく出た言葉は、
「きゃあああああー!!!」
ただの絶叫だった。
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