孤独の魔女と独りの少女

@turedurenaruneko_222

一章 独りの名も無き少女

第1話孤独の魔女と独りの少女



そう、あの時のことは今でも覚えている………………


幾重に時を重ねても、幾星霜時を重ねても 未だ鮮明に思い浮かぶのは…


刺すような冷気 打ち据えるような鈍痛、そして胸を焦がすような生への渇望


生きたいと 願ったあの日のことを









「はぁ…はぁ、っ…はぁ…はぁ」


降り頻る豪雨の中、ひたすら進む … 明後日の方向を向いてひしゃげた片足を引き摺り、ただ進む


一歩進む都度 激痛が走り 二歩進む都度ぬかるんだ地面が体力を奪う、体中に出来た打撲 切り傷 流血出血 並べれば枚挙に暇がない程 ズタボロになった体には、雨垂れの一粒でさえ堪える…


「ぐっ…ふぅ、ふぅ…ふぅ」


それでも進む、ただ進む 頑張って頑張って、進み切ったその先には きっと奇跡のような幸せが待っていると信じながら、そんなことない 諦めろと叫ぶ胸に蓋をしながら 小さな少女はただ進む


「げほっ…げほっ、あぅ…っー…はぁ はぁ」


咳をすれば、一緒に血がポタポタと滴る…息を吸えばコロコロと喉の奥が音を鳴らす、苦しい 苦しい…、死にたくない まだ死にたくない


まだ一度だって抱きしめられていない まだ一度だって頭を撫でられたことがない まだ一度だって幸せを感じてない、折角あの怖い場所から逃げだせたのに …こんな所で



「いき…たい…」


頬を伝う水滴は果たして雨か それとも涙か


グラグラ揺れる視界の中、縋るような思いで前へ進む…アテなんてない 助かる保証もない、でも でもと一人言い訳をしながら少女は進む、豪雨が吹き荒れる深い森の中をただただ 這うように…


たった一抹の幸せ、それだけを妄信的に信じて…



───────────────────



世界の半分以上を覆う程の広大さと繁栄を誇るディオスクロア文明圏 この地に伝わる伝説、かつて いや何千年も遥かな昔…世界全土をを滅ぼし尽くす『大いなる厄災』を、正面から撃ち払い打ち倒した八人の魔女の伝説を知っているだろうか


この文明圏において 魔女伝説を知らない者はいない、子守唄にだってなっているんだ、赤子だって知っているさ…


大いなる慈愛で 大地と人々を癒した 『友愛の魔女』


圧倒的な力で凡ゆる艱難辛苦を叩いて潰した『争乱の魔女』


輝く機知で莫大な富をもたらしその責務を果たした『栄光の魔女』


湧水の如き溢れる叡智と止めどない才覚を発揮した『探求の魔女』


見る者全てを魅了する美貌と絶技で光彩を放った『閃光の魔女』


絶望に打ちひしがれ全てを諦めた者達を導いた『夢見の魔女』


最強の存在として、遍く人類の為 脅威と対峙した『無双の魔女』


凡ゆる魔術を極め、孤高の在り方を示した『孤独の魔女』


彼女達は皆が皆、人智を超越した魔力と神にも見紛う力を持つ 絶大な存在であり、その途方も無い力を以ってして 『大いなる厄災』を払い、世界を救った大英雄達にして史上最強の魔術師達

その後魔女達は厄災によって滅亡寸前となった人類を再び元のあり方 姿に戻す為、世界を7つに分けそれぞれを国として統治 支配し、繁栄させ世界に永遠なる栄華を齎した


しかし他の七人が国を持ち 一国の主人となる中、…ただ一人『孤独の魔女』だけは 何も求めず その姿を消し 以後二度とその姿を見せることが無かったという


まぁ纏めると、八人の魔女が世界を救い、滅びかけた世界の復興に力を入れた…ただ、孤独の魔女だけが その役目を放り出して逃げました、そんなお話だ



ただこれだけの話ならば、其処彼処の地方に伝わる民間伝承やら神話やらと同列に扱われていただろう、何せ これは八千年も前の話なのだから 何処かで話がねじ曲がったり立ち消えたりもしただろう、ただ…この話に存在する八人の魔女…全員が 未だ尚 悠久とも言える時を生き続け人類を何千年も支配し続けているのだとしたら…どうだろうか




ここはディオスクロア文明圏の巨双大陸の一つ カストリア大陸の一角、大国の端の またまた一角…人が立ち入らぬ山の奥の奥…秘境とさえ呼ばれる地、星の光さえ迷うと言われる程に鬱蒼とした森、その名は 星惑いの森


その最奥にひっそりと佇む 影があり、其れは館と呼ぶには小さ過ぎる 小屋と呼ぶには立派すぎる、そんな家屋の窓の向こうに何かがのそのそと蠢く…


「くぅ…ぅー、うっ しまった 変な体勢で寝てしまった、首が痛い…今何時だ…」


宵の射干玉を切り取ったかのような麗しい黒の髪を まぁなんともだらしなくピョンピョンと跳ねさせた一人の女性が 寝ぼけ声と共に伸びを一つする


女が寝ていたのはベッドではない、埃だらけの床だ ベッドがないわけではないのだが、昨日夢中になって本を読み耽っている内に 寝床まで這う気力がなくなってしまいその場で倒れるように寝たのだ。勘違いしないで欲しいのは別に毎日床で寝てるわけではない 、やっても週に三回くらいだ


「ぐっ、今日は雨か…通りで陽の光が射さぬわけだ、うっ ランタン ランタン」


薄暗い部屋の中を手探りで探し、使い古されたランタンを見つければ 火をつけるため火打金に手を伸ばす …わけでなく、徐に人差し指を立てた


「焔を纏い 迸れ俊雷 …火雷招」


口の中で一つ、言の葉を紡げば 音はやがて意味を持ち 意味はやがて形を成し、彼女の仰る通りに ランタンの中に小さな焔が顔出し周囲を照らす

こんな出来事 当たり前であるかのように一瞥もせず、女は枕がわりにしていた本を手に取り、その苛烈なまでの真紅の瞳が 本の表紙をジロジロ撫でる


「昨日最後に読んでいた本か…タイトルは 『孤独の魔女レグルスの真相』ね、タイトル通り胡乱極まる内容だったな」


この間森の外のムルク村に赴いた時、行商人が売っていたのを見て つい衝動買いしてしまったが、 なんとも出来の悪い本だった


八魔女のうちの一人 孤独の魔女レグルスの数少ない文献や伝説を独自の目線で切り込む…なんて言えば聞こえはいいが、筆者の主張や根拠のない推察が多分に含まれており、まるで筆者の頭の中を見せつけられているかのような内容だった


「孤独の魔女レグルスは その高いプライドから他の魔女と折り合いがつかず、さらなる領土を求め他の大陸へと消えていった……か、酷い書かれようだな 私は別に領土など欲しくないし プライドも高くないし、何より彼奴らとの関係も悪くない …筈だ」


悪態をつきつつも読破した本はきっちり本棚に収める…、何故 ここまで知った風な口を聞けるか? 何も不思議なことはない


この私こそが 八千年前世界を救った後、その役目を放棄し逃げ消え去った無責任極まる女 魔女レグルス、その人なのだから


まぁ 魔術を極め 不老の術を会得し、老いと衰退に別れを告げてより幾星霜、他の奴らのように残った人間の面倒も見ず こんな人目のつかない山奥で只管を本を読み耽るだけの生活を送っているんだ、どんな書かれ方をしても 文句は言えんか


「だがもっと褒めるべきところあるだろう、コーヒーを淹れるのが上手いとか……淹れたコーヒーが美味いとか…あと…」


いやもう八千年もここに引きこもっているし、出ても麓の村にちょちょっと買い物に行くくらいだし…こんな風に好き勝手言われるのも仕方ないものかね


思案しながらレグルスが軽く指を振るえば、机の上に乱雑に並べられた器具達がひとりでに踊り出し、お湯を沸かし豆を燻し 真っ黒なコーヒーが出来上がっていく



「まぁ、今更表に出てどうこうという気分にもなれまい…私なんぞ居ずとも世界は回る、ならばここで怠惰を愉しむのも 悪くはなかろう」


湯気を立てるコーヒーを一口飲めば 喉奥を刺すような激烈な苦味が寝ぼけた脳味噌を叩き起こす、さて…本でも読むか?


「いやその前に朝飯だな…忘れると1日食わんからな 私…」


ふあぁと大欠伸を一つつくと、別に食わなくてもいいが そうするとなんだか人間まで辞めた気になるから出来れば食事は大切にしたいと500年ほど前から朝飯だけは食べるようにしているんだ


ゴミだらけの床を踏みしめ 食料庫へ向かう といっても小部屋に食べ物を詰め込んであるだけの簡素なものだが…


「ん…作るのも面倒だ、このままでいいか…」


そう言って食料庫から取り出したるは一握りの豆 これが朝食、…凡そ生食用ではなさそうな そんな豆を一つ摘んでは美味しくなさそうに噛み砕く、別に貧乏で食べ物がないわけではない、 現に食料庫の中には 麻袋一杯に詰められた豆がいくつも置いてあるし 申し訳程度にパンもある…さっきも言ったが面倒なだけなんだ


「はぁ美味しくない…だが豆は保存もきくしなぁ、いちいち人里まで降りて買い物をする労力に比べたらウン倍はマシか…さてと、今日はどの本を読むか…」


ぶつくさ言いながら椅子に座り 残った豆を乱雑に口に入れ音を立て咀嚼する、さて 朝食も食べ終わったし早速読書に入ろう…


「今日のは、 む?読んでない本どれだっけ?これは 読んだっけ? あれ?」


山積みになった本を一冊一冊改めながら首をかしげる、八千年も本を読み続けているから もう見る本見る本全部同じに見えてくる…


これがかつて 最強の魔術師の一人と呼ばれ、世界を救った英雄のうちの一人の 末路とは…誰も思うまい、永劫とも言える時間をただ自堕落に過ごし 何も残さず 何も伝えず…ただ歴史の陰に消える存在 其れが今の私だ…


生き汚く存在し続けるより、何処かで死んでた方がよっぽど…


「あぁー…ダメだダメだ、雨が降っていると気が沈んでもう読む気にはなれない、たまには部屋の片付けでもするか…いや面倒すぎる、なら洗濯でも…いやそもそもこの服洗ったのいつだ…、あ キノコ生えてる」


ああ、あの頃が 八千年前が懐かしい …昔はただ世界を救うために躍起になって みんなと一緒に戦って、その果てに他のみんなは英雄として奉られ 今や神と並べられるほどの存在になってるのに…怠け者の自分が情けない


机の上に降り積もった埃を指で撫で、落書きをしているとふと…扉の前に気配を感じる


「って気のせいか、この家に数千年間 客など来たことない、山奥だしな どれだけ寂しがっているんだ私は」


やめだやめだ、こんな事を考えるのは 他の本でも読んで気を紛らわせ…て



そう、自分に言い聞かせ本に手を伸ばした瞬間、今度は確かに この耳が捉える…雨音にかき消されそうな程、小さな小さな 扉を叩く音を


「やはり誰かいるのか!?、いや だとしても誰が…っ!ええい!」


足元に転がるゴミや脱ぎ散らかした服を蹴り飛ばし、扉の前へ走る 幻聴などではない 確かに聞こえた、こんな山の奥の寂れたボロ屋に一体何のようで何者が、あれやこれや考えながら ドアノブに手をかける…



もしかして 他の魔女が、…彼奴らが私を迎えに来てくれたのか…、いや だとしても 今更どんな顔で出迎えれば…




一抹の期待と共に扉を開け放つ



「子供…?」


我が家の扉を鳴らしたのは、私の脳裏に思い浮かべた誰でもなく 幼子といっても良いほど小さな、見知らぬか細い少女であった、齢は5歳くらいだろうか 一人で歩いていることさえ不自然なほどの年齢だ


雨に濡れたその金の髪は泥と汚れでその輝きを失い、体つきは子供にしては貧相だ 痩せこけているとでも表現しようか、そして何より気になるのが


「…酷い怪我だ…おいキミ 生きているのか」


全身 いたるところに打撲裂傷が幾重にも折り重なっており、特に左足が酷い 骨折の上からさらに傷を負い千切れかかっている…この足では移動もままなるまいに、これ程の傷で こんな子供がここまで移動してきたというのか


「………ぅ…ぃ…」


「息が 意識があるのか、いやだが その傷で意識があるのはむしろ酷か…」


か細く息を吐く少女の体に手を当てれば、長い間この雨風に晒されたせいか芯まで冷えている、…恐らく地獄のような苦しみが少女の小さな体を苛んでいるはずだ、意識がなければ 楽に死ねていたものを


せめてもの温情と、…ここで楽にしてやることもできるが


「けて…さい…た…い…」


嗚呼、さっきから少女が譫言のように呟いている言葉の正体に 気がついてしまった…、こんな傷を負いながら 地獄の苦しみを味わいながら、この少女は 今も


「たすけ…て…ください、…いき…たい…」


未だ 生きていたいと宣うか、こんな小さな子供でも 自分の命のあり方を決める権利はこの子にしかない


「…分かった、少し待て 生きたいと言うのなら、最後まで踏ん張れよ」


死の奈落に 落ちかけた小さき命、そこいらの医者ならどれだけ助けたくとも できることといえば首を横に振るうくらいだろうが、これでも 伝説に名を残す魔女の一人だ 死にかけの子どもの命一つ 助けられずしてなんとするか


慌ててその冷え切った体をタオルで包み部屋へ連れ込む、頼むから 死んでくれるなよ



…………………………………………


夢を見た…すごくひさしぶりに 夢を…


わらってる かあさまが優しくわたしを抱きしめてベッドに運んでくれる夢だ、おかしな夢だ…わたしにベッドなんてないし 自由にねちゃいけないし かあさまが わたしを抱っこしたことなんて一度もないのに…


でも とてもあったかい夢だ…ずっとここにいたい、ああ かあさまが…わたしを撫でて…



「ッ!?…」


突如 意識が現実へと引き戻される、そうだ 夢を見ていると言うことは ねていると言うことだ…勝手にねていたら ごしゅじんさまに とてもとてもおこられる、早く起きてあやまらないと



「ん?、起こしてしまったか?…悪いな」


「…はれ…ここは…」


慌てて目を開ければ、そこにいたのは目を吊り上げ怒っているごしゅじんさまではなく、星のない夜のようなキラキラの黒髪と 暖炉の火のような赤い目をした、綺麗なお姉さんが…わたしのおでこを触っていた


「覚えていないか?、まぁ 覚えていないなら その方がいいかもな」


「おぼえて?…」



わたしは…そうだ、わたしを乗せたごしゅじんさまの馬車が、雨で滑って 崖から落ちたんだ…それでわたしは…助かりたい一心で、馬車に挟まった足を無理やり引っこ抜いて…それで…


ああそうだ!足!わたしの足!、たしか 無理やり引っこ抜いた時とれそうになって…!


「あれ?、あし…くっついてる?、それに けがも…」


自分の体をペタペタ触っても、どこも痛くない あっちこっちけがしてたのに、全部なおってる…?


「ああ、私が作っておいたポーションを使った…運が良かったな、私が気まぐれを起こし作っておいたポーションが残っていて、全部使ってしまったが お陰で全て完治した…、後遺症の心配もない 今ならタップダンスも踊れるぞ?」


「ぽーしょん?」


「うん?、今の時代はポーションって言わないか?薬だよ薬 魔力と薬草を用いた治癒薬で…って知らないというよりは分からないって感じか」


治ったって、 まだ幼いわたしでも分かる あのけがは治るものじゃないはずと、だけど 今わたしの足はしっかりくっついてて ニギニギと指を動かしても何不自由ない


「あ…あの、あなたは…」


「私か?、私は魔女レグルス…聞いたことあるか?」


「…………?」


不思議なお姉さんはレグルスと名乗るが、聞いたことはない 有名な人なのかなぁ、そうわたしがうんうん首を傾げていると なんとなく察してくれたのか、お姉さん…いや レグルスさんは小さく笑い 立ち上がり部屋の奥から何かを持ってくる


いや、そういえば 『魔女』は聞いたことがあるかもしれない、昔 かあさまが話してくれたお伽話に そんな人がいた気がする、でも この世で魔女を名乗っていい人物は八人だけで…



「うーん知らなさそうだな、いや聞いてみただけだ、知らないなら知らないで構わないさ…それよりもだ、治療で傷は治ったが体力までは戻っていない、今のままじゃ十中八九風邪をひく…ポーションは傷に効いても病には効かんからな、そら 簡単なものだがこれでも食べて 体力をつけろ」


そう言いながら部屋の奥から持ってきたのは…パンとスープ?、なんでわたしの前に並べるんだろう、どちらも温めているのかホカホカと湯気が出ている、湯気が出た食べ物はお前の食べ物じゃないと いつもごしゅじんさまに言われている


「…あの、これは…」


「パンと豆を煮たスープだ、悪いな 普段私だけだからあまり豪勢な食べ物は置いてないんだ…だが何も食べないよりはマシだ、食べなさい」


「たべる?…わたしがたべていいんですか?」


「いや他に誰が食べるんだ」


食べていい …初めて言われた言葉に、思わずゴクリと喉がなり自然と手がホカホカのパンへと伸びていく、ダメだ わたしが勝手に物を食べたらごしゅじんさまが怒る…怒られる、また『しつけ』をされる…のに我慢出来ない


あんぐりと口を開ければ 卑しくもヨダレが口から垂れる、ダメだ バカな手がバカな口が喜んで食べ物を欲しがっている、怒られる…その恐怖から目をキュッと閉じると同時に口も…


「はむぐっ…、あむあむ…」


「ほほう、いい食いぶりだな 腹でも減っていたか?」


…はわぁ…、…やわらかい パンがやわらかい、いつもごしゅじんさまからもらってた固くて不味くて 食べるとお腹が痛くなるパンと違って、あったかくて やわらかくて あまい…おいしい


「はむっ…ぐずっ…、ゔぅぅ」


「なななななんで泣く!?、どこか痛むか!?いやそのパンが傷んでいたか!?いやいやそんな昔のじゃないぞそれは!」


どこも痛くないのに涙が止まらない、悲しくないのに 嬉しいのにボロボロと涙が止まらない、この豆のスープも 味がする…おいしい おいしい


「…美味いか?」


「あ ゙い…おいじぃでず…」


「ならよし」


それからわたしは 涙を流し、泣きながら…必死に食べた、泣きじゃくり 脇目も振らずに食べる私を レグルスさんはじっと 怒ることもせず、優しく見守ってくれていた




……………………………………………………


「さて、食い終わったかな?」


玄関で拾った死にかけの少女を家に入れてからは数千年ぶりにてんてこ舞いというのを味わったよ、タンスの奥に突っ込んであった治癒のポーションと再生のポーションを引っ張り出し、お湯で体を温めながら 起きた時のために料理をして…と 言う感じに、汗なんぞかいたのはいつ以来だろうか


「んくっ…っ っ」


その甲斐もあり 少女の傷はすっかり癒え、今は元気にスープの皿の底をペロペロ舐めているところだ、いやしかし私の使ったポーションの出来もそうだが 生と死の狭間から生還し直ぐにここまで元気に飯を食えるこの少女のタフネスにも目を見張るものがある


「かなり簡素なものだったが美味かったか?」


「とても…!、いままでたべたなかで いちばん」


ほほうそうかそうか、目を輝かせ口に食べカスを大量につけながら言われると こちらも照れるというもの、そりゃあそうだろう、私も昔は『レグルスの料理は全部生焼けで味もあんまり染みてなくて、素材の味しかせん!すごく美味しいなぁ!』とよく褒められたものよ


「さてと、落ち着いたところで 本題に入ろうか? …君 名前はなんていうんだい?なんでこんな辺鄙な土地で 死にかけていたのかな?」


「えと…あの…」


少女が空けた皿を片付けながら、ふと 問うてみれば 目に見えて慌て始める、言い辛いか…まぁ なんでもない普通の少女が 絶界の秘境と呼ばれるこの土地でハイキングしてました なんてことはないだろうな


「名前は…ありません、わたし…奴隷なので」


「ほう、名前のない奴隷か」


奴隷 他人にその身その権利 その命全てを捧げ奉仕する、いわゆる最下層の人間だ…、身売り人攫いと奴隷に身をやつす理由は数あれど、きっとこの子はそのなかで最悪の部類 奴隷の子として生まれたが故に 生まれながらに奴隷として扱われていたのだろう


残念ながら奴隷とは珍しいものではない。特に権力者有権者の自宅にお邪魔すれば 奴隷の肩書きを持つ者などそこそこにいる、待遇の良し悪しには差はあるけどね


どうやら外の世界は 昔から変わらず愚からしい、いや 愚かなままのは…世界ではなく人か


「わたしを飼っているごしゅじんさまが、わたしを連れて 馬車で走って…それで 雨が馬車で滑って、がけから落ちたんです…怪我はその時に…わたしはなんとか生きようとして、必死に歩き回って…ここにつきました」


「そうか、そのご主人様とやらは生きているのかい?」


「わかりません…」


フルフルと首を振る名無しの少女の姿を見て、一度物思いに耽る…そうかそうか、この子の話を聞く限り 多分ご主人様とやらもこの森のどこかに落ちているのだろうが、恐らく もう間に合わんだろうな…だが 一応探しておこう


「分かった、君のご主人様の安否は私が確認してこよう、君は大人しくここで寝ていなさい、さっきも言ったが傷が治っただけだからね?毛布にくるまって体を温めていなさい」


「ご…ごしゅじんさまを、…わかりました」


あんまり乗り気じゃなさそうな名無しの少女の声を聞きつつ、外行き用のコートに袖を通し帽子を軽く 頭に乗せる、この森 星惑いの森は広い …四方が山と谷に囲まれた謂わば陸上の絶海 故に人の手が一切及んでいない、広く深いこの森の捜索は 普通にやれば1ヶ月2ヶ月単位を要することになる


普通にやればね…



帽子のつばを弄りながら 外へと歩む、久々だから 上手くやれるかな…唇を震わせ 小さく息を整える



其れはかつて、伝説に謳われた魔女の絶技


其れはかつて、天より授けられたとしれる奇跡の御業


其れはかつて、山を砕き 国を焼き 天を滅し、敵対する全てを破壊し尽くした 魔女の扱う古の……



「火天炎空よ、燦然たるその身 永遠たるその輝きを称え言祝ぎ 撃ち起こし、眼前の障壁を打ち払い、果ての明星の如き絶光を今…天元顕赫」



静かに 声だけが木霊する、雨垂れさえ 風さえ 音を忘れ、レグルスの声だけが 静々と響く





……………………ディオスクロア文明圏 大国アジメクはこの日、記録的な大雨が各所で降り注いだと伝えられる、そんな中 アジメクの一角を占める巨大樹林 星惑いの森の方角の雨雲が突如 広範囲に渡って消え失せたと 周辺山村の住民は皆口々に語った


曰く『雨神様の降臨だ』と伝えられ、曰く『滅びの厄災の再来だ』と伝えられ、曰く『魔女様のお怒りだ』とも伝えられるこの不可思議な現象は 以来百年以上に渡って多くの人間の頭を悩ませることになる


何せこんな広範囲の雨雲が一瞬で消え去るなど、自然現象でも ましてやどんな大魔術を用いてさえ、ありえない異常現象なのだから…………………






「見つけた…こいつらか」


干上がり 硬くなった地面の上をコツコツと歩き 其れを見つける、いやしかし 久しぶりに魔術を使うと加減が効かなくていけない、遠出になるからちょっと雨を散らそうとしたら 周囲の雨雲を消しとばした上に 森全体まで乾かしてしまうとは…今度は魔術で逆に雨を降らせて森に対して埋め合わせをせんと…



「なるほど、しかし随分な距離だな…」


名無しの少女が語った ご主人様と馬車は 思いの外容易く見つかった、遠視透視の魔眼を用い ちょちょいと周りを見渡してやればすぐだ…だが この馬車から私の家の距離 これが結構なものだった



「この私が全力で移動して1分かかったのだ、つまり普通の人間の足なら丸一日かかる程の長距離…其れを少女はあの怪我で移動しきったと言うのか、これも 並外れた生への執着ゆえか…」


ちなみに、件のご主人様と呼ばれる男は 死んでいた…改める必要も治療の余地もない、腐り散らしたトマトのように馬車に潰されペシャンコだ、酷い有様だがいい身なりをしていることはわかる 恐らくは何処かの国の貴族であったのだろう


「恐らく転落しそうになった時我先に逃げようと馬車の外に出ようとしたのだな…、そのせいで 逆に馬車に巻き込まれ潰されたと…」


御者も馬も 同じ末路を辿っていた…少女が生き残れたのは 他と違い馬車の中にいたからか、或いは体重が軽かったからか 或いは…なんて考えても仕方ないか、とりあえずこのまま放置するのも忍びない 埋葬してやろう


「大地よ、隆起しその姿を変え その慈悲を抱擁と共に…土流飲没」


詠唱も中頃に 大地が意思を持ったかのように、凄惨な其れ等に覆い被さり埋めていく…乱雑な埋葬にはなるが、野晒しよりはいいだろう


「生前が如何なる人物であろうとも、死すればその罪は洗い流される…せめて安らかに眠れる事を祈ろう」


さて、あとはあの少女のこれからについてだが…奴隷 という言葉を聞いてから、考えていた このまま彼女を町の孤児院に預けても…恐らくは 上手くいかんだろう、生まれてこの方奴隷としてしか扱われてこなかった彼女の価値観は、歪みきっている…空腹なのに目の前の食事に手を出さない程度には


「あの子を生かした責任が 私にはある、…生き残ったんだから良かったね?はいさようならとは言えんだろう」


何が何でも生きたい その執念が起こした奇跡に、私が応えずして如何にするか


そうと決まれば、家に帰ろう もう一度あの少女と話す必要がある




と思い、全速力で家まで跳ぶ事 約1分くらい?、いや それほど長い時間家を空けたつもりじゃないんだが、家に帰って少女の眠るベッドへ勇んで駆け込んで見れば…



「いない!?、あ あの子あれだけ寝ていろと言ったのに!どこへ!?」


後には既に冷たくなったベッドだけが残されていた、この感じ的に 私が家を出てからすぐにベッドから抜け出しどこかへ行ったのだろうか


いや、冷静になって考えてみればそうか 素性も知らぬ女に親切にされては逆に疑うか、きっと私を信じきれず 機を伺って外へ逃げてしまったのだろう



…いや追うまい、彼女がやっと手に入れた自由だ…これからどうするかは彼女が決める事、例えそれが原因で死んだとしても…もう私の出る幕は…



「あ…っ、レグルス…さま、ぉ…おかえりなさいませ…」


「え??」


ふと、声がして振り向いてみると そこにはモップと麻袋を持った件の少女が…


「って何しているんだ君は!、あれだけ大人しく寝ていろと言っただろう、本当に病気になるぞ!」


「ひうっ!?、す…すみません おとなしくねているの、なれなくて…助けてくれたお礼に なにかしなきゃって それで…」


私に怒鳴られると肩を震わせ怯え縮こまる少女 、やめてくれ そう言うのやめてくれ…泣かれると弱いんだ私は、そうだな 助けてくれたお礼に部屋の片付けでもしようとしてくれてたんだな 分かった分かった


「まぁいい、ともかく話がある 座りなさい」


「?…なんですか?」


座れ と言われるとその場にチョコンと行儀よく座る少女、なるほど 椅子に座る という意識はハナからないと…


「まず、君のご主人様だが 死んでいた、今しがた私が埋葬してきたから 安心しろ」


「……そうですか」


死んでいた と伝えても無表情に ただ一言返す少女、だがこの魔女レグルスをなめてはいけない 今ほんのちょっと眉が緩んだな?主人が死んでいて安堵し落ち着いた というところか


「そして二つ聞きたい…まず君、母と父 もしくは故郷に面倒を見てくれる人間はいるか?」


「いません、かあさまは一年前 病で死にました…とおさまは会ったことがありません かあさまもいないものと思えといってました、こきょうも…ありません わたしはごしゅじんさまの館でうまれたので…」


「そうか」


そう無表情で語る少女だが、うん今度は若干伏せ目がちだ 恐らくは 母が死んだ時の事を思い出したのだろう、つまりこの少女は今 天涯孤独か…なら


「ならば二つ目は、…我が弟子として ここに住む気はあるか?」


「へ?…」


ぱちくりと目を見開き間抜けな声を上げる少女、なんだその反応は てっきり出て行けとでも言われると思っていたのか?意外も意外という顔つきだ


弟子、弟子だ 私がこの子が一人で生きていけるようになるまで面倒を見る という話、ただ面倒を見るだけではダメだ その後自分で生きられるよう しっかり力をつけてもらわなくてはいけない、故にこその弟子


たしかに面倒は面倒だが 人間が一人前になるのにかかる時間は大体二十年そこら、千年単位で生きる私からすれば 瞬きのような時だ…


「我が弟子となれば、私はお前に教えられる限りの魔術とこの世界を生きていくだけの力と知恵を授けよう、ただし 甘えも半端も許さん…きっとお前の思い描く平穏な人生からは 遠く離れることになるだろう」


「でし…まじゅつ…わたしが」


「ああ、お前が弟子になるのを拒否すれば 私は止めん、ここにある食料と路銀を渡し人里まで送り届ける事を約束しよう、ただもし…」


「なります!」


私の言葉を遮り、声を上げ 立ち上がる少女…最後まで聞け、いや まぁだが妥当か 私の名は知らずとも魔女の絶大さは知っていよう、魔女より教えを授けられるなど 力を欲するものならば誰もが欲しがる栄光だ…


「なるほど…生きていく為の力を求めるか、ならばそれに応えよう」


「ちがいます、ちからは いりません…ただ、レグルスさまが わたしを生かしてよかったと、思えるくらい りっぱな人に なりたいんです」


「何?私がか?」


「はい、レグルスさまのために こうやってお掃除するよりも、レグルスさまに いろいろおしえてもらって、すごい人になれば 今度はわたしがレグルスさまを助けられるとおもって…!、だから…でしにしてください!」


こいつ…、そうか この子もこの子で 助けられた責任 というのを考えていたのかもしれない、それを返すため 私に教えを乞うと…この魔女レグルスを助けられる程の人物になりたいと…ククク 意気のいい事を言うじゃないか


「いいのか?厳しいぞ 私は」


「だいじょうぶです、どんなことでもたえられます」


「死ぬかもしれないぞ?それもとびっきり痛い目にあって」


「とびっきりいたいめはさっき見たので、だいじょうぶです!」


「厳しい修行を乗り越え 痛い目にあっても、上手くいくとは限らんぞ?何もできずに終わるかもしれないぞ?」


「だいじょうぶです!、かならず レグルスさんが じまんできるくらいの人になります!なりますから…わたしを…」


何を言っても どれだけ脅しても引かない、いや私から誘っておきながら脅し倒すのはどうかと思われるかも知れんが、大切なことだ 魔術の…いや魔女の修行は1年2年で終わるものではない 人生に関わる大きなことなんだ


…だが、この子の根性は さっきから何度も見せられている、魔術の才能云々は分からんがまぁ、面倒を見てみるのも 悪くはないか…


「なら、私と暮らすか?…我が弟子よ」


「はい!…ずずっ…はいっ!レグルスさま、わたし!りっぱな人になりますから…ぐずっ、だから わたし…ここにいても、いいですか…!」


グズグズと泣きじゃくりながら私の足に抱きついてくる少女、何を言っているんだか 誘ったのは私の方なんだ、そんな思い詰めずとも良いのに…


「構わんさ、そんな交換条件など示さずともな…」


「レグルスさま…レグルスさまぁ…」


涙で濡れる我が太もものなんとも言えない気持ち悪さを押し隠しながら、なるべく安心させるよう 撫でてやる、しかしそうだな …私が この子の居場所になってやれるなら それも悪くないかな


「はぁ、分かったから 我が弟子ならば師匠と呼べ…えぇっと、そうか お前名前がなかったのだな、しかしこれから共に暮らすなら名無しでは不便か…」


「ぐすっ…ずすっ、あの レグルスさ…ししょーが つけてください、わたしのなまえを…」


「何!?名前!?私が!?、いいのか!?私がつけても!」


コクコクと頷き離れる様子のない少女、いや でも確かに私が名付けなければ 誰が名付けるんだって状況だしな、ああ くそ、どうしたもんか 変な名前はつけられんし、かといって最近の子達の名前なんて知らないし…


「なら、…うーん ならぁー…うん!、なら 君の名前は エリスでどうだろうか」


「えりす?」


エリス どっかの舞台だかなんだかで昔 見た名前だ、美しく気品あり 一人輝く名前…だと思うんだが …?


「な なぁ、変じゃないよな?エリスで…問題ないよな?」


「はい!、わたしは きょうからエリスです!」


ニパーッ と笑い私に名前をつけてもらったのが嬉しいのか、抱きついたままその場でピョンピョン飛び跳ねる少女…いや、エリス


ようやく、年相応の顔を見せてくれたな…


「ともかく!、弟子としての修業は明日から!今日はゆっくり寝て休め!師匠命令!」


「はい!ししょー!」


「というか私の足に抱きつくのをやめろ!」


「はい!ししょー!」


こうして、私に初めての弟子が出来た…上手くやっていける自信はないが、まぁ自堕落に過ごすよりかはいいか と、浅く笑う 自分の口に気づかず私と弟子エリスの 生活は始まった







……………………………………


「なら…私と暮らすか? 我が弟子よ」


レグルスさまが言ったその言葉は…わたしにとってはすくいだった


『お前なんかいない方がいい』


『お前がここにいること自体間違いなんだ』


『飯を食わせてもらえるだけありがたいと思え、このゴミ』


毎日のように、ごしゅじんさまに言われつづけた 言葉、今でもぜんぶ 思い出せる


その言葉をうけても、別にかなしいとか つらいとか 思ったことはなかった、ただただ思うのは ああ このせかいに わたしの居場所はないんだなと ずっと思っていた


だから、うれしかった…ここにいてもいい そう言われたのはじめてだから


はじめてできた 居場所 はじめてもらった『エリス』という わたしの名前、はじめて頭をなでてもらった レグルスさま…いやレグルスししょーにはたくさんのものをもらった…


いつか もらったこの気持ちを…この人にかえせるだろうか、いや いつかきっと かならず…


だからわたし…ううん エリスはがんばりますよ、ししょー!

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