放火魔

無害なカナダ

放火魔

こんにちは刑事さん。

私は何もかもお話したつもりなのだけど、他にも何か聞きたいことがあるのかな?

あぁ、もう一度話してほしいのか。そんなに警戒しなくても、別に作り話なんてしてないよ。動機について?確かに私のようなケースは少し珍しいかもね。

何、別に同意も共感も求めていないのだから、理解できないことを気に病む必要はないよ。

そう顔を顰めないでくれ。刑事さん達とは友好的関係を築きたいと思ってるんだ。争いは何も産まないからね。

口調が気に入らないのかな?敬語は苦手なんだ。この話し方が私なりの敬意の示し方だと思ってくれると嬉しい。

そう急かないで。大丈夫、黙秘権を行使するつもりはさらさらないよ。むしろ私はお喋りな方だからね。それで、何の話だっけ。そう、動機の話だ。


炎は美しいよね。単なる酸化現象なのに、いわゆる芸術作品よりもよほど蠱惑的で魅力に富んでいる。

炎は最善を知っている。一番効率の良い、一番正しい形で常に定義されている。

私達が見ている色は、多くは所詮他の光の反射に過ぎない。他所から来た光を吸収して受け流してそれが私達の眼球に届くだけだ。

でも炎は光っている。正しく光っているんだ。神にも例えられる太陽だって、ただ水素を材料にして燃えているだけだ。

でも私達が生きているのは一から十まで太陽のおこぼれのお陰で、私達は生まれながらにして炎を恐れながら炎に惹かれ続けている。

だから、炎に狂わされる人が居るのも理解できるよ。刑事さんが私の動機をそう推測するのも自然な話だ。


でも残念ながら、私はそこまで炎自体に執着はなくてね。勿論敬意は払っているが、それは炎の存在そのものに対してというより、どちらかというとその役割に対してだ。

昔、最も一般的な埋葬法は土葬だったらしいね。恐ろしい話だ。死んだあとの人間はどんどん腐敗していく。異臭を発し、汚らしく汁を滲ませ、段々変色し、蛆虫に食われ、眼球は溶け落ちる。

誰かがそうなるのを想像するのも、自分がそう変わるのを考えるのも、どちらも悍ましい話だ。

その点、火葬というのは慈悲深い手段だ。残るのは灰と骨だけ。どんな罪人であれ、ありとあるゆる人が遠巻きにするであろう醜女であれ、醜男であれ、炎に焼かれればただの灰だ。

炎は穢れを祓うんだよ。浄化するんだ。


裏を返すと、燃えるものは一つ残らず穢れなんだよ。


ねぇ刑事さん、ミミズは好きかい?

魚の内臓は?ナメクジを愛せるタイプ?友人の毛穴をまじまじ近くで見たことは?

気持ち悪いんだよ。生き物っていうのは。

生温く蠢く筋繊維を、増殖し続ける細胞を、開閉する身体全体に空いた無数の孔を、口にしたものをどろどろにする消化管を、そこにびっしりと生えた柔毛を、私は嫌悪せずにはいられない。

気持ち悪いんだ。一つ残らず。

唾液が無理だ。汗も不愉快だ。吐息にも触れたくない。

そう思うのは自分だけで、どうやらそれは異常なことで、身近な人を少しでも愛したいなら怖気を堪えて受け入れなければならないのだと、そう気付いたのはほんの幼い頃だ。

人が嫌いなわけではなくて、でもどうしようもなく生物が厭わしくて、そんなある日隣の家族に出会ったんだ。


おっと。怖い顔だね。怨恨?一体何を言ってるんだ。この話の流れでそんな結論に帰着するはずないじゃないか。

私は刑事さん達を、日本の警察を信頼しているんだよ。

悲しいが、私はそんなに頭が良い方じゃない。あなた方が積み上げてきた知識と、技術と、それから繋ぎあげてきたであろう人脈に対すれば、私なんて無力に等しい。

だから火を放つなら一回だけだ。人生を棒に振って、一回。

それを恨んでいる相手に使って終わり、なんて正気の沙汰でないだろう。第一、復讐は何も産まないしね。私はそういう類のことは嫌いなんだ。

愛していたよ。無論、性的なニュアンスではなくね。生憎、私にそんな趣味はない。というか、そもそもそういった欲求もほぼないよ。嫌悪が先に立つからね。

私は彼らを、そうだな……尊敬していた。

調査したなら知っているんだろう?彼らは誰かから憎まれるような家族ではなかった。むしろ、誰もが彼らを好きになった。そのはずだ。

夫婦に子供が二人。幸せいっぱいの新居暮らし三年目、いや、三年目だと新居暮らしとは言わないかな?

ただ毎日淡々と醜い生命活動を生きて、自宅で仕事をこなすほか何も社会に貢献していない、そんな私に対しても見かけるたびに挨拶をしてくれたよ。

彼らは理想的な家族だった。毎晩夕食を共に囲み、時に喧嘩をし、数時間後には仲直りをしていた。

別に覗いていた訳じゃない。窓や道から見えた範囲の話だ。

でも正直時々覗き込みたくなったよ。あまりにも幸福そうだったからね。

彼らは素晴らしい存在だった。しつこく言うが、私は彼らを愛していた。

だからこそ私は彼らの生物性が許せなかった。

愛しいほど、仰ぎ見るほど、些細な欠点が許せなくなる。

彼らを開放してあげたかった。彼ら本当に好きになりたかった。人間が人間を好きになるように、私も。


後は知っているだろう?深夜にガソリンを撒いて火を放っただけだ。一番綺麗になるように沢山計算したから、上手く燃えたよ。

子供用の玩具も、クリーム色をした壁も、木でできたドアも、揃って燃えて灰に返った。

美しかった。ようやく美しくなった。

その瞬間、窓から毛布に包まれて燃え盛る少年が落ちてきた。

母親が放り投げたんだろうね。もう真っ赤に燃えて表面は墨になりかけていたのに、丁寧に毛布に包んで、自分も熱かったろうに。

少年の叫びが聞こえたんだ。ほんの数秒、声帯が燃え尽きるまでの間。

涙が出た。思わず彼の手を握ったよ。羨ましかった。最も美しい存在だった家族が、完成したことが羨ましかった。

私も一緒に燃え尽きてしまいたかったよ。野次馬が集まっていたから、きっと止められるだろうと思って実行には移さなかったけどね。


そうだ、私は死刑になるのかな。放火の罪は重いんだろう?一犯じゃ極刑は無理かな。

どちらにしろ私は最後に火葬になるんだ。

救済の権利は使い切ったしね。満足してるよ。

後は好きにしてくれたら良い。国として私を殺すなり、私がそのうち燃えて終わるのを見届けるなり。


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