僕らのさいごの夏休み

雫石わか

第1話「さいごの夏休み」

1. さいごの夏休み



「ひょっとしたら、僕たちのこの選択は間違っていたのかもしれない」

 空には月が浮かんでいて、夜だというのに、あたりは明るかった。

目の前には穏やかに揺れる海。そこを横切る船はなかった。人もいなかった。まるで、僕たちだけがこの世界にいるみたいだ。そう錯覚してしまうほどに人気がなかった。

 夏休み最終日。誰もいない街で僕らは二人ぼっち、海を眺めながら話をした。

「だけどね、きっと。これは僕らにとって――」




 七月二十五日。夏休み初日。


「うあー、暑いねえ。凶器並みだよこの暑さ。余裕で人殺せるレベルの暑さしてる」

「そうだね。自室にこもってずっと宿題でもしていたら、気づかないうちに熱中症になって倒れそうだ」

「ね。っていうか、なんか例えが生々しいんだけど」

「ああ、これは去年の僕の実体験だからね」

「……え、ちょっ、それ初耳なんですけど!」

 やかましい蝉時雨を浴びながら、僕らは日陰のない海沿いのアスファルトの上を歩く。

 となりでは、幼なじみである紬がなにか言っているが気にしない。

「ねえどうして言ってくれなかったのー!」

「いや、単純に言う意味が見つからなかったし、タイミングもなかった」

「意味はなくてもタイミングはあったでしょうが。ほぼ毎日顔合わせてるんだから」

 その通り、僕らは毎日のように顔を合わせる。理由は単純。同じアパートに住んでいるからだ。だがそれだけではない。

「にしても、毎回家を出る時間もシンクロするってすごいよな」

「ほんとほんと。いつも同じ時間だからずらそうって思って違う時間にでてみても、なぜか会うんだよね」

「それだけ思考回路が似通ってるってことだな」

「だろうね、きっと」

 と、いうことなのだ。

「ところでさ、今年の夏休みは一体どうやって過ご」

 そのとき、バサバサと音をたてて、鳥たちが一斉に飛び立った。ぐるりと首を動かして空を見る。飛び去って行く鳥たちの白が、空の青さによって引き立てられていた。

 僕の目には、その光景がとても鮮やかに、そしてとてもゆっくりと映った。まるでスローモーションを見ているかのようだった。鳥たちが飛ぶ様子なんて、ごくありふれた光景で、珍しいものじゃない。僕だって今までに何回も見てきた。なのに、なのに……

 なぜだか、その光景から目が離せなかった。

 世界の進みはとてもゆっくりで、なにも聞こえないし、さっきまであれほど文句を言っていた暑さすらも感じなかった。

「……おと、あ……と、碧人!」

 みーんみんみんみんみーん。みーんみんみん……。

「っ、行こう紬」

 紬の声で、ハッと我に返った。

 僕は紬と一緒に走る。鳥たちに負けないくらいの速さで。走って、走って、走り続けた。


 一キロほど走ったところで、ゴオオオ、というような音が聞こえてきた。僕らの背中側、ここからは少し遠いところで音がなっている。

「つ、つかれた……」

 公園のやわらかい緑の上、日陰になっているところで寝転がった紬は、消え入りそうな苦しそうな声で喘ぐようにいった。

「ああ、おつかれ……」

 そう返す僕の声にも、疲れと苦しさが半端じゃないほど滲んでいた。

「やっぱり、文化部だから、運動不足が……」

「わるい紬、今日あれが打ちあがるってこと忘れてた……」

「しょうがないよ、私も忘れてた……」

 物凄い音と煙を噴射しながら、それはのぼっていく。大きな鉄の塊が、青い空を切り裂いていく。

「あれに乗れる人って、わずかだよね」

 紬は寝転がったまま、静かな目でそれを眺めながら言った。

「希望すれば乗れるっていうけどさ、きっと物凄い人数の希望者がいるし、全員は無理なんだろうね」

「多分そうだろう。こんな風にのんびり過ごしているのは、きっとごくわずかな人たちだけだよ」

 すこし煙っぽい風が、僕らの鼻先をかすめて吹き抜けていく。

 穏やかだけど、穏やかじゃない。僕らのさいごの夏休み。

「でもさ、案外みんな素直に受け入れたよね」

「……ああ、『さいごの夏』のこと?」

「うん」

「まあ、突拍子もない話のようだったけど、しっかりとした確証もあったわけだし、信じるほかなかったんだと思うよ」

 黄色の蝶がふわふわと、植物と植物の間を行き来する。そのうちに、別の黄色い蝶がやってきて、二匹の蝶は戯れながらどこかへ行ってしまった。

「それに、別にみんな素直ではなかったよ。暴動も起きた。大勢の人が死んだ」

「そうだね。でも、この街はそんなに荒れなかった。暴動による惨劇も、私にとってはニュースの中の出来事にしかすぎなかった」

 落ち着いた、規則正しい速度で呼吸をしながら、また落ち着いた静かな口調で淡々と告げていく。

「学校の先生とかは、明日は我が身と思って気を付けるように、って言ってたけどさ、やっぱ実感なかったよ。先生の言ってることも、暴動がこの国でもあちこちで起こってるってことも理解していた。そう、理解していただけなんだよ」

 服や、やわらかい草たちがこすれる音がした。

紬は、仰向けの体勢から横向きの体勢になり、僕を見つめた。

「ねえ、私が今こうしてるのってさ、わかってないからなのかな。分からないからこうしてられるのかな。理解する、と、実感する、は違う。私は理解しかしてない。だから、

この夏休みが終わると同時に世界も終わる

っていうのに、私はいつも通りでいられてるのかな」

 純粋で率直で、だけど難しい紬の疑問。

 きっとこの問いに絶対的な解答は存在しない。今僕が求められてるのは正論じゃない。紬が求めてるのはきっと、僕の答えだ。似通った思考回路を持つ僕ら。紬の中できっと、この問いの答えはすでに出ている。だけどまだはっきりしておらず、ぼんやりとしている。それが正しいのかもわからない。だから答え合わせをしたいのだろう。全てに共通する正しさなんてものは存在しないが、僕のなかの正しさが出した答えを知りたい。知って、自分で丸付けするための判断基準にしたいんだ。

 そして、自分が抱いている不安を、僕に否定してほしいんじゃないかと思う。

 僕は紬の方は向かず、ゆっくり流れ動く雲と、空を突っきっていく鉄の塊を眺めながら言った。

「確かに、僕たちは理解しかしていない。そこまで現実感もない。だけど、それは実感していないからじゃない。"僕たちだから”だ。僕たちがそういう人間だからこうしている。そういう風に生きたいと、きっと心のどこかで思っているからこうするんだ。僕たちはちゃんとわかってる。ただ、わかった上での行動が、ちょっと他の人たちと違うだけで。僕たちがこうしていつも通りにしているのは、僕たちの意志であり、願いだ。これで終わってしまうとわかっているからこそ、いつも通りの日常を望み、最期までそれを続けたいと思っている。続けようとしている」

 僕も横向きの体勢になり、紬と向き合った。

「だから、もし自分がわかってしまったら、僕がわかってしまったら、この日常が壊れるかもだなんて心配はしなくていい。そんなことに怯えなくていい。少なくとも、僕がこの日常を手放すなんてことは絶対にないから」

 紬は感心しているような、驚いているような、嬉しいような、色々な感情が混ざった表情をしていた。

「そ、っかあ。私たちの意志、か。ふむふむ」

よっと言って起き上がった紬は、目を閉じて腕を組み、今の僕の言葉について考えているようだった。が、ゆっくり目を開いて僕の方を見ると、にっこり笑って一言こう言った。

「難しいね!」

……いや、

「難しい答えにさせるような難しい問いを出したのは誰だよ」

「私だね」

 そんなにきっぱりと答えないでほしい。

「そうだろ。じゃあ自業自得だ」

「つめたーい」

「いや、事実」

 さっきとは打って変わったようだ。時々ああやって難しいことを聞いてくる紬。そういうときは決まって口調がとても静かで、いつもと雰囲気がガラッと変わる。

だけど、それも紬の一面にすぎない。紬は純粋で、素直だ。だからこそ苦しむ。そんな彼女にとってこの夏休みは、きっと思うところがたくさんあったのだろう。

「まあ、でもすっきりしたよ。ありがとね、碧人」

「どういたしまして」

 やわらかく微笑んだ紬は、なにか思い出したような顔をして語り始めた。

「ところでさ、私たちは似通った思考回路を持つって碧人は言うけどさ、多分それちょっと違うんだよね。最終的に同じ結論にいたる、というだけで。私は直感的にその答えに辿り着くタイプだから、理由を説明しろって言われても上手くできない。けど碧人はその反対で、思考してその結論に行きつくタイプだと思うんだよね。骨組みがしっかりしてるから信頼できる。私の方は少しぐらつきながら同じような形を保ってるって感じ。だから時々、自分の考え方がよく分かんなくなる」

 紬が立ち上がる。白いワンピースが風を含んでやわらかく広がる。紬はまっすぐと、空を見ていた。

「なんでそう考えたんだろうってなるとわからなくなっちゃうから、だから時々碧人に聞くんだよ。そうしたら色々含めて答えてくれるから」

 そこまで言うと、紬は僕の方を振り向いた。

 そして、なにかに引っ張られるように僕も立ち上がる。

「まあ、大体難しいから理解するのには時間がかかるけどね」

 そう言って、にこっと眩しい笑顔を僕に向けた。

「ところでさ、さっきの話の続きなんだけど」

「さっきのって夏休みになにをするかっていう話?」

「そう」

 そのあと、僕らはさっきいた場所とは反対側に、海沿いを歩きながらこの夏休み中になにをするか話し合った。

 結論はそう、『いつも通りに過ごす』。別に出さなくてもいい宿題に追われながら、僕たちの所属する文芸部の活動をする。毎朝ラジオ体操をする、海で遊ぶ、花火をする、かき氷を食べる、 流しそうめんをする、山登りをする、映画やアニメを見まくる、ゲームをする、図書館に行く、ちょっと遠出する。

 なんてことのない、夏休みの日々。

 終わったら、何もかもが消える、世界の終わりまでのカウントダウンの日々。

 一見真っ暗に思われるような日々も、僕たちにとっては色々詰め込んだ宝石箱のような夏休み。世界の終わりを嘆きながら、一か月を過ごすなんてごめんだからね。

「でもさ、嫌になったら宿題やらなくていいっていうのは嬉しいよね」

「確かに」

 午前十時。そろそろ暑さが本気を出し始めたので、僕たちはクーラーのある家へ帰ることにした。

「帰ったら早速、宿題を始めようか」

「うげ、鬼畜だよ碧人……。一時間やったら一時間ゲームね」

「まあ、いいよ」

「よし!」

 こうして、僕らの最期の夏休みが今、幕を開けた。



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