13 必要経費は請求しなさい


上坂うえさかさん、合鍵くれない?」


「ん?」


 布団の搬入が終わり、食事が始まると雛乃ひなのがそんな提案を持ち掛けてきた。


 ちなみに食事は私が好きな料理の一つの餃子だった。


 焼き目がしっかりつき皮はパリッとしていて、中身のお肉も野菜と合わさって味に深みがあって非常に美味しい。


 ちゃんと餡から作り、自分の手で皮を包んでくれたらしい。


 そうして食事を食べ進めながらも雛乃の話に耳を傾ける。


「この家の合鍵、出る時困ってさ」


「あー……戸締り出来ないもんね」


「そ」


「クラブでパーティーに参加するつもり?」


 そうなると、深夜とか早朝に帰ってくるのか。


 さすがに寝ている時に物音を立てられると起きてしまいそうで困るのだけど。


「しないし」


「ナイトプール?」


「行かないって」


 雛乃が呆れ顔で手を左右に振っている。


 そんな的外れのことを言っているのだろうか?


 そんなはずないのに。


「え、じゃあなに?」


「つか、なんでそれしか思い浮かばないわけ?上坂さんの中であたしってどうなってんの?」


「ギャル。ルールに対する反抗を生きがいとし、昼夜逆転の世界で生きる者」


「意味わかんな」


 あっさり否定された。


 どうやら雛乃は違うらしい。


「でも雛乃って陽キャでしょ?」


 陽キャはそこら中を遊びに行くから、鍵が必要なのだろう。


「さあ……あんま考えたことないけど。でもほんとの陽キャなら友達の家に泊まるんじゃない……?」


「ああ……まあ、確かに」


 コミュニケーション能力の異常な高さによる友達の多さが陽キャの特徴の一つでもある。


 それなら泊まる先を選定するのに、最初はそちらを選びそうなものだ。


 友人関係を転々としていれば、それなりの期間は泊まれそうだしね。


 しかし、雛乃はそれを選ばずいきなり単身で地元を出たらしい。


「いや、でもそれで他人の家にいきなり突撃できるのも陽キャでしかないと思うんだけど……」


「まるで陽キャに恨みでもあるような物言いじゃん」


「まあ、苦手意識はあるかな」


「じゃあそういう上坂さんは、陰キャ?」


「……」


「いきなり黙んなし」


 陽キャの事をずけずけと指摘できても、自分のことを陰キャと言われると素直に肯定できないのが陰キャの悲しいところ。


 私だけかもしれないけど。


 そしてアラサーで陰キャをこじらせた結果がこの独り身だという事実も自覚している。


 ゆえに人様には言えないのだっ。


「陰と陽とかさ。そもそも人間を2種類に大別するのって無理ありすぎじゃない?血液型ですら4種類あるんだけど?」


「いや、上坂さんが言い出したことだかんね?」


太極図たいきょくずが表すように、大事なのは陰と陽のバランスなのであって……」


「たっ、たいきょ……?ちょっ、意味わかんないけど。変なキレ方やめてくんない?」


 雛乃が見るからに困っていた。


 ごめんなさい、取り乱しました。


 大人としての余裕があまりにも失われていた。


「ごめん、ちょっと雛乃が想像と違う返答をしてきたから」


「急に知らない知識出してくるからビックリした。やっぱ上坂さんって頭いいんだね」


 いえ、その特徴は陰キャ特有の性質なのであって……いや、これ以上自分を否定するのはやめよう。


 とにかく話を元に戻す。


「それで、家から出掛けることがあるのね?」


「うん、ほら食材とか生活用品の買い物行くときに困るんだよね」


「あー……」


 驚くほど真っ当な理由だった。


 というか、クラブとかナイトプールとかと真逆すぎる世界観。


「だから今はすぐそこのコンビニまで急いで行って帰ってきてるんだよね」


「なるほどね、そりゃ大変だ」


 マンションから徒歩2~3分程度の距離でコンビニはあるので、雛乃はどうやらそこで食材を調達していたらしい。


 でも確かにコンビニでは買えるものが制限がある。


 スーパーに行けた方がいいだろうし、どっちにしても家を出る時に鍵を開けたままでは不用心だ。


「分かった、渡すね」


「ん、ありがと」


 私はその場から立ち、収納の引き出しから予備の鍵を取り出す。


「はい、失くさないでね」


 そのまま雛乃に手渡しする。


「うん、気を付ける」


 そこでふと、疑問が湧く。


「そういえば、その食材とかって雛乃が買ってくれてるんだよね?」


 この家に来てから雛乃は3日目だけど、どの料理にもこの家にはないはずの食材が使われていた。


「そだね」


「いくら掛かった?」


「あ、いや、いいってこれくらい。住まわせてもらってるんだし」


 雛乃は急にぶんぶんと頭を左右に振る。


 とは言え、相手は女子高生。


 二人分の食費を賄える経済力があるわけもない。


「家事は雛乃にお願いしてるけど必要経費はちゃんと払うよ。それにいつまでも買い続けられるほど雛乃にもお金の余裕ないでしょ?」


「ま、まあ……」


「とりあえずお金は渡すから。レシートちょうだいね」


「あ、ありがとう……」


 なぜか雛乃が申し訳なさそうにペコペコしている。


「大人として当たり前のことだから気にしないで」


「でも住まわせてもらって、ご飯も食べさて貰ってだからさ」


「まあ、それくらいは覚悟の上ですよ」


「……」


 なんせ未成年に手を出してしまったんだからなぁ……。


 これは善行でも何でもなく、罪滅ぼしの代償行為。


 社会的な悪行を少しでも自分の中で誤魔化したいのだろう。


 それで罪が消えることがないのは百も承知だけど。


「でも雛乃も、案外そんな所気にするんだね」


「そりゃするし」


 雛乃が唇をとがらせる。


 案外、その評価は不服らしい。


「生活援助を当然の権利かのように受け入れるのが、家出少女の図太いメンタルなのかなって思ってたけど」


 そんな精神的な逞しさがないと、人の家に住もうとなんて出来ない気がしていた。


 まあ、私はやったことないから全て妄想でしかないのだけど。


「だからと言って上坂さんに迷惑かけまくりたいわけでもないし。出来る事はあたしだって自分でやりたいよ」


「……まあ、そうだよね」


 それは10代特有の社会的な力のなさによる無力感から来ている言葉なのかもしれない。


 体は大人に近づいているのに、社会的な地位は子供の頃からその位置をほとんど変えない。


 そんなギャップに苦しんでいるのだろうか。


 私にはもう遠い昔の出来事のようで、その感覚すら忘れそうになっていたけど。


「そう思うなら実家に帰ってちゃんと学校に通うのが、誰にも迷惑かけない方法だと思いますけど?」


「それは絶対にムリ」


 雛乃の口が強く引き結ばれる。


 それでも天瓶にかけると、両親より他者への依存の方を選ぶらしい。


 一体、彼女の身に何が起きたのだろう。


「あそこに戻るなら餓死した方がマシ」


 生半可な嫌悪感でもないようだし。


 まだもう少し時間が必要なのかな……。


「餓死されるのは困るなぁ」


「餓死する時は上坂さんの家じゃない所を選ぶよ」


「そうじゃなくて死なれるのは悲しいからさ、あんまりそういう事言わないでよ」


 生死なんて、あまり深く意識しすぎない方がいい。


 特に死ぬことに対してはなおさらだ。


「あたしでも悲しいの?」


「そりゃそうでしょ」


 まだ日は浅いとは言え、一緒に住むようになった仲だ。


 思っていた以上に雛乃とは仲良く暮らせている気がするし、そんな子の不幸を願ったりするほどまで捻じ曲がってはいない。


「そ、そっか……えへへ」


 それを聞いて、雛乃は口元を綻ばせながら箸でポンポンと餃子を何度もタレに付けるのだった。


 なにかいいことが、今あっただろうか?


 うーん、10代の感性はやはりよく分からない。

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