第78話 親の気持ち

 きらびやかな今宵の月はどこか優しく、薄明かりに神社を照らしていた。

 長い長い廻廊を通り抜け〈祈願受付け〉と掲げられた建物の隣にあるベンチへと、俺は腰掛けている。


 妖狐の父親に連れてこられたこの場所からは、静かに根を張っている神木がよく見える。

 この場所には、時折フワっとした夜風が吹いてくるのだが、その風が火照った顔へとあたると、その瞬間はとても心地が良かった。


 そして俺の隣には、パジャマ姿をした妖狐の父親が座っている。

 持ってきたその缶ビールを飲み干すと、真剣な表情で口を開いた。


「お前に聞きたい事がある、言葉は崩して良い。だが、真面目に答えろ」

「はい、聞きたい事とは?」

「鈴は、部活でうまくやれているか?」


 妖狐の父親が聞いてきたのは、娘である鈴の事だった。

 酔っているのもあり、いい言葉が思い浮かぶか少し不安になったが、俺は心情のままを伝えた。


 最初は色々と揉め事もあったが、今は問題なく打ち解けつつある事。


 榊󠄀原には色々と弓道用語を教わっているようだし、妹尾とも仲が良い。

 藤原も同じ斜面打ち起しの流派なので、よく射について話をしている。


 それに妖狐はインターハイに出場する事は出来ないが、部員の事を考えてか、練習場所を用意してくれた。

 あの矢野ですら、その事について妖狐にお礼を言っていたのだ。

 別段部員としての問題は感じない。


 ただ、妖狐自身はどう思っているかは、正直まだ分からない。


「そうか」


 それを聞いて安心したのか、もう1本缶ビールを取り出した。でも何故だか俺に飲めとは言わない。

 そこから再びゴクゴクとビールを飲んだ後、神木を見つめ、浮かぬ顔をしている。

 まるで何かを懐かしむような、そんな眼をして。


「弓道FPSといったか。鈴はあの競技でも、活躍できそうか?」

「それは———」


 結論から言えば、活躍は出来るだろう。

 ただ妖狐の射形では、遠距離での射ち合いは不得意だ。

 どう練習していくかによるが、課題はあるように感じる。


「……そうか」


 妖狐の父親は、2缶目のビールも飲み干したなら、今度はその缶をクシャリと握り潰す。


「……さすがに、少し顔が赤くなってますね」

「…………まあな」


 その男は酔った顔で、心中を明かすように口を開いた。

 その言葉に、もう威圧感は感じない。


「鈴が弓道部に入りたいと言い始めた時は、正直驚いた。ろくに友達なんて欲しがらない、あの協調性のない鈴が部活だなんて、そう思ったからな」

「それは〜……」

「別に気を使うな。誰よりも知っている、鈴は俺の大切な娘だからな」


 妖狐が突然、弓道部に入りたいと言い出したきっかけ。それはTVで俺の射を見たあと、浮かれたように突然言い出したそうだ。


 あれほど興味がないと言っていた部活に興味を示し、心底驚いたという。

 さらには俺に対しての強い憧れも、同時に語ったそうだ。当初は猛反対したらしい。


 だが、妖狐は言い続けた、絶対入部するんだと。


 そしてある日、家に帰ってくるなり入部試験に合格した事を、笑い顔で話してくれたそうだ。

 その妖狐の表情を見て、申し訳ない気持ちになったのだと。


「まあ、高校の部活に入部試験があるなんて聞いた時は、そこの顧問は頭がおかしいと思ったがな」

「はは……すいません」

「だが、かえってそれが良かったのかもしれん。特に、俺にとってはな」


 やみくもに部員を増やす事より、部活の秩序を大切にする、そこは共感を持ったそうだ。

 そして練習場所の提供を口実に、俺という人間がどういった男なのか、知りたかったらしい。


「他にも色々と試そうと思ったが。まあ、もう面倒くさいからやらん」

「それじゃあ俺は顧問として、合格ですか?」

「ああ…………」


 その言葉に思わず、力が抜けたような声がでてしまう。


「だが、もう一つ聞きたい事がある」

「なんでしょう?」

「………鈴の事は好きか?」


 俺は少し考えるため、黙り込んだ。すると、妖狐の父親は3本目の缶ビールを取り出すと、俺に手渡してくる。

 俺はビールを受け取ると、蓋を開け、ゴクゴクと飲んだ。

 時にはお酒の力を借りる事で、喋れる事もある。俺は一気に飲み干すと、心を落ち着かせた。

 たぶんこの気持ちが今のところ正直なものだ。俺は包み隠さず、正直に答えた。


「好きですね。でも、恋愛感情ではなく、一人の弟子としてです」

「…………そうか」


 妖狐の父親は難しい表情となるが、特に何も言わなかった。

 そしてベンチから立ち上がると、神木に手を添え、後ろ姿のままこう答えた。


「最終関門を突破とする。ここまで突破したのは、お前が初めてだ……やるな」


(……過去にも、いたのか?)


「認めよう、ただし。認めるのは鈴に弓道を教える、教師としてだ」


 どうやらここに来て、一つの山場をこえたようだ。

 俺は静かに立ち上がると、こう答えた。


「親として、鈴さんを心配する気持ちは分かりました。でも信じてください。俺は顧問として、恥ずかしい弓を教える気はありません」


「……………そうだな。破天荒な娘だが、よろしく頼んだぞ。後藤先生」


 過保護だとは思う。でも心配したってしょうがないさ。

 入部のキッカケは俺かもしれない。でも顧問として教えるのは『弓の道』である事に変わりない。

 理由はどうあれ、その道を選んでくれた以上、俺はその気持ちに応えてやりたい。


『弓の使い手』を託してくれたあの人だって、きっとそういうさ。

 







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