ノーブレスオブルージュ ss集
じゅん
第1話 悪役令嬢
「イグニス。貴女、殿下とのお見合い失敗したんですってね。アッハッハッハ!」
王都に存在する貴族院の一角。図書室という静謐が好まれる場所で、沈黙をぶち破る高笑いが響いた。
イグニスと呼ばれた少女はパタンと読みかけの本を閉じる。己を嘲笑いに来た敵を排除しなければ落ち着いて読書は出来ないと判断したのだ。
イグニス・エルツィオーネ。赤髪赤眼で、まるで炎が擬人化したような少女だった。そして外見だけでなく、気性までもが燃え盛る火炎の様であった。
「おい、コルデラ。喧嘩売ってるなら表出ろや。こっちはむしゃくしゃしてるんだ、丸焼きにしてやるぞ」
「嫌よ。貴女が魔法を使えないから、この場所を選んだに決まってるじゃない」
対してコルデラと呼ばれた少女は
どちらも学院指定の制服を着ているに関わらず、身に着ける装飾品や振る舞いから周囲とは一線を画す上級階級であることが伺えた。
そのため、誰も騒ぐ二人を注意する事は出来ず、みな一様にどうか巻き込まないでくれと手元の本に視線を逃がす。貴族令嬢は目が合ったら危険だというのは周知の事実。始まるのは恋ではなくバトルだ。
「一体誰から聞いた。あん?」
「誰って。そんなの王子の妹しか居ないでしょう」
淑女として手で口元を隠すも、再びに笑いが込み上げてきたか涙目を浮かべるコルデラ。
イグニスは心中穏やかでは無かった。なにせ見合いが潰れたのは両家にとって良い話では無い。
それをまさか王家が笑い話として吹聴していたとなれば、馬鹿にされているようなものだ。いや、事実として馬鹿にされていた。イグニスは歯を噛み締めながら、殺してやると王女の名前を呟く。
「言っておくが、私は名誉の為に行動したまでだ。その行いに恥じることなど一切無いね」
「ええ、そうでしょうね。無い胸は愛せないと言われたら、そりゃ王子でも殺すしか無いわよね。ヒー!」
コルデラが漏らした一言に周囲ではクスリと笑いが漏れた。イグニスはすかさず机を叩き、次に笑ったら殺すとけん制をする。顔を覚えられたらやばいと全員が本で顔を隠した。
イグニスの見合いの相手はランデレシア王国の第一王子、フィスキオ。彼は無類のおっぱいスキーだった。中でも巨乳好きだった。
顔は女性を虜にする甘いマスク。背は高く、声色が人柄が滲み出るように優しいもので。勿論王族として教育を受けているので能力もある。見合いの話はけして悪いものでは無かったのだ。
しかし不運かな。イグニスの乳は貧しかった。互いに相成れない天敵だったのである。破談は運命だったとも言えるだろう。なお、このお見合いで一番頑張ったのはイグニスの魔法から命からがらに王子を救出した護衛だったりする。
「それで図書室で胸を大きくする方法をお調べなのねー」
「う、うるさい。これは偶々だ。偶々」
赤髪の少女は机に積まれる本を慌てて隠した。魔法学から始まり、地理、歴史、言語に図鑑と幅広い種類の本がある。その中には確かに、胸を大きくする方法という胡散臭い物も混じっていた。
「はぁ。笑ったわ。イグニスが失敗したお陰で、今度は私が王子とお見合いするの。必ず成功するから、貴女はそこで歯を食い縛っているといいわ」
「自分だってさして大きくない癖に……」
言いたいことは言ったとばかりに背を向けるコルデラ。その去り際に見せた晴れない表情がギリギリでイグニスの爆発を抑える。
王子の婚約ともなれば、相手には相応の格が求められる。何せ王族の一員に加わるのである。けして美貌だけではなく、能力や品格までもが要求されるのだ。
そうなると当然に候補は絞られる。領主の娘であるイグニスがそうであったように、同じ領主の娘という立場のコルデラに話が巡ってくるのは順当であった。
「なんだい冴えない顔しちゃって」
赤髪の少女は、仇敵が見せた女の表情に目を細める。政略結婚。貴族として家同士の絆を深める為には珍しくない行為だ。イグニスとて好きな相手と結婚するのではなく、旦那となった人物を愛せよと教育を施されている。
貴族ならば普通だ。特に土地持ちとなれば、家の命運に多くの住民の生活が懸かっている。個人の感情を優先する事など貴族の責務が考えれば恥じとも言えた。
「イグニス様。コルデラ様がお見えでしたのね。嫌がらせはされておりませんか?」
「ああ、レクシーか。ちょうどいい。休憩しようと思っていたんだ、付き合わないかい」
「まぁ是非ご一緒させて頂きますわ」
イグニスはレクシーという取り巻きの一人を見つけてお茶に誘った。レクシーは男爵家の令嬢。貴族では地位が低い為にイグニス派という派閥に入り庇護を得ている。
当然にコルデラにも派閥があり、実のところ本人達よりも派閥の人間が水面下でバチバチと争っているのだった。
「レクシーは結婚相手に何を求めるんだい?」
談話室に移動した彼女達。貴族院には個室の部屋が数あるが、イグニスは図書室の最寄の部屋を金に物を言わせて貸切っていた。
なので実質的にはイグニスの部屋であり、内装から調度品まで、彼女の魔改造が施されている。レクシーは何度も足を運んでいるのだが、高級品に囲まれるのは慣れないようで。少しばかり身を縮こませながら返事をしていた。
「ぶっちゃけ、家柄と金ですわね」
「素直でよろしい。愛とか言われたら噴き出してしまう所だった」
「では、私は少し質問を変えます。イグニス様はどんな男性が好みなのでしょうか?」
「ふむ。あまり考えた事が無かったね。どんな相手でも好みに調教すればいいし」
けれど、と。イグニスはせっかくの機会なので顎に手を当て考えた。婚約の条件ではなく、己として自分が好みの男性像を。
「うーん。最低限の容姿と家柄は欲しいか……」
「ですわね。イグニス様には高貴な男性がお似合いですわ!」
「後は、そうだな。見てて飽きない意外性があったら、一緒に居て楽しそうだ」
「楽しませてくれる人は素敵ですね!」
少女達は理想の男をテーマにガールズトークを繰り広げる。その内に、あまり恋に考えて来なかったイグニスは一つの気付きをした。コルデラは、きっと理想の男性と出会ってしまったのだろうなと。
「そっか。アイツ、恋をしてたか」
見合いの相手が王子ですら見せた切なげな顔。その気持ちは地位や金では埋まらぬ特別なもの。そして少女は、もし自分にもそんな相手が居たらと考えた。
「まったく。令嬢は恋をするものじゃないね」
イグニスはガシガシと頭を掻く。彼女は、貴族として自分の恋心を封じ込める将来を予見する。ならば同じ教育を受けてきたコルデラも心を殺して家の為に結婚をする事だろう。その結果がまざまざと想像出来てしまったがために、イグニスは立ち上がった。
「レクシー。駄賃をやる、馬車の準備を頼めないか?」
「ええ!? か、構いませんが。どちらまで?」
「コルデラの滞在してる別荘まで」
◆
「し、失礼ながら、エルツィオーネ家のご令嬢とお見受けしますが、ご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか」
かくしてコルデラが住まうベルレトル家の前に一台の馬車が止まった。領主一族の名に恥じず、イグニスの家にも劣らぬ大きな門構えだった。整えられた見事な庭が広がり、3階建ての屋敷は住まう物の地位を表す様に迫力がある。
そこに太々しく我が物で門を潜る客が一人。
イグニスは馬車の中で着替えたのか、とんがり帽子を深く被り、黒い外套をはためかせていた。さながら童話の中から這い出た魔女の如くだ。纏う異様な雰囲気には、熟練の使用人も動揺を隠せなかった。
「コルデラは居るかな?」
「いえ。まだ学院からお戻りになっておりません」
それは暗に、お前も授業中だろうが、という意味が込められている。だが涼しい笑顔で流した少女は、では帰って来たら伝えてくれと伝言を頼んだ。
「私の後にすぐ王子と縁談なんて生意気なんだよ! 恥を知れ、この尻軽女が!」
「ひぃいい! この女、何を考えているの!?」
イグニスの足元に魔法陣が輝くや、渦巻く炎が轟々と庭先で燃え上がる。
それは庭師が丁寧に整えた芝や植木を軒並みに灰し、石造りの館に火災の様な煤を残した。使用人達が総出で火を消す間に、本人はあひゃひゃと高笑いを浮かべながら馬車で逃げ出す。
「イ、イグニス様。あのベルレトル家に真正面から喧嘩を売るなんて流石ですわ!」
「ひひひ。まぁ今回は悪役を引き受けてやろうじゃないか」
後日。見合いが流れたとイグニスの元に文句を言いに現れたコルデラの顔は、どこか晴れ晴れとし、申し訳なさを孕んでいた。
これはイグニス・エルツィオーネという少女がツカサ・サガミと出会うより、ほんの少し前の物語である。
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