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 スケルトンが、急激に順位を落としている。

 彼の作るマウスは、がんになることが多くなった。がんを避けることはすでにテクニックとして確立されているほどだったので、今更スケルトンがそこにはまってしまうことに他のプレイヤーたちは驚いた。

 しかし、驚いていない者が二人いた。一人はキマイラニンジャである。

「やってくれるんだね」

 元々の開発者の彼は、スケルトンが究極の目標へと挑戦し始めたということを確信し、喜んでいた。

 キマイラニンジャも以前、同じことを試そうとしたのである。しかし、そこから完璧なマウスを生み出すことはできなかった。

 「理論上」できることは知っている。しかしその組み合わせは、手の届かないところにあるのだ。

 そしてもう一人、パソコンのモニターを見ながら微笑んでいる者がいた。現運営者のニヒトザインである。グランドドクターであるスケルトンが目的もなく不健康なマウスを量産するはずがない、と彼は感じていた。

 マウスのがん化は、研究の世界では決して特別なことではない。だが、このゲームにおいて得点の上昇に結び付くとは、これまで誰も考えてこなかった。

「可能性は、ある」

 スケルトンが画期的な何かを見つければ、それは自らの研究にも応用できるかもしれない。おそらくそれは、こっそり行う。決して論文などにせず、欲しがっているところにデータを売りに行くのだ。生物兵器に使用できるようなものならば、とても良い。

 ニヒトザインは、子供のころからゲームをコピーできる能力を発揮してきた。ネット上でそれを披露すると、多くの人々が驚いてくれた。しかし研究者になってからは、芳しい成果は何一つ残せていない。

 そもそも彼が研究者になろうと思ったのは、AGTUCの影響なのである。AGTUCが面白くて、実際にマウスの研究をしたいと思うようになったのだ。

 だが、ゲームを楽しむようには、研究することはできなかった。ゲームと違い、連休では失敗のリスクが大きい。点数や順位という達成感も得られない。

 何年か前、久々にAGTUCをやろうと思ったがすでにネット上には存在しなかった。しかし彼は、すでにコピーしていたのだ。昔のハードディスクからデータを取り出し、公開した。本来の開発者に見つかるかもなどとは、考えなかった。

 楽しみたかったのだ。

 最初は。

 あの頃を思い出すため。AGTUCを楽しむ人々を見れば、気がまぎれると思ったのだ。

 だが、ニヒトザインはすぐに気が付いた。「これ、現実でも使えるのでは?」

 ただのゲームだと思っていたのに、研究者になった彼は気づけたのだ。AGTUCは、実際の実験で試せるデータを提供してくれる。製作者はどこまで気が付いていただろうか。最初に開発されたときは、今ほど遺伝子デザインの技術が発展していなかった。つまり、今だからこそ利用できるゲーム、とも言えるのだ。

 そんな中、スケルトンというプレイヤーが現れた。彼はAGTUCを最も理解しているであろう、とんでもない技術を持っていた。

 これは、使えると思った。実際にすでに、使わせてもらっている。スケルトンのデータのおかげで、ニヒトザインの研究は以前よりも少し軌道に乗っているのである。

 そんなスケルトンが、点数を犠牲にしてまで何かに取り組んでいる。それが何かは、今のところはわからない。成功しないかもしれない。だが、その結果がどうなるのか、ニヒトザインは見届けたくて仕方がなかった。



 深夜二時。スケルトンはいびつな笑みを浮かべながらモニターに向かっていた。時間をかけてポイントを稼ぐのは彼の流儀ではなく、あまり夜更かしはしないことに決めていた。そんな彼が時間も忘れて、ゲームに没頭していたのである。

 SK207と名付けられたマウスは、驚くほどに健康で、力強く生きていた。そして、もうすぐケーム内時間で100歳になろうとしている。設定上、それ以上はデータを延長することができない。つまり、100歳まで生きれば「死なない」のである。

 彼が試していたのは、「打消し遺伝子」の出現だった。がん化を抑制する遺伝子があることはわかっていたが、他の個所に影響して別の病気を発現させることがあると言われていた。細胞の活性化を維持したまま、がん化だけを抑える何か。そんな都合のいい遺伝子はないと思われていたが、スケルトンはそこに挑戦したのである。

 彼が注目したのはRNAだった。AGTUCはDNAを操作するゲームに見えて、実はRNAこそを決めているのではないか、とスケルトンは思ったのである。RNAはDNAを転写するためのものであり、どちらでも大差がないように思える。しかしRNAは非常に不安定である。このRNA情報をわざと壊すことができれば、DNAのデザインでは不可能な操作ができるのではないか。さらに、RNAの破損率が上がる遺伝子も見つかるかもしれない。

 そこでスケルトンは、わざとマウスをがん化させ、がん化が収まる条件を探ったのである。がん化を抑制する操作をせずに、がん化が収まることがあれば。偶然ではなく必然的に、遺伝子のコピーを邪魔することができれば。

 そしてついに彼は、発見したのである。

 しかもがん化は、マウスに特殊な状況も与えた。「がん化が促されながら極力抑制される」という状態が生じたマウスは、細胞の老化が起こらなかったのである。

 いよいよこのゲームともお別れか。そう考えると、寂しくもあった。



「はっはぁ! そういうことね」

 ニヒトザインは興奮していた。

 スケルトンの開発したマウスは、これまでにないスコアを叩き出そうとしている。それだけではない。SK207は、もし実際に生み出すことができれば、生物兵器としての実用も十分に見込めると考えられるのだ。

 RNAでの転写がうまくいかないことがあるのも、転写エラーを引き起こす遺伝子があるのも当然彼は知っていた。しかしそれらをコントロールして、がん化を引き起こしながら抑え続ける、細胞を活性化し続けるという方法は考えたことがなかったのである。

「ただね、そこはゲームなんだ」

 少しだけ落ち着いて、ニヒトザインはモニターから視線を外した。できるだけ現実に即して作られていたAGTUCだったが、RNAの不安定性はリアルよりも大きく設定されていた。それはゲーム性を高めるためであり、いわば「変化を促す」かのような設定なのである。おそらくSK207のデータは、そのままは利用できない。アイデアを生かしつつ、再現可能なデザインを探っていく必要がある。

 できるだろうか。いや、やるしかない。そう考えながらモニターに視線を戻すと、画面が暗くなっていた。

「はあ?」

 そこには、〈このゲームのサービスは終了しました〉と書かれていた。

 いやいや、俺は何もしてないぞ? ニヒトザインは混乱した。ただ、彼には対処ができなかった。彼はゲームをコピーすることはできても、その中身を完全には知ることはできないのである。自分でも不思議な才能だと思うが、たとえバグであっても、知らない間に再現してしまうのだ。

 やりやがったな。それは八つ当たりに他ならなかったが、彼はゲームのもともとの開発者を恨んだ。

 何をどうしても、AGTUCは動かなかった。ネット上のデータもすべて消えている。

「ああ、負けだよ」

 夜が、明けようとしていた。

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