第5話

 翌朝、少し早めに起きて準備をする。こちらの学園は制服というものがある。もちろん帝国で既に手配していた為、今日は制服に身を纏い、それに合わせた髪型と薄いメイクを施してもらう。が、問題はその後だった。


「本当、ありえないんですけど」

「まぁ、こっちとしては護衛しやすいから助かりますね」


 朝から私の準備を楽しそうにしていた専属侍女のベルは、不愉快という気持ちを隠す事なく表情や声に出していた。

 それに対し、帝国から連れてきた専属護衛のジェンは、飄々としている。まぁ、貴族マナーよりは如何にして私を守るのかという事に重きを置いているから、そうなるだろう。


「まぁ、気遣わなくて良いから楽だわ」


 何故こんな話をしているのかと言うと、今日から学園に通う私の元へ来る事もなく、王太子殿下は1人学校へ向かったからという報告が入ったからである。

 食事の席は家族ではない為と言い、気遣う事が面倒な私は昨夜から自室で取る事にしたのもあるのだろうが、未だに王太子殿下の顔は見ていない。体調が悪かったとしても、朝から学園へ行けるなら朝一番に挨拶の1つでもしにくるのが礼儀だろうに。

 仮にも格上の婚約者相手なのだ。


「しかしお嬢様!帝国の面子というものがあります!遅刻してしまったらどうするんですか!」

「面子より護衛ですよ。プライドで飯は食えません」


 ある意味で真逆な二人だが、職務に忠実な事がうかがえる。幼い頃から側に居る為、気心も知れていて私の本性も知っている為、結構くだけた態度で接してくれているのは私としても楽ではある。

 しかし、報告があまりに直前であった為、このままゆっくりしていては転入早々遅刻してしまう。


「ベルがゆっくり用意していたのもあるでしょう?」

「エスコートするのが当たり前という認識でしたから」

「とりあえず馬車の手配はしておきましたよ」


 微笑みながら二人とやり取りをする。

 ジェンに至っては流石手際が良い。ベルは未だに怒り心頭と言った様子で握りこぶしを作っているが、急ぎ学園へ向かわねばならぬ事を理解していて、私を馬車乗り場まで案内してくれる。


「まぁ、どうせ遅刻した所で、ロドル王国の貴族学園で習う内容は既に頭に入っているから大丈夫……だけど、印象はよろしくないわね」

「お嬢様が高圧的な皇女様と思われますよ」

「あながち間違ってはいないと思いますよ」

「ジェンは本当に正直すぎる所があるわね」


 友人のような気楽さだ。私が笑っているのをよそに、ベルはジェンを睨みつけているが、ジェンは平然としている。

 そんな態度も人目につきやすい居住区を出れば、威厳を示す為に一線引いた態度へと代わる。ベルとジェンは静かに私に付き添い、その職務をただ全うするだけ。

 それでも、馬車乗り場へ行けば御者はおらずベルが怪訝そうな表情を見せる。


「他国の者に囲まれすぎてもお嬢様が気疲れするかと思いまして」


 ジェンがそう言うと、御者台へと座ってくれた。この気遣いは嬉しい。馬車の中でする会話も、下手すれば御者に聞こえる為、いちいち気を遣わなければいけないのだ。

 ありがとうと言う私と、よくやったと言わんばかりに微笑むベル。和やかな三人の空気は、学園へ着くまで……だった。


 珍獣を見るかのように遠巻きから視線を送りつつ、コソコソと囁き合う人々。帝国皇女が留学してくるという話は、きちんと通達されている筈だ。それでこの態度なのだろうか。

 言いたい事をハッキリ言えば不敬になるだろうが、こんなあからさまな態度が不敬にならないと本当に思っているのだろうか、と問いたい。

 否、あまりの人数に、この国での教育レベルの低さに頭が痛くなりそうだ。気分が悪い。


「……ここは逆動物園でしょうか?」

「近寄らないという点では、遠距離攻撃に気を付ければ良いだけなので護衛しやすいですね」


 ベルの例えで、思わず吹き出しそうになる。ジェンの言う通り、確かに悪意を持って近寄られるくらいなら遠巻きで良い。というか不敬な事をされそうなので近寄らないで頂きたい。話しかけられるのも遠慮したい程、酷いマナーだと思う。

 しかし、貴族学園だと言うのに、あまりにも低能すぎる事に、ため息を吐きたくなるのをグッと堪えて姿勢を正したまま前を向いて堂々と歩く。

 帝国の属国という立場を何だと思っているのか。もし帝国を下に見ているとしたら……愚民でしかない。


「皆さん、ごきげんよう」


 ふと嫌がらせにもなるのだろうかと、立ち止まって笑顔で周囲に対してそう言えば、蜘蛛の子を散らしたように逃げていった。

 これはこれで面白いが、気分が良いわけではない。


「皇女様の挨拶を何だと思っているのでしょう」

「不愉快なものが視界から居なくなっただけよ」


 ベルの言葉に対して、私は率直な意見を述べる。あんなコソコソずっと言われ続けるのは私の精神衛生上よろしくない。

 それからも、職員室へ行けば教師からは問答無用で値踏みするよう見られ、教師が案内してくれて教室まで向かう道中では、相変わらず生徒達が遠巻きに噂をしてくる。

 仮面のように無駄な笑顔を振りまく必要性も分からず、思わず能面のように一切何も見せない表情で歩く。後ろから無駄にベルの殺気が漂っているのは気にしない。

 むしろ見限るというか、愛嬌を振りまく必要性がないという事を理解させてくれて、有難い位だ。無駄な労力を使う必要がない。






「……学ぶ事がないわ」


 午前中の授業が終わり、中庭でベルが昼食の準備をしている間、木陰で座りながら溜息をつく。

 コソコソと遠巻きにされ、挙句の果てには学ぶ事がないとすれば、私は学園へ来ている時間を苦痛の為に消費しているというもの。何という無駄時間!


「教室という密室空間よりもサボって頂いた方が護衛しやすいのですが」

「ジェン!お嬢様が言っているのはそういう問題ではないの!」


 流石に、学園へ侍女や護衛を伴って来ている人は居ない。言ってしまえば私が特例なのである。それでも授業の間、ベルは別室で待機となっているし、ジェンは教室の外で待機となっている。ベルは暇だろうし、ジェンとしても守りづらい上、私にとっては無駄時間となっている。

 こんな非効率的な事があるのかと、責任者へ数百枚の申請書で問い続けたい。


「そういえば、この国の王太子殿下とは、まだお会いしておりませんね」


 ギリギリと歯ぎしりの音が聞こえそうな表情でベルが言葉を吐き捨てた。


「教室が違うのでしょう。昼食も食堂へ行っているでしょうし、会わなくても不思議ではないわ」

「一度も顔を見せず、挨拶すら来ないのは無礼ですけどね」


 ベルは怒りを隠す事もせずに吐き捨てた。

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