思い出したこと
紙月
思い出したこと
青いカーテンは、足を引きずっている。
1
両親から「バイトをやめろ」という要旨の説教を二時間ほどされた私は、少々反抗してやろうという気持ちで家出を敢行するも行く宛がないことに気がついた。そこで反省して帰るのがこれまでの私だったが、そこで帰ってやるのもどこか悔しい。そんなことを考えながら手当たり次第大学で知り合った友人やらグループワークで一緒になっただけの人に片端からメッセージを送り続けると、一人だけ、すぐ既読がついた。午前二時を少し過ぎていた。
彼女は物静かな人だったことを覚えている。綺麗な黒色の髪が異様に長くて、ショートカットに青メッシュが入った私と対称的だったことが記憶に新しい。少なくとも、こんな遅い時間に家出をしている大学生を好んで自宅に招きたい類の人間でないと考えていただけに、意外だと感じながらも、彼女の指定した待ち合わせ場所へ向かった。
2
彼女は、開口一番、「アンズと呼んでください」とだけ言うと私に背を向けて歩き出した。髪の長さ以外も不思議ちゃんなんだな、なんて思いながらフラフラとついて行く。
「アンズちゃんは実家?」
「アンズちゃんは実家じゃないです」
「コンビニ寄っていい?」
「コンビニ寄っちゃダメです。どうせ酒ですよね」
「私の名前わかる?」
「あなたの名前は知りません」
などと、適当に会話をぶつけあいながら十分ほど歩くと、大きいとも小さいとも言えないようなアパートに辿り着いた。静かというより、何も考えてないんだなと感じた。
「改めまして、アンズです。あなたの名前はなんでしたっけ?」
アンズが自身の部屋に私を案内し、鍵をした途端に、長い前髪をかきあげながら尋ねた。知らないで家に招く決断をしたのか、と思いながらも、「紫陽花」と答えた。当然、嘘だ。
「それじゃあ、二人暮らしのルールを決めていきましょう。ルームシェアや同棲など、いろいろ呼び方があると思うので、それも決めましょう」
変なところにこだわるな、と感じた。
3
唐突に誘われたルームシェアを断ることはせずに、一年以上が経過した。両親とはとうに和解し、バイトも続けているが、アンズ本人のことは変わらず「よくわからない」としかいえない。ただ一つ言えることがあるとすれば、私はアンズを友人だと思っていることくらいだ。
アンズとのルームシェアのルールは、「家事は分担して行う」、「家に関する買い物は一緒にする」、この二つだけだ。スーパーで惣菜やお菓子を選ぶのに待ち合わせしたり、無駄に大きいテレビを購入するときに家電量販店に行ったりすることはあれど、それ以外では他人のふりをしていた。だから当時の私は知らなかったし知るよしもなかったんだろう。アンズがシェアハウスをしたがっていた理由を。
4
私がそれを知ったのは、アンズの葬儀で彼女の両親と話したことがきっかけだった。
アンズの死因は交通事故。私と二人、丈直しが終わった青いカーテンを持ち帰っているときに、居眠り運転の乗用車が突っ込んできたために起こった事故だった。アンズは、乗用車の接近にいち早く気がつくと、私をその軌道から突き飛ばした。そして、私が気づいたとき、既に全ては終わっていた。青いカーテンは使い物にならなくなっていた。
「アンズ、と名乗っていたんですね。知りませんでした」
アンズの母はそう語った。私は、何も言えなかった。私はアンズの名前を、アンズ以外に知らなかった。
「アンズさんは、私が適当にメッセージを送った中で一番早くに返してくれました。家出がしたいと言った私を、ルームシェアに巻き込んでくれました」
「そうなんですか。娘は、ずっと一人暮らしと言っていたので、話を聞くまで貴女はあの子の初めての友達だったんじゃないかと思っていたんですよ」
アンズにとって私はなんだったんだろうか。不思議なやつで、友人で、卒業単位がやばいやつ。来年になれば別れが視野に入ってきて、さらに一年経てばただの友人としか言えなくなっただろう。
「小骨を残していきましたよ彼女は。私を庇って。私が死ぬまで一生のどに引っかかり続ける小骨を。……最悪ですよ」
「ありがとうございます。あの子のことを忘れないでいてくれるって遠回しに教えてくれて」
不思議ちゃんの親は不思議ちゃんだな。なんて場違いにもそんなことを思った。
5
それから一ヶ月が経った。葬儀を終えてから一人で青いカーテンを買いに行った。味も色もなんでもどうでもいいような気がしてたけど、最後に一緒に選んだものだけはとりあえず部屋に置いておきたかった。杏が何を考えて青いカーテンを部屋につけようなんて言い出したのか、私にはわからないけれど、それでいい気がした。
一人でカーテンを付け替えた。白基調のものから一人で買ってきた青いものに。私はアンズよりだいぶ背が低いので、椅子の上に乗って作業をした。全てが終わったとき、青いカーテンは足を引きずっていた。
そう言えば、家事は交代でやっていたけれど、それは食事と洗濯と掃除とゴミ出しだけで、それ以外は任せきりだったな、と裾を踏んでいるジーンズを足裏に感じながら思い出した。
思い出したこと 紙月 @sirokumasuki_222
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