呪異使威

キサガキ

1章 黒衣の鴉

第1話 呪い使い

 ――ぐちゃっぐちゃっ。

 肉を潰す音が聞こえた。  

 六才の幼子、アルトは知っている。この音は両親が怪異によって、奪われた命の断末魔だという事を。

 何故こうなってしまったのか。今日はアルトと義理の姉イオナの誕生日を家族で祝う筈だったのに。


 優しい義母と穏やかな実父は共にパートナーを失い再婚した。実母を亡くした三才のアルトに出来たのは、新しい母と同い年の姉であった。肩までかかる黒髪の姉を見てアルトは、まるでお姫様みたいだと心がときめいたのを覚えてる。

 それから三年。新しい家族との生活は六才の誕生日を迎えるアルトにとって、かけがえのないものとなっていた。

 中央のテーブルに置かれたバースデーケーキの上に刺さる赤と青のロウソクの炎は、照明を消した室内でゆらゆらと揺れ動く。

「ねっねっ消していい。僕、ふうっしたい」

「アルトちゃん、お姉ちゃんも一緒にふうっしたいって」

「はっはっはっ。ママの言う通りだぞ、アルト」

「あのっ、アルトくんが吹くならわたし」

 ふっ。すきま風が入ったのか吹き消す前に炎は消え、暗闇が訪れる。ゾクリ。突如アルトの背筋に悪寒が走った。

「ひっ」

 小さく悲鳴をあげるアルトは、両親の背後に立っている二メートル程の人影を見た。

 あれは何だ。あんな異形な形をした者を一度も見た事が無い。

「アルトくん、どうしたの?」

「お、お化け」

「大丈夫。わたしが守るから」

 イオナは笑い小さな手で、震えるアルトを強く抱きしめる。

「うふふ。イオナちゃんは本当にアルトくんが大好きね」

「うん。ママ、わたし大きくなったらアルトくんと結婚するの」

「こらこら姉弟だからダメだぞ。はっはっはっ」

 両親は怯えるアルトに気を使い、陽気に笑い場を盛り上げる。

「パパ、電気つけて」

「そうだなイオナ」

「だ、ダメだ後ろを見たら!」

 照明に手を伸ばした瞬間、父親の体はバラバラに切り刻まれた。

「カッカッカッ。認識したな」

 錆びついた粘着性のある臭いが室内を浸食し、宙に浮かぶ足下で紅色の華が開く。

 体は恐怖で怯え動かず、逃げたくても動けない。

 ――ズキッ。

 鋭い痛みが、額に食い込んでいた。

「怖いか小僧」

 ぬぅぅと、耳元で男の声が不気味に囁く。

 それは人の形をしているが人で無く、存在を認識しなければ見る事もできない怪異と呼ばれる異形なる化け物であった。鷹の頭部をした怪異がつり上がった目で、アルトを睨む。真紅の瞳に映るは、額に食い込む鋭く尖る指先。

「かかっ怖いよなぁ。何故こんな目にあうか分かるかぁ」

 分かるわけない。今夜は家族で楽しい誕生日だったのに。

「意味なんてねぇぇんだよ。テメェら弱者は、強者である俺の気分次第で喰われんだ。弱肉強食ってお前ら人間は言うだろうがぁ。カッカッカッ!」

 高笑いする鷹怪異の体から蛇腹状の刃が具現化し、アルトに絡みつく。

「逃げなさいアルト! イオナ!」

 母親が怪異の腹部に包丁を突き立てた。刹那、金属音が鳴り響き母の肉体は四散する。

「うわぁぁぁお母さん!」

「逃げようアルトくん」

 泣き叫ぶアルトの手を強く握りしめ、イオナは走り出す。

「カッカッカッ。元気いい子犬共だぜぇぇ」

 怪異は真紅の体についた返り血を美味そうに舐めると、足をもつらせ転ぶ二人に手を伸ばした。


 *

「うわぁぁぁぁッッ!」

 そうだ。今見てた光景は十年前の夢だ。今、アルトは廃墟となった病院で人に仇なす怪異、通称【悪異】と戦っていたのだ。

「ゲッゲッゲッ。目を覚ましたか」

 十年前イオナと共に生き残ったアルトは両親を殺した鷹の悪異に復讐する為、たった一人で人喰い怪異を探し狩り続けていたのだ。

 劣化し剥がれた床のタイルの上で、半透明の粘液を引きずった後がある。その先にいたのは大人の身長ほどあるイソギンチャク型の悪異であった。

 ウネウネとピンク色に蠢く無数の触手が、アルトの細身だが鍛えられた体に絡みついている。内側にビッシリとフジツボを生やし先端から伸びた毒針が、アルトに突き刺さっていた。

「そうだ。僕は今コイツと戦っていたんだ」

 ふらりふらりと視界が揺れ眠気が凄い。

 これがイソギンチャク悪異が持つ異能力か。触手と思い油断した。まさか内側にあるフジツボに毒針があろうとは。毒には睡眠や幻覚を見せる力もあり、その影響で夢を見ていたのだ。心臓の鼓動が高まり、不快な汗が体を濡らす。

 落ち着け。冷静になれ。見たところ、自らバトルするタイプでは無い。

「馬鹿め。わしの怪異力で眠りながら、あの世にいけたものを」

「僕は悪異を許さない」

「ゲッゲッゲッ。無能な人間めぇぇ。生きながら喰ってやるぅ、魂が美味えんだよ魂がぁよぉ」

 ――ジャリジャリジャリジャリッ。

 金属と金属を重ね合わせた異質な音が、病院内で響き渡る。それは鎮魂歌。人喰い怪異に送るアルトからのレクイエム。

「ひぎゃぁぁぁ!」

 緑色の体液をまき散らし、悪異は悲鳴をあげた。

「わしの腕全てが、斬れちまったぁぁ」

 拘束を解かれたアルトは綺麗に切断されウネウネと蠢く触手を踏み潰し、後ずさりする悪異を逃がさない。

 体内に毒は残り意識は朦朧としているが、痩せ我慢。精神が体を凌駕する。油汗を額に浮かばせながら、端正な顔は涼しい表情を見せた。

「裏世界、怪異領域へ逃げる気か」

「き、貴様人間なのか」

 ぎょろり。体から目玉が現れ、アルトに巻きつく黒い蛇を認識する。

「君の敗因は二つだ。一つは毒で眠らせたからと油断して、怪異達の住む裏世界に行かずここ表世界で人を喰ったこと」

 アルトから湧き上がる殺意に強く反応し蛇は咽を震わせ、ゆっくりとかま首が持ち上がっていく。

「もう一つは、僕に十年前の誕生日の夢を見せた事だ」

「貴様、呪い使いか。怪異に襲われ生き残った者は、その力に呪われる。ひひひ、見覚えあるぞその怪異力。色は違うが間違いない。貴様、羅我の喰い残しかぁ」


 異性から常に熱い視線を受けているアルトの顔が、怒りで醜く歪む。羅我。そうそれが仇の名前だ。前髪で隠れている額の傷が疼いた。

 蛇が悪異の体に絡みつき牙を突き立てる。

 ――能力発動。断罪の刃。

「ぐぎゃあぁぁぁ!」

 怪異は皆、個体差はあるが治癒能力を持っている。勿論この悪異にもだ。多少の傷でも再生する。だがアルトの操る呪い断罪の刃が、それを許さない。蛇の腹から飛び出した刃がイソギンチャクの体をバラバラに切り刻んだ。


 砂化し床一面に散った悪異を蹴飛ばし、今夜の狩りが終わった。張りつめていた糸がプツリと切れ体がふらつく。不味い。体内に残る毒に汚染され目がまわる。このままだと受身を取れないまま、床に倒れこむ。

「アルト!」

 体を支えられ、柔らかい二つのクッションに顔を挟まれ難を逃れる。

 知っているこの声の主を。下から受け止め枕になった柔らかい感触と、触れる肌から伝わる温もりの正体が誰なのかを。

「助かったよ、イオナ姉さん」

 アルトはイオナを押し倒す体勢で、豊満な胸に顔を埋めていた。

 心臓の音がする。規則正しいリズムが戦いで荒ぶる心を落ちつかせる。泣き出す子供が母に抱かれて静かになるのと同じだ。気持ちいい。もっとこうしていたいが、乳房の圧で息ができない。穏やかな気持ちで谷間から顔をあげると、涙目のイオナと目が合った。


「アルトのバカ。また無茶して」

 赤いフレームの伊達メガネ越しに、涙目で睨んでくる。  

 美人だ。腰までかかる薄赤色の長い髪。色白の綺麗な肌。大きな瞳に形のいい鼻筋。天然の朱で染まる薄い唇から目が離せない。

 イオナは同年代の少女の中で群を抜いて大人びていた。それが余計に美しさを引き立てる。

「ごめん。イオナ姉。いつも心配かけ……て」

 気が緩み毒に負けていく。本体を倒したので寝ても魂を奪われる事は無いが。

「怖い」

 またあの悪夢を見てしまいそうで、体が震えだす。

「怖いよ姉さん」

「大丈夫。お姉ちゃんが守るから」

 ――チュッ。唇に触れる柔らかい感触。

 イオナは照れながら唇を離すと、アルトの上にまたがった。

「イオナ?」

 慣れた手つきでアルトの服は脱がされていく。引き締まった腹筋を中心に小さな穴があいていた。細い指先が肌を伝わり、無意識にアルトは声を出す。敏感に体が反応し震えた。

「毒が悪さしてるのね」

 イオナの唇と舌が穴に触れる。

「駄目だ。イオナが感染しちゃうよ」

「大丈夫。わたくしにはその手のものが効かないの知ってるでしょ」


 口内に吸い出した白濁色の毒が溜まっていた。これで最後。掌に吐き出し指で広げる。

「これでスッキリしたね。心配ならもう一回しようか」

「大丈夫。あとは眠いかな」

「ならこのまま寝なさい。わたくしが側にいるから」

「うん。おやすみイオナ姉」

「おやすみなさい。アルト。いい夢を」

 愛しい姉の胸に抱かれて気持ちいい。今度こそ幸せな夢を見て眠れそうだ。


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