20 大人だって現実逃避したいのよ


 月曜日。


 それは社会人であろうと、学生であろうと等しく憂鬱な響き。


 休日からの平日は、夢から現実に切り替わる地獄の門。


 それは大人になっても変わらないわけで……。


「はいはーい、上坂うえさかさーん。起きて―」


「いやだぁー」


 私の体を遠慮なく揺らす者がいる。


 眠りから目覚め、このツラい世界へ向かえと急かしてくる。


「起きないと遅刻しちゃうよー」


「ギャルに遅刻を心配されたくなーい」


「それとこれとは別でしょ」


「いやだ、私は寝るんだ」


 ……と、まあ。


 そうは言っても、これだけ話していれば目は覚めて来るんだけど。


 でも不思議なもので、こうして起こしてくれる人がいると起きれなくなると言うもの。


 いつもは一人で黙って起きてたのに、話し相手がいると起きたくないと訴えてしまう。


 これって、冷静に考えると甘えてるってことなんだろうか。


「段々、上坂さんの寝起きが悪くなってるのは気のせいかな……?」


「……」


 ギクリ。


 やっぱり雛乃ひなのに対して、こういった抵抗が多くなっているのかもしれない。


 それは彼女に対する慣れがそうさせているわけで。


 JKに甘えるアラサーOL……。


 お、終わってる……。


「起きます」


 私は冷静になり、体を起こす。


「切り替えやば」


「社会人はオンオフの切り替えが大事だからね」


 どこで切り替えてんだよ、と雛乃の訝し気な視線はそのままに。 


 私はようやくベッドから体を離した。







「ご飯は用意できてるからね。食べてよ」


「うん、食べる」


 今日はフレンチトーストにフルーツの盛り合わせにコーヒーだった。


 食べやすいし、朝から豪華だ。


 一人じゃこんな用意はできない。


 フレンチトーストは表面はカリカリで中はふわふわと甘い味。


 フルーツは苺やスイカにパインにブドウなどさっぱりしながらも、果物本来の甘味がある。


 そこをコーヒーの苦みで引き締めて、バランスをとってくれる。


「……このまま、私もフレンチトーストのように甘くふわふわな世界で生きていたい」


「いいから食べなって」


 しかし、甘々に逃げようとする私を引き締めるのは雛乃だった。







 髪もセットして、化粧もして、スーツにも着替えた。


 玄関に立ち、後は会社へと向かうだけ。


 それだけなのに、足は途端にその場から動こうとしない。


「……上坂さん?」


「行きたくなーい」


 あー。


 しんどーい。


 なんでこんなに今日はツラいんだろう。


 月曜日が憂鬱なことなんて、社会人をやってきてから決まって訪れる日常だ。


 それなのに今日はより一層、それを強く感じる。


 その原因が分からない。


「うーん、困ったなぁ。そんなに行きたくないなら休んじゃえば?」


 さすがギャル、感情に合わせて生きてる感じが半端ない。


「社会人はそうもいかないのよー。私が行かないと、その分他の人に迷惑がかかるのよー」


「じゃあ、行ってらっしゃい」


「行きたくなーい」


「……いやいや」


 雛乃が困ったように頬をかいている。


「そしたら、何したら頑張れそう?」


「……何をしたら?」


「うん、あたしが出来ることなんてほとんどないけど。何か出来ることあったら、それをご褒美に頑張ってよ」


「……」


 一瞬、頭の中がピンク色に染まった私を誰が責められよう。


 そして、この憂鬱を加速させている要因が何か分かった。


 この子だ。


 社会人の孤独を、この子と一緒にいるおかげで倍増して感じてしまっているのだ。


 あぶない。


 このままでは私は雛乃に骨抜きにされてしまう。


 いずれ帰ってもらうはずの彼女に、そんな感情を覚えていいはずがない。


「死地へ向かう私に、褒美など無用っ」


「ええー……」


 武士もどきみたいな発言をして家を出る私を、雛乃は引いた目をしながらも手を振って送り出してくれた。



        ◇◇◇



 そして辿り着いたのが、死地……じゃなくて職場。


 嫌で仕方ない職場も、来てしまえば家ほどの拒否感はなくなってくる。


「あ、上坂先輩。おはようございまーす」


「……おはよう、七瀬ななせ


「それで、この前の寧音ねねちゃんは何だったんですか?」


「……」


 前言撤回。


 やっぱりここは死地だ。


 朝から私の触れてきて欲しくない所にストレートに触ってくるなんて、なんていやらしい子なのだ。


「だから、友達」


「はい。それは分かったんですけどー。何をきっかけで知り合ったのかなーて?」


「……夜に飲んでたらたまたまね」


「にしては若く見えましたけどねー?」


「はは、七瀬に言われたくはないでしょ」


「いや、そんなわたしが言ってるんだから相当若いって意味なんですけど」


 自分が若いというこを否定しないあたりはさすがだな。


 まあ、実際に若いし、雛乃はそれ以上に若いのだからその通りなんだけど。


「最近知り合ったんですか?」


「ま、まあね……」


「へえ。じゃあ、寧音ちゃんのおかげなんですかね?」


「なにが?」


「先輩が妙に肌艶が良くなってきたり、定時に上がるのが増えたことです」


「はは、まさかぁ……」


 そうなの?


 そうだったの?


 まあ、食べる物もコンビニ弁当や冷凍食品ではなくちゃんとした食事になったし。


 雛乃と話すことで普段ずっと黙っていた私のストレスが解消されている感は否めない。


 それで血色が良くなったのかもしれないし。


 雛乃との同居生活に合わせて帰宅が早まってしまっているのも、事実だ。


 しかし、事実はそうであったとしても、それを知られるわけにはいかない。


「でも先輩、寧音ちゃんといる時、見たことない顔してましたよ」


「え、なにそれどんな顔」


「なんか幸せそうな顔してました」


「……」


 良くも悪くも新人は先輩の顔色をよく見るものだと思う。


 新人指導をしてきた私の表情を、七瀬はそれこそ良く知っているだろう。


 そんな彼女が見たことのない幸せそうな顔、と表現すればそれは相当な信憑性を持つ。


 だけど、それはいい事とは限らない。


「休日だからね、ちょっと気が抜けてただけよ」


「えー。あれはそんな感じじゃなかったですよー?」

 

 私は少しずつ雛乃に、そんな感情を許すほどになっているのだろうか。


 それは正しい感情とは言えない。


 私は彼女に正しくないことをしてしまっている。


 そんな私が、幸せを感じるようなことがあっていいはずもない。


 だから、もっと気を引き締めなきゃいけないんだろうとは思った。


「いつも職場では七瀬に手を焼いてるから、相対的にそう見えたんでしょ」


「あ、それは傷つくやつー」


 全く傷ついていない人の言い回し。


 しかし、雛乃との向き合い方を考えなきゃいけない。


 やはり少し甘えすぎてしまっているんだろうな、と思った。


「もしかして、いけない恋に手を出したのかなぁ?とか思っちゃったんですけど」


 ドキリと心臓が高鳴る。


 いけない恋。


 それは、未成年に手を出したこと?


 それとも、女性に手を出したこと?


 どちらにせよ正解で、どちらともに知られてはいけない領域だ。

 

 私が女性を好きであると言う事を告白したのは雛乃を除けば、後にも先にも高校時代だけ。


 それを悟られるわけには絶対にいかない。


「何でもかんでも恋愛に結び付けるの、七瀬の悪い癖だと思うけど」


「いやあ、先輩あんまりにその気にならないから、もしかしたらそういう人なのかなぁって?」


「それは残念、大間違いです」


「うーん。外れたかぁ」


 七瀬も軽い冗談のつもりだったのか、あっさり引き下がる。


 でも、やはり雛乃との生活を続けるのはリスクが高いなと感じる一日の幕開けだった。


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