コーヒー牛乳とチョコレート

湖城マコト

五月 ライラック・ライブラリ

第1話 比古胡桃

「本当に五月? 全日制は体育とか大変そう」


 お店の外に出ると、高い位置から太陽が激しく自己主張していた。流石は陽キャのトップに君臨する太陽様。まだ五月だというのに夏顔負けの存在感だ。

 体の火照りを感じながら、私は店先のボードを営業中から準備中へと切り替えた。陽炎橋かげろうばし市のオフィス街の近くで営業する「比古ひこさん食堂」。ここは私のお母さん、比古ひこしずかが経営する食堂で、娘の私も日中はお店を手伝っている。今年でオープン十年目。ありがたいことに平日はオフィス街に務める会社員の方々を中心に、週末は家族連れや陽炎橋市にやってくる観光客の方々で賑わっています。


 午後二時。十一時半からのランチタイムが終了し、最後のお客様も帰られたので、お昼の営業はこれで終了だ。五時からは夜の営業が始まるけど、私の勤務はお昼の営業で終了。私は定時制高校に通う高校生なので、夜は勉学に励まないといけない。ホールの仕事はこの後出勤してくるアルバイトの大学生、阿刀あとう麻希まきちゃんに引継ぎだ。


「ボード切り替えてきたよ」

「お疲れ様、胡桃くるみ。直ぐに出来るから、食べたら時間までゆっくりしてきなよ」


 お店に戻ると、厨房ではお母さんが、私にちょっと遅めのお昼ご飯を作ってくれていた。お母さんは今年で四十歳になるけど、寝起きでも一気に目が覚めるような美貌の持ち主だ。雰囲気やファッションも若々しくて、二十代後半に見られることも珍しくない。たまの休日に二人で出かけたりすると、娘の私と姉妹に間違えられることもあるほどだ。常連のお姉さま方によく若さの秘訣を聞かれているけど、その度にお母さんは「私はそういう生き物なの」と冗談めかして微笑む。


 実際、普段から何か特別なケアをしている様子はないので、お母さんは本当に「そういう生き物」なんだと思う。だけどお母さんはそうでも、娘の私も「そういう生き物」なのだろうか? 十年先、二十年先、お母さんだけは今と変わらない容姿のまま、私だけがどんどん外見が老けていったら、流石に凹んでしまうかもしれない。一方的に脳内で、未来の自分とお母さんの容姿の対比に危機感を覚える程度には、今日も世界は平和だ。


「お待たせ。まかない中華丼よ」

「今日も美味しそう。流石お母さん」


 余った食材を炒め、比古さん食堂秘伝の中華餡をからめたお母さん特製の中華丼。一見重そうだけど、酸味が効いていて暑い日でも意外にあっさりと食べれちゃう。私はもちろん、アルバイトの皆さんにも好評のまかないメニューだ。


「学校にはもう慣れた?」


 一緒に昼食を食べながら、お母さんが私に聞いてきた。夜はお互いに疲れて早く寝てしまうので、食事時は貴重な親子のコミュニケーションの時間だ。


「仕事と勉強の両立にもだんだん慣れて来たし、仲の良い友達も出来た。学校生活は順風満帆でございます」

「この前ご飯を食べに来てくれた二人。楠見くすみくんと汀良てらさんだっけ。美味しそうに食べてくれてこっちまで嬉しくなっちゃった。サービスしてあげるから、また連れてきなさい」

「うん。二人にも伝えておく」


 定時制の同級生の楠見くすみ玲央れおくんと汀良てら風花ふうか。入学直後、名簿順で席が近かった風花とよく話すようになり、風花と中学の同級生だという楠見くんとも自然と親しくなった。四月、五月と徐々に人間関係が形成されていく中、私達はお馴染みの三人組として定着しつつある。先週、偶然全員の都合がつく日があったので、お母さんへの紹介も兼ねて比古さん食堂でお昼を食べ、そこで距離がグッと縮まった気がする。定時制には知り合いがいなかったこともあって、人間関係が少し不安だったけど、風花と楠見くんと出会えたおかげで上手くやっていけそうだと確信出来た。


「仲が良いといえば、最近レイちゃんとは?」

「学校ではまったく。黎人れいとって塾通いで放課後はさっさと下校しちゃうから。私の登校時間と微妙にすれ違っちゃうんだよね。もしかしたら黎人とは、お母さんの方が顔を合わせてるかも」

「お店を手伝ってくれることは本当に助かってるし、胡桃の決断は尊重してるけど、レイちゃんと時間を奪っちゃった気がして、そこは申し訳なく思ってる」

「大袈裟だよ。連絡は頻繁に取り合ってるし、そもそもご近所なんだしいつでも会えるって」

「幼馴染だからって油断してると、どこぞの馬の骨に横からレイちゃん持ってかれちゃうよ」

「どこぞの馬の骨って、お母さんはどの目線で語っているのさ。そもそも私と黎人は別に付き合ってるとかそういうのじゃ……」


 幼馴染の猪口いぐち黎人れいとの話になると、お母さんは私に対してまるで遠慮しない。私のお母さんと、黎人のお母さんの真白ましろさんは中学時代からの親友だ。黎人と私は誕生日も一カ月も離れておらず(私の方が少し早い)母親のお腹の中にいた頃から出会っていた私達は、生まれる前から幼馴染だったと言っても過言ではないだろう。そんな黎人は私にとって特別な存在には違いないけど、一緒に過ごした時間が長すぎて、それは恋愛感情というよりも家族、兄弟に近い絆……だと思う。


「それじゃあ困るの。黎人ちゃんを娘婿むすめむこにするのが私の将来の楽しみなんだから」

「はっ? 真顔で何を言っているのうちの母親は」


 思わずスプーンを落としかけると、お母さんが小悪魔な少女のように微笑んだ。この表情がこれ程似合う四十歳を、私はお母さん以外には知らない。


「今のは流石に冗談。だけどさ胡桃、想像してみて。レイちゃんが笑顔で彼女が出来ましたって紹介してきたら、何だか胃の辺りがムカムカしてこない?」


 体の丈夫さには自信があるから、今のところは胃がムカムカした経験はないけど、ぼんやりと私が想像した光景の中で、黎人は顔にもやのかかった制服姿の女の子と手を繋いでいて……。


「二人が繋いだ手を、手刀でぶった切っちゃうかも」

「あれ? 何だか私が思った以上に想像が膨らんでる? わ、我が娘ながらなかなか過激派ね」


 今度はお母さんの方がスプーンを落としかけていたけど、お母さんの言いたいことは理解出来た。黎人の恋路を素直に応援出来ないと思っているということは、私は自覚している以上に、黎人に重い感情を持っているのかもしれない。


「噂をすれば黎人からだ」


 仕事中は切っていたスマホの電源を入れ直すと、黎人からメッセージが届いていた。学校の昼休み中に送ってきたらしい。この時間、私が仕事中なのは黎人も当然承知しているし、後で確認してもらう前提で送ってきたのだろう。


『今日、定時の授業前に少し会えない? 話があるんだ』


 幼馴染だというのに、普段よりもどこか固い印象の文面。これはひょっとして、そういうことなの? 普段ならいちいちテンション上がったりはしないのだけど、タイミングがタイミングだけに、私はちょっとだけ自意識過剰になっていた。

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