第21話 「ヴェルヘルミーナ、昔のように、また私をヴィンスと呼んでくれるかい?」

 空になったティーカップへと注がれた紅茶は、ふわりと優しい香りを漂わせている。

 花に囲まれた私は、それが紅茶の香りか花の香りか分からないくらいには、混乱しながらヴィンセント様を見つめていた。


「三年前、第三王子の婚礼のお披露目でも、会っているんだが」

「お姉様の……?」


 こんなに背が高くて銀髪の美しい方が歩かれていたら、とても目立つわ。きっと、ご令嬢の皆さんだって、放っておかないでしょうし、そんな光景に出くわしたら覚えていると思うのだけど。

 婚礼のお披露目の日は、どこのご令息も着飾られて華やかだったから、気付かなかったのかしら。それに、どこぞのご令息が声をかけてくると、継母が間に入って会話を遮ってくれたから、私は人とほとんど話していなかったし。

 

 必死に、三年前の婚礼を思い出そうとしていると、ヴィンセント様の薄い唇が、ほんの少しだけ弧を描いた。その静かな微笑みは、幼い記憶に残っている銀髪の青年と重なる。そう、お父様が長を務めていた魔術師団の砦で、何度も会った銀髪の青年よ。彼は自分のことをヴィンスと名乗っていたけど。

 やっぱり、彼の微笑みに似ているわ。

 

 悪戯な風が吹き抜け、バラの花びらが香りとともに舞い上がった。

 咄嗟に乱れる前髪を抑え、私はハッと気づいた。

 そうだわ。あの日、私のハンカチを拾って下さった方がいたじゃない。彼も、とても美しい銀髪だったわ。ご令嬢の皆様の視線を集めていらっしゃって、その様子を見ながら、お継母が、縁のない男だから諦めろと言ったのよ。


「あの時の……魔術師団の?」


 はたと気付き、俯きかけた顔を上げると、いつの間にかヴィンセント様は私のすぐ側に立っていらした。

 ただでさえ背の高いというのに、座っている私は見下ろしてくるその大きな体躯に、堪らず体を強張らせた。

 大きく筋張った手が伸びて、思わず目をぎゅっと閉じてしまった。

 指が髪に触れるのを感じ、そっと目を開けると、花びらを摘まんだヴィンセント様の手が視界に入った。


「思い出してくれたかい?」

「……はい。うっすらでは、ありますが」

「正直だな」

 

 彼と過ごした時間をはっきりと思い出したわけではない。それを申し訳なく感じて、うっすらと言ったからか、ヴィンセント様は可笑しそうに笑いを堪えた。

 女性嫌いという噂は、嘘だったのかしら。でも、どうして今までご結婚されずにいたのかしら。それに、どうして私なのか。

 疑問は山のようにあった。だけど、それを口にしていいのか分からなかった。


「もう三十間近の私だが……結婚の申し入れを、受けてはくれないだろうか?」


 輝く琥珀色の瞳を見つめ、私は息を深く吸い込んだ。


「お受けします。その代わり、条件がございます」


 一瞬ほっとした顔をしたヴィンセント様が、眉間に小さなしわを寄せた。


「私の継母を、レドモンド家から追い出すご協力をお願いします! それが叶うのでしたら、貴方様の妻として一生尽くしましょう」


 汗ばむ手を握りしめ、私は交換条件を突きつけた。それを聞いたヴィンセント様は、戸惑うことなく笑顔で「いいだろう」と即答した。

 大きな手が差し出される。手を重ねれば、強く引かれて立つことを促され、私はヴィンセント様の胸へと倒れ込むようにして立ち上がった。


「申し訳ありません!」


 倒れ込んだ非礼を詫び、離れようとした私の腰に太い腕が回され、大きな手がしっかりと私を捉えた。

 綺麗な銀髪が日差しを浴びて輝いた。

 

「ヴェルヘルミーナ、昔のように、また私をヴィンスと呼んでくれるかい?」


 顔を上げれば、女性なら誰でも酔ってしまうような端正な微笑みが、そこにあった。私はどうお返事をしていいのか分からず、真っ青な空に視線を移した。

 ひとまず、これで継母を追い出すための協力者を得られたわ。セドリック、お姉ちゃん、もっと頑張るわね。

 愛しのセドリックの笑顔を思い出し、心を落ち着けようと試みる。だけど、それをすぐにヴィンセント様の声が邪魔をした。


「ヴェルヘルミーナ? 聞こえているかい?」

 

 これは政略結婚よ。

 私は、セドリックのために結婚をするの。それが私の幸せであって──

 空を見上げて考えていた私の視界に、ヴィンセント様の綺麗なお顔がぬっと入り込んだ。


「相変わらず、ヴェルヘルミーナは照屋なようだね」

 

 ぼんやりとしか思い出せないヴィンスの笑顔が、彼に重なった。

 体温が一気に上がり、頭が熱くなっていく。何をどうお返事するのが正解なのか、全く分からず、ついに私の脳は考えるのを放棄した。

 視界がすっと昏くなった。

 私の名を呼ぶヴィンセント様の声と、ダリアの声が重なった。だけど、それに「心配しないで」と返すことすら出来ずに、私は意識を手放していた。

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