08 家出の経緯
夜、静寂の中にすーすーと寝息を立てる音が聞こえてくる。
仕事で疲れてしまっているのか、隣の
そもそも、あたしと生活サイクルが全然違う。
あたしは深夜遅くまで起きているのが当たり前で、こんな時間に眠ることはほとんどない。
この環境にも、まだ適応しきれてないのもある。
正直、まだ現実味が薄い。
それでもこの家に馴染もうと、とりあえず家事からやってみた。
そしたら上坂さんの反応はかなり良くて、そのおかげで随分とあたしに優しくなった。
酔っていた時はデレデレだったのに、起きたら何も覚えてないし不機嫌すぎて内心はドキドキしていた。
大人の鋭さって怖いんだと初めて感じた。
それに、あたしは上坂さんに
それを知られるのが、一番怖いんだと思う。
◇◇◇
昨日の夜。
あたしは電車やバスを使って、できるだけ遠くを目指した。
地元の近くだとあたしを知っている人もいるかもしれないから、なるべく誰も知らない場所に逃げたかった。
そうして辿り着いた街を見て、思う。
“このオジサンたちの誰かに体を預けて、家に泊めてもらうのかぁ……”と。
分かってはいたものの、溜め息が止まらない。
初めて来る街への感動も、都会でしか見ることのない装飾的な建物への高揚も何もない。
それ以前に、陰鬱な気持ちが心を埋め尽くしていた。
だけど、女子高生一人で出来ることなんて何もない。
部屋を借りれるわけでもないし、何をするにもお金がない。
仮にアルバイトをしたとしても、突発的に家を出てしまったから給料が出るまでは生活も出来ない。
今のあたしに出来ることがあるとすれば、“女子高生”と言うタグを売り物にすることだけだった。
自分の無計画さを呪いつつ、生きる為にそうするしかないと思った。
だけど、いざ行動しようと思うと足がすくむ。
本当は、そんなことがしたいわけじゃない。
好きでもない人に抱かれたいわけでもないし、知らない人と一緒に生活したいわけでもない。
繁華街の大通りの隅、ビルの壁にもたれて過ぎ去る人を見送るだけの時間が延々と続いた。
ダメだ。
待っていたって何も始まらない。
人は通りすぎる一方で、時間だけが過ぎた。
夜が深まれば深まるほど人の数も減っていく。
一回で成功するとも限らないのだから、早く声を掛けないと。
そうして決意を固めた瞬間だった。
『お姉ちゃん可愛いね』
明後日の方向から思わぬ声を掛けられた。
『は……?』
オジサンでしかない発言なのに、その声は女性のものだった。
振り返ると、黒髪をストレートに下ろした女性が立っていた。
全身をスーツに包み、背中に芯が通っているような立ち姿は“仕事が出来る女性”を連想させた。
『これは失礼しました。私ごときが声を掛けるなんて、おこがましかったです』
あたしの態度に距離を感じたのか、女性はすぐに敬語に切り替え、改まった空気を作り出した。
『あ、いや、そんなことないですけど……』
態度が急変しすぎて、良く分からない。
なんか変だなこの人、と思ってよく見れば、頬が少しばかり赤らんでいて目もとろんとしている。
酔っているんだなとすぐに分かった。
『あまりに可愛らしい方だったので、つい声を掛けてしまいました。ごめんなさい』
突然、ペコリと頭を下げる。
絶対そんな場面じゃないのに、深々と腰を折る。
仕事で慣れているのか、綺麗な所作だった。
でも、見ず知らずの女子高生に使うべき動きじゃない。
『あ、自己紹介がまだでしたね。重ね重ね、失礼してしまい申し訳ありません』
『いや、いらないんですけど』
『まあまあ、お互い初対面ですから。挨拶しときましょ』
そう言って、バックの中からレザーで出来た小物入れから紙を取り出す。
両手でその紙を挟み、お辞儀をしながらそれをあたしに向けて差し出してくる。
企業名と部署に名前、住所が書かれていた。
てか、名刺じゃん。
いや、あたし名刺交換とかしたことないんだけど……。
『
『あ、いや、あたし名刺とか持ってないんですけど』
なにこれ、大人のマナー的な?
初対面ということもあり、よく分からずあたふたした。
『あー、ありますよね。気付いたら無くなってること。私も昔はよくそれで上司に怒られました』
『いや、そうじゃなくて……』
『別にいいですよねぇ?名刺くらいなくても。今時スマホですぐに企業の名前調べらたら住所とか諸々分かるんですから』
『そ、そうなの……?』
『はい、ですから名刺なんて頂かなくても結構です。気にしないで下さい』
この人、まともそうなテンションで酔い過ぎじゃない?
あたし制服着てるし、誰がどう見ても女子高生なのに。
この人にはあたしがどう見えているのだろう。
『それにしても大胆なコスプレですね?』
『はい?』
『女子高生の制服だなんて、その可愛さも相まって反則です』
『あ、ああ……どうも』
まさかのコスプレだと思っているらしい。
都合のいいように解釈する酔っ払いだなぁ……。
そして上から下まで私を舐めるように、
さっきから好みとか可愛いとか言ってくれるけど、もしかして女子が好きな人なのだろうか?
何となくそんな雰囲気を察してしまう。
『あの……上坂さんって』
『
秒で話を遮られた。
『いや……それはちょっと』
年上の社会人を呼び捨てはさすがに抵抗ある。
『じゃあ、しおりんで』
『なんで、さらに砕けた呼び方?』
『あと敬語いりません』
『……おっけー』
敬語は好きじゃないし、その後もしつこかったらそれだけは従うことにした。
『それなら、上坂さんも敬語やめてよ』
年下相手に、そんな改まった話し方されてもこっちが困る。
『え、いいんですか?』
『うん、あたしの方が年下だし』
『あはははっ、わかったよ』
何が面白かったのかはさっぱり分からないが、ひとまず上坂さんは理解を示した。
そこで一つ、疑問が浮かんだ。
『上坂さんって一人暮らし?』
『うん、そうだよ』
もしかして……と淡い期待が膨らんだ。
『上坂さんって、あたしのことタイプで声掛けてきたり?』
『その通りっ』
『あ、マジか』
『こんな可愛い子、放っておけないでしょっ』
なんか、照れる。
『じゃ、じゃあ……その……あたしの体に興味あったり、する?』
『興味しかない』
即答だった。
なら、ほんとに……。
『エッチなことしていいから、その代わりに家に泊めてってのは、どう……?』
『抱かせてくれるの!?』
ストレートだった。
『あ、うん……』
『是非っ!』
ガシッと両手を掴まれる。
『私の家はこっち!』
『え、うわっ』
その手は強くあたしを握り、夜の街から遠ざかって行った。
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