夏の香り

亜未田久志

青を煮詰めたような


 鮮烈。

 そんな言葉が似合うほどの青。

 彼女は青の調香師と呼ばれていた。

 深い山奥に住む彼女は夏の香りを香水として売っている。

 海の香り、山の香り、淡い淡い恋の香り。

 彼女は客を選ぶ。

 邪な客には香水を売らない。

 純粋に夏を欲している客にだけ、香水を売るのだ。

 今日もまた客がやって来る。


「いらっしゃいませ、青の調香師の店へようこそ」


 その微笑みを受けて入ってきた男性は少したじろぐ。


「今日の注文はなんでしょう?」

「あ、あの、夏の香りを売っているというのは本当ですか」

「ええ、本当です。というか、それしか扱ってません」


 それを聞くと男性はそっと胸を撫でおろす。

 そして意を決したように声を出す。


「僕の彼女に夏を届けて欲しいんです!」

「ふむ、詳しく事情を聴いても?」

「僕の彼女は、重い病で、病室を出られません。だからせめて香りだけでも、夏を感じてほしくて、彼女は季節の中で一番、夏が好きなんです」

「なるほどなるほどですね」

 

 すると青の調香師は立ち上がり、エッセンスをいくつか取り出していく。


「具体的な質問に移りましょう、その彼女さんが好きな『夏』とは? 海? 山? それとも――」

「うだるような街の香り、と言ってました」

「ふむふむ、じゃあこれは捨てて代わりにペトリコールを――」

「あ、あの」

「はい、出来ましたよ。名付けるなら、そうですね、陽炎香かげろうこうです」


 男性は深々と頭を下げると代金を差し出す。


「ありがとうございます! これで、これで彼女も」

「さぁ早く、香りが溶けてしまう前に」

「はい!」


 男性は店を後にする。


「またのご来店をお待ちしております」


 そうして青の調香師の店の扉は閉まるのだった。

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夏の香り 亜未田久志 @abky-6102

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