50 それから
「
「はい、いいですよ」
仕事中、スタッフに呼ばれて持ち場を離れる。
何やら困っていたそうだが、確認したら初歩的なミスですぐに解決した。
「すいません。ありがとうございました」
「うん、何かあったらいつでも言って」
てなわけで、自分のデスクに戻る。
古き良き伝統なのか、何なのか。
私のデスクは他のスタッフより一回り大きく立派な物になった。
役職が変わると物が変わるとか、いかにも権力を誇示しているみたいだ。
そんなの求めてないのに。
「まあ、それに文句言わずに受け入れてる私も同じか……」
悲しいもので。
何でもすんなりと受け入れてしまう。
若い頃にあったような反骨精神ももうほとんど擦り切れてしまった。
「せんぱーい、溜め息ばっかりついていると幸せ逃がしますよー?」
やっと落ち着いたかと思えば、また声が掛かる。
「うるさいよ、
「えーん。上司が怖いですぅ」
「前からでしょ」
「とほほ……そんな先輩もいつの間にか主任様ですよ。年を取りましたね」
「怒るわよ」
「わたしも同じですから安心して下さい」
あれから2年の月日が流れた。
2年という月日はそんな大した長さではない気がするが、私に役職がつくくらいの年月にはなった。
役職なんて全然つきたくなかったが、独身で30歳も超えているということで上の方には一定の評価があったらしい。
私は口やかましくもないし、女性スタッフのパイプ役として最適な人物だと思われたようだ。
ずっと断り続けていたが、とうとうそれも難しくなって今に至る。
「七瀬と同じって言われてもピンとこないんだけど」
「だってわたしも今年でアラサーなんですよ?すっかり大人ですよぉ」
「あんたがアラサー……?」
「はい、25歳なので」
いや、確かに定義的にアラサーなのかもしれないけど。
「釈然としねぇ」
そんなの言葉遊びだろ。
実際に30を超えた私からすると煽られてる気しかしない。
「いやあ、でもこの歳になると焦り始めますよね」
「なにが?」
「ほら結婚とか、今後の生活とか」
「……え、喧嘩売ってる?」
30歳過ぎて独り身の私に相談する内容じゃないだろ。
皮肉にしか聞こえないぞ。
「もうっ、先輩は卑屈すぎますよぉ。お互いに独身仲間として話してるだけじゃないですかぁ」
「そうか……そうなのか?」
「そうですって」
「まあ、確かに。あんたはもっと早く結婚するものと思ってたけど、案外しないわね」
「ううっ……わたしだってしたいのに……世の中の男共が甲斐性なさすぎるんですよっ」
何やら物憂げな雰囲気を醸し出す。
彼女は彼女なりに心に闇を抱えているらしい。
まあ、25歳もそれなりに大人だしね。
「七瀬の悩みも分かるけど……」
でも私に比べたらまだ可愛いものだ。
30歳過ぎても独り身、もちろん恋人なし。
家事能力は相変わらずゼロ。
仕事だけは着実に出世中で(望んでないのに)、自分のことだけを考えれば良かったのが、今ではスタッフのこと、組織全体の事を考えなければいけなくなった。
プライベートと仕事のストレスが闇鍋化し、心のカオスは拡大し続ける一方だ。
「でも先輩はメンタル強いですから、わたしとは違いますよぉ」
「はー……そうは思わないけどねぇ」
いつかのメンタルが闇堕ちした時期を、七瀬は忘れている。
「ここ数年の先輩の仕事っぷりは異常でしたからね。だいぶ変わりましたよ」
「そうかなぁ」
この2年、私は仕事に明け暮れた。
元々効率重視で最低限の量を最速でこなすのをモットーにしていたが、ここ最近はその速度を維持して量もこなすようになっていた。
おかげさまで仕事量は増える一方で、とにかく働きまくった。
「ほんと、まともじゃないです」
「うん、やっぱり私のこと舐めてるよね?」
「尊敬してます」
「その即答する感じがバカにされてる気しかしないっ」
でもこんなに仕事に明け暮れたのは何でだろうか。
七瀬にすら変わったと言われるほどに。
「あの、お話し中すいません上坂主任。この前の件なんですけど……」
「ああ、はいはい。今行きます」
そんな感傷に浸る間もないまま、仕事に追われる日々は続いて行く。
◇◇◇
「やっと終わった……」
誰もいないオフィスに一人、ようやく一段落ついた仕事に安堵してデスクの上に体を伸ばす。
今日も今日とて当然のように残業である。
もう頭も体もボロボロだ。
「帰ろ……」
そんなボロボロの体を根性で叩き起こして、私は職場を後にする。
「寒いな」
季節は春。
夜になるとまだ肌寒い季節。
薄手のコートを羽織って、私はコンビニでお弁当を買って帰る。
「それでも街は賑やかだねえ……」
帰り道は繁華街を通る。
この道が最短ルートだからなのだが、街の雑踏も今はノイズにしか感じられない。
「そう言えば、飲み屋で飲むことも減ったな」
いつからお酒を控えるようになったんだったけ……。
ま、体にいいからいいけど。
「……2年か」
あれから連絡をお互いに取り合うことはなかった。
私は私で仕事に忙しかったし。
雛乃も雛乃できっと忙しかったことだろう。
なにせ華の女子高生ですからね。
こんな灰色の社会人の私の相手なんかより、未来ある若者とキラキラした時間を過ごしたに違いない。
その時間の中で私のことは忘れ去られて行ったのだろう。
それでいい。
それが普通なんだ。
何も寂しいことはない。
私だってそれなりに成長している。
2年もあれば心の整理はつくし、昔の出来事として思い出に変える事も出来た。
今は仕事で忙しいし、何の問題もない。
「お姉さん、可愛いですね」
突然、ナンパの口説き文句みたいなのを掛けられる。
でも、それは女性の声。
それも私に声を掛けるなんて、意味が分からず立ち止まる。
「はい?」
「これは失礼しました。あたしごときが声を掛けるなんて、おこがましかったですね」
息が止まる。
その女性はスーツを身に纏い、金色の髪を揺らしていた。
「あまりに可愛らしい方だったので、つい声を掛けてしまいました。ごめんなさい」
「え、えっと……」
突然、ペコリと頭を下げる。
絶対そんな場面じゃないのに、深々と腰を折っていた。
「あ、自己紹介がまだでしたね。重ね重ね、失礼してしまい申し訳ありません」
そう言って、バックの中からレザーの名刺入れを取り出す。
お辞儀をしながら、私に向けて名刺を差し出してくる。
「
そう、そこにいたのは彼女だった。
記憶の中にいたあの頃の彼女よりずっと大人びていて、思っていた通りの……いやそれ以上の美人になっている。
「……雛乃、なの?」
「
「え、なんで……?」
「いいから」
ずっと演技口調だった声音が、普段のトーンを取り戻す。
それは慣れ親しんだ彼女の声。
そして、彼女がそれを望むなら……。
「……寧音」
「やっと、名前で呼んでくれたね」
そして、満面の笑みを咲かせる。
いつの日にか見せた悲しい顔はそこにはない。
「会いたかったよ!」
「えっ、うわっ!」
しかも、そのまま私の胸に飛び込んでくる。
あんたの方が背が高いのに、飛び込まれると反応に困るんだけどっ。
「久しぶりだね、栞さんっ」
だけど、軽い。
相変わらず軽い。
簡単にキャッチできるんだから、これはこれで困ったものだ。
「ね、寧音……どうして、ここに……?」
「見ての通り、大人になった」
見た目は金髪の派手さが残っているが、確かにスーツ姿の社会人だった。
「そうじゃなくて、なんで私の所に……?」
「はあ?」
険悪な尖った声。
寧音は眉をひそめて私を睨みつける。
「大人になったら会ってくれるって言ったの、栞さんじゃん」
「あ、いや、言ったけど……」
「だから会いたいの我慢して、真面目に学校行って、大学進学しろって言うの無視して就職したのに。そんなあたしにそんなこと言う?」
「え、ごめん……」
まさか、本当にそこまでするとは思ってなくて。
「てっきり私のことはもう忘れたものかと……」
「は、マジでふざけんなし」
ぐいっと顔を近づてくる。
ご尊顔が近い、怒ってる顔も綺麗だなっ。
「あたしが栞さんのこと忘れるとかないから、連絡しなかったのもあたしが中途半端なことしないためのケジメだし。あと、それくらい我慢しないヤツのことなんか認めないって言ったのも栞さんだし」
「そ、そうでしたね……」
あ、ヤバイ。
真面目に怒られてる。
でも、何て言うのかな……。
「全部、基準を私にし過ぎじゃない?」
私の言う事を守りすぎでしょ、この子。
「当たり前じゃん。好きな人の言う事なら何だってするから」
「す、好き……って、あんたね……」
そんなさらっと大胆発言されても困るんですが。
「いやいや、それも今さらだよね?あたし手紙にも書いたよね?」
“大好きだよ”とは確かに手紙には書いてあったけど……。
「ほら、LIKEの方かなって……?」
「……はあ、栞さんってマジでさぁ……」
今度はやれやれと溜め息を吐かれる。
あれ、怒られたり溜め息を吐かれたり。
年上の私が何だかダメな子扱いされてるぞ。
「もうそれ鈍感通り過ぎて罪だよね。さすがにそれはないわ」
「な、ないですか……」
「うん、ない。あたしの好きはラブに決まってるよね?マジ舐めないでよ」
「は、ひゃい……」
な、舐めたつもりはないのですが……。
それに、そんな大胆なぁあああ……。
「で、その答えは?」
「ふぁっ?」
「ふぁっ、じゃないっ。あたしはアンサーを聞いてるんですけどっ」
え、え、え……。
そそっ、それは、つまり、そういう……?
ちょちょっ、展開が全部急すぎて……っ。
「はい、答えてっ」
「……き、です」
「は?ちゃんと言いなよ」
「……しゅっ、しゅきですっ!!」
こんな街のど真ん中でぇええ。
私は一体何をしているんだぁああああ。
「うん、あたしも大好きっ!」
「はわわわっ!!」
そしてハグ!激しくハグ!
すごい、寧音のスキンシップが止まらない!
こ、これが愛の力かっ。
や、やべぇ。
テンパりすぎてワードのセンスがおかしくなってる。
「ちなみに最初のアレはどうだった?」
「最初のアレ?」
「さっきのあたしの声の掛け方とか、自己紹介の仕方とか。初めてこの街で会った時に栞さんがしてたやつだよ」
「え、それって、私が酔ってた時の……?」
「そそ、初めて栞さんがしてくれたことを、今度はあたしが再現してみたの」
なるほど……確かに、そんなこともあったような、なかったような。
どうりで寧音らしくない登場、妙に演技口調だったのはそのせいか。
「それで、この後の展開は覚えてる?」
「この後?」
記憶を掘り起こそうとして見る。
……ああ。
何となく思い出しちゃったなぁ。
エッチする代わりに、雛乃を家に泊めるという流れのやつだ。
「でも、もうそれは必要ないね」
「必要ない?」
うん、だってそんな条件はもう必要ない。
「私たち恋人同士なんだから。一緒にいるのが当たり前だよ」
「……」
なぜか寧音がぽかんとした顔をして――それからすぐに笑って。
「そうだよねっ!」
私たちは手を繋ぐ。
一度は離れた私たちだけど、もう遮るものは何もない。
「あの……さ」
「なに?」
そして、ようやくこの言葉を送れる。
「おかえり、寧音」
「……ただいま、栞さん」
共に歩幅を合わせて進んで行く。
もう悲しいことは何もない。
私と寧音の物語はまたこうして始まったのだから。
【あとがき】
これにて完結です。
後半は悲しい展開が多くて、なかなか気持ち的につらかったです。
(更新頻度が落ちたのはきっとそのせい。すいません。)
じゃあ書くなよって自分でも思うのですが、書いてみるとそうにしか行かないんですよねぇ……。未熟なんですね。
それでも最後は幸せな二人になってもらえてよかったです。
やっぱり筆者はハッピーが好きです。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
本当に感謝です。
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