第113話

 競射を終えた俺と藤原は射場に座り、安土に立ててある的を眺めていた。

 のどかな鳥の鳴き声が響いて、心を穏やかにしてくれる。

 時の流れをゆっくりと感じつつ、隣に座っている藤原に問いかけた。


「弓の使い手の由来、聞きたいんだろ? せっかくなんだ、教えるよ」


 競射で俺が勝ったとはいえ、藤原の探求心に応えてやりたい。

 別に恥ずかしい話でもないし、由来は教えてもいいと思ったからだ。

 藤原は何も言わず、嬉しそうに微笑むと、ゆっくりと頷いた。


―― 弓の使い手 ――


 それは俺が学生時代「桃山高校」の弓道部として弓を引いていた頃の話になる。


 俺が高校二年生の時、弓道の競技ルールが変革してない時代、その新人戦の時だ。

 当時はまだ個人戦があったから、その試合で俺が個人優勝した時、氷室絢先生が「弓の使い手」として名乗ればいいと名付けてくれた。

 もともと氷室絢先生が呼ばれていた通り名を少し変え、俺に名付けてくれたらしい。


 その新人戦の少し前から、弓を持つ俺の左手は、キレのある綺麗な「弓返り」をしていた。個人戦で行った競射の際、他の生徒達からも脚光を浴びていた事を覚えている。


 そこから3年生になった俺は「桃山高校」のエースとして弓を引き、選抜大会を突破し、インターハイへと出場した。

 その時の成績は、個人戦優勝と団体戦での優勝。桃山高校は全国に名を轟かせた。

 当時はテレビ中継もなく、その通り名を知る人はあまり多くはない。ただ試合の記録としては、新聞記事で残っている。


――「桃山高校」凄腕の射手「弓の使い手」――


 氷室絢先生がインタビューを受けた内容が、そこには記載してある。


「なるほど……すると弓の使い手には、なにか意味はあるのか? 私の場合、ウニョウニョするからと言った理由で、蛇だが」


「あるよ。想いを受け止め、次に繋げる人。それが弓の使い手だ」


「想いを受け止め、次に繋げる人か………そうか。だから………」

「まぁそんなとこだ。ところで、なんでレンズのない眼鏡をかけているんだ?」


 藤原は目を閉じて、何か思考にふけっているようだ。

 次に目を見開くと、何か気恥ずかしい様子となりつつ、口を開いた。


「なぜレンズのない眼鏡を掛けているのか。それは……変装みたいなものだ」


 変装みたいなもの。それは藤原瞳として、弓道FPSを極めんとするための心構え。その眼鏡には、想い描く夢を実現するため、歩んできた軌跡が詰まっているそうだ。

 藤原が真弓高校を選んだ理由、それは新しい弓道競技法に魅了されたから。胸に期待を膨らませ入学したものの、ろくに部員すら集まらず、内心絶望したらしい。

 最初は虚ろなその眼を隠すため、レンズのある伊達眼鏡をかけたとの事。

 

 ただいつの日か、部員が集まる事を期待して。ひたすら弓道FPSに向けて無茶な練習をしたそうだ。「がむしゃら」に体を動かし、運動能力を鍛えるため、日々を過ごした。

 その無茶な稽古をしている際、そのレンズは割れたらしい。されど、その眼鏡を外そうとは思わなかったそうだ。


「そうか……やっぱり、あの時すんなり部活動に参加した理由は、部員が集まるのを待ってたんだな。矢野には………声をかけなかったんだっけ?」


「ああ……私が2年生の頃、気になって道場に行ってみたら、琴音の姿は見つけた。その時は確か、4月くらいだったか? でも、声をかける勇気がなかった。舞が来ていたのも知っていたさ。すぐに居なくなっていたが」


 藤原の流派は、斜面打起し。正面打起しの矢野を教えてやれないと、そう思ったそうだ。

 猛烈に喧嘩する2人の姿を見て、さらに無理だと思ったらしい。


「フフフ。でも私は運がいい。3年生になる直前の冬休み、先生とあの子達に出会えた………どれだけ……心躍ったか……」


――――パサパサパサッ

        ――――――チュンチュン


 その時――俺と藤原が眺めている的の周辺に、数匹の可愛らしい小鳥が舞い降りた。

 その小鳥達はまるで、互いにじゃれ合うように遊び始める。

 なんだか、とても楽しそうな様子で……


 俺はふと、藤原に視線を向けた。

 その光景を見た藤原の瞳は、うっすらと潤んでいた。


 そよそよとした風が――藤原の髪をなびかせる。

 その眼はどこか優しげに―――なにかを思い描きながら。


 俺はそんな藤原の様子を、静かに眺めていた。

 なんだか、気恥ずかしい気持ちとなる。

 そして藤原の言葉に、俺は心温まった。


『後藤先生。来年のインターハイは、あの子達………きっと笑えるよね?』


「………笑えるさ。藤原の想いは、もう繋がってる。だから心配するな」


 俺はただ、隣にいるそのお淑やかな少女の言葉に、頷いた。

 困ったものだ。俺はどうやら、とんでもない願いを託されたらしい。

 過酷な道になるだろう。でも不思議と……応えてやりたいって思う

 それを教えてくれたのは、紫色の髪をなびかせ、儚い嬉し顔で語りかけてくる、一人の少女。


 小鳥達は、その場から元気よく澄んだ青空へと飛び立つ。

 それと同時に、俺と隣に座っていた少女が立ち上がる。その目には嬉し涙を浮かべて……俺の方を向くなり、微笑んだ。


 なんだか 幸せそうな笑顔で微笑んでいる。

 その少女の名は――『藤原瞳』俺の、教え子だ。





 

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