第3話 二十四時と幻想少女・下

「どうぞ。ブラックだけど」

「ありがとうございます」


 コーヒーを渡すと幻想少女は少し微笑んでそう言った。


 彼女は椅子に座ったので、俺はベッドの端に腰掛けた。この部屋に椅子は一つしかない。部屋に来客なんて想定していないし、ただでさえ狭い部屋がさらに狭くなる。

 ただ、部屋が狭いおかげで椅子とベッドでも会話できる。


 ベッドの後ろには窓がある。おかげで雨の音が心地よい。


 俺は、すでにぬるくなったコーヒーを口に含んだ。

 苦い。

 幻想少女の方は息を「ふぅふぅ」と吹きかけては少しづつすすっている。

 可愛い。

 セーラー服なので二次元の可愛い女の子が飛び出してきたみたいだ。世界よ、これが萌えだ。

 

 と、そこで俺はあることに気が付いた。机の上のパソコンの電気が落ちていない。

 最初、俺用のコーヒーを入れるために部屋を出た時、俺はパソコンを消さなかった。

 それからなんやかんやでもうすでに20分くらいは経っているだろう。何も操作されていなければ自動で暗くなっているはずだが、そうはなっていない。

 そして俺はパソコンにあれから触っていない。

 ということはつまり――


「幻想少女さん」

「面白い呼び方をしますね。なんですか?丸眼鏡さん」

「そこのパソコン、触ってませんよね」

「面白そうなプロットでしたね、完成していないのが惜しいですよ」


 煽っているのか、本音なのか。


「こっちの質問を超えた返答をしないでくださいよ」

「すいません。点いたまま放置されていたのでてっきり良いものかと」


 普通は他人のパソコンが点いていても勝手には見ないだろ。

 だが、自称「幻想」に常識を求めても無駄だろう。

 まぁ、いい。やましいものはパソコンには入れていない。そういう類のものはログインが必要なクラウドに保管するのが正しいやり方だ。そうすれば今際の際に「HDDを消してくれ」とか言う必要はない。


「あなたは文芸部、とかそういうのなんですか?」

「いや、違う」


 俺は帰宅部だ。中1の頃はプログラミング部だかに入っていたが、部活の雰囲気が気に入らなかったのでやめた。


「じゃあただの無所属ワナビさんですね」


 ワナビとは「なりたい」のwant to beが元のスラングwannabeをカタカナにしたものだ。目標に向かって努力をしたりする人のことを言うが、そこはスラング。やや侮蔑や嘲笑的な意味合いを持つ。基本敬語のくせに変なところで失礼なやつだな、こいつは。


「俺は別に作家になりたいわけじゃないです。なんとなく、ではないですけど、まぁ書いている、みたいな。」

「そうなんですね。私も本は好きなので本を書いてみたい、という気持ちはすごい分かりますよ」


 さすがは俺が作った幻想さん。俺と同じで本が好きだそうだ。


「幻想少女さんは本を書いた経験は?」

「ありますよ。自分で言うのもあれですけど、そこそこ面白かったと思います」


 幻想少女はそう言って自慢げにそう言った。


「はえー、すっごい」


 面白かった、ということは自分で満足のいくレベルのものを完成させたのか。

 こいつみたいに少し変な人間の方が小説は書きやすいのだろうか。太宰治なんて自分がモデルの作品に人間失格ってつけるくらいだしな。


「棒読みですね」


 幻想少女はほんの少し不服そうに笑った。


「いえ、すごいなぁ、と」


 そう言って俺はカップに残っていたコーヒーを飲みほした。

 苦い。

 空になったカップは倒してもこぼれないし、手に持っていても邪魔なだけなので床にカップを置いた。

 そして俺は自称「そこそこ面白い本を完成させた」幻想少女に、アドバイスをもらうことにした。


「実は今、あのプロット、て言えば分かりますよね」

「はい、わかりますよ」

「それで詰まってて。アドバイスを頂けませんかね」


 俺は幻想少女にアドバイスを求めた。中世風のラノベを書きたいことや、いろいろ悩んでいることを伝えた。


「うーん、そうですねぇ」

 幻想少女は考えながら話した。


「私はあまりライトノベルとかは読まないんですけど、丸眼鏡さんネタ帳って作ってます?」

「いや、ないです」

「あると便利ですよ。ネタを書き記そう、って思いながら日々を過ごせば何げないネタに気が付きます。それに現実がもっとこうであれば面白いだろうなぁ、という妄想もできるようになりますよ。そうすれば自然にプロットも書けるようになります」

「そんなもんなんですか」

「そんなもんです」


 幻想少女は続けた。


「人間の記憶を色に例えてみます。色は混ぜ方によって多種多様な色ができます。でも作りたい色のっビジョンを持たずやみくもに混ぜても美しい色は作れません。」


 なんか分かりそうで分からない例えだな。


「まず、丸眼鏡さんは色々な色を知った方がいいと思います」

「それは何かに挑戦してみろって、ことか」

「それよりも、まずは何げない日常にある色を見つけてみてください」

 

 少女は続けて言った。

   

「この部屋だけでも年季の入った白い壁。白いシーツに青い布団の乗ったベッド。カラフルな背表紙の本が入った茶色の棚」


 幻想少女は告げた。


「後ろ、透明な窓の外には綺麗な黄色い月が雲の間にですが、浮かんでいますよ」

 俺は振り返って窓を見た。


「おぉ」

「こういう、周りの色をネタ帳に書き込んでみてください」


 いつのまにか、雨は止んでいた。綺麗なおぼろ月が見えた。

 

「じゃあ、がんばってくださいね。丸眼鏡さん」

 

 その声に、体を戻した。

 振り向いた時には、幻想少女はいなかった。

 誰も座っていない椅子。

 俺は数回瞬きをした。


「いない……」


 ベッドの端から立ち上がる。

 机の上の、幻想少女に淹れた水色のカップの中は空だった。

 

 ふとパソコンを見た。いつのまにか画面は暗くなっている。

 俺はとりあえずパソコンを起動して、ワードを開いた。

 画面に表示された作りかけのプロットは一字も変わっていなかった。

 

「あいつ、せっかくなら1文字でも続きを代わりに書いてくれてよかったんじゃないかぁ」

 

 ほんの少し期待していた。童話ならプロットが完成していてもおかしくはなかったた。軽く溜息。


 非日常から一気に日常に戻されて、なんだか気持ちが疲れる。


 もうプロットを考える気力がなかったので、パソコンを閉じることにした。

 左上の×マークにカーソルを走らせる。

 クリック。マークが赤になってページが消される。

 そのまま何回かクリックしてインタネット検索や設定、ファイルのエクスプローラ ー等の他に開かれていたものを消した。

 電源を消して、ノートパソコンを折り畳む。

 

 床に置いた白のカップを水色のカップと一緒に机の一角に寄せておく。

 

 そうだ、ネタ帳。

 翌朝になったら忘れるだろうな、うん。今作ろう。

 ノートよりもスマホの方がつけやすいかな。


 俺はズボンのポケットからスマホを出して、メモアプリを開いた。

 新しいフォルダを設定。タイトルは無難にネタ帳、と入力する。

 ネタ帳を作った俺はスマホを閉じた。

 

 それにしても不思議な少女だった。

 写真の一枚でも取っておけばよかったかもしれない。

 まぁ、また出るかもしれないし、良いか。

 ネタ帳も作ったことだし、今日はもう寝よう。

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