第66話 弽の溝①

 昼食後、斉藤の『かけ』を見たあと、いったん車に戻り、ツールボックスを持って道場へと戻ってきていた。

 そして射場内で、それをメンテナンスしている。


——ゆがけ、かけ——

 弓を引く際に、右手に付ける茶色いグローブのようなもの。そしてその親指の付け根部分には、弦を引っ掛ける部分『弦枕つるまくら』と呼ばれる部分がある。


 その溝の深さは、かけの種類によるが、一般的に4〜5mm程度だ。

 そして弓には弦に矢をつがえる部分『中仕掛け』と呼ばれる部分がある。


——中仕掛けなかじかけ——

 その目的は、矢をつがえた際の、はずの引っ掛かり具合を調整する事にある。加えてこの『弦枕』と呼ばれる部分の溝に対し、弦の太さを調整する役割もある。

 

 この『弦枕』と『中仕掛け』のバランスが、離れにおいて一つのポイントとなる。


 極端に例えるならば。

〈深い溝から飛び出す弦〉  

〈浅い溝から飛び出す弦〉


 この2つとするならば〈浅い溝から飛び出す弦〉のほうが、スムーズに飛び出すだろう。


 言葉を置き換えて表現するならば。自転車のタイヤが溝にハマった。

 どちらがスムーズに、そこから抜け出せるか?

 当然、浅いほうが出やすい。


 そしてこの『弦枕』の表面には『クスネ』と呼ばれる樹脂製の塗料のようなものを塗る。

 その目的は弦枕の保護である。要は『弦枕の鎧』のようなもので、例えるならコーティングである。


 このメンテナンスを怠ると、弦枕が削れ、変形しやすくなる。

 タイヤの溝がすり減るのと同じようなものだ。


『クスネ』の塗り方だが、超ダイジェストに説明すると。 


①かけについているクスネを、ヤスリで削る。

②熱した棒(マイナスドライバーとか)で、クスネを溶かしながら、すくう。

③弦枕に塗り、形を整える。

④もし形がぎこちない場合、クスネが硬化したあと、ヤスリで削って調整する。


 もし『クスネ』を塗ってもすぐとれる理由は、その付着力、くっつく力が関係してくる。

 ちなみにこれは、弓の引き方や、射形によって様々なので、答えはない。

 それぞれ『弦枕』の形は、自分に合った形へと調整すれば良い。



「よし。これでメンテナンスは完了だ」

「ありがとうございます! 後藤先生様!」


 俺は調整した『かけ』を斉藤に渡した。

 いやはや、まさか他校の『かけ』をメンテナンスする事になろうとはな。

 まぁ本人が喜んでいるんだ、本城も許してくれるだろう。


 クスネが完全に乾く時間は、商品によって様々なのだが、このクスネは時間がかかるタイプなので、1日は置いていたほうがいいだろう。


「さてと、射を見なくとも、これで良くなると思う。まぁ、経験上の話だけどな」

「はい、大丈夫です!! 俺………先生を信じてますから!!」


(やれやれ、他校の顧問を信じるか)

 

 それからは弓を引く事もなく、斉藤と的を眺めながら、なんのきない会話をしていた。こういった時間を過ごすのも、悪くないかもしれない。


「あの、後藤先生様……ひとつ、聞いていいですか?」

「ん、なんだ?」

「先生は、どうして"斜面打ち起こし"を、部員に教えないのですか?」

「あぁ、それはな―――」


 俺は新人教師となり、今まであった経由をかいつまんで説明する。

 斉藤は体操座りのまま、俺の話を聞いてくれていた。


「そうだったんですね……やっぱり、後藤先生様は凄いです!! でも………」


 斉藤は口を濁すが、言いたい事は伝わってきた。

 それは正面打起しで、インターハイをどこまで戦っていけるのか。

 要はそういう事だ、俺も内心思っている部分はある。


「なんか、すいません……俺なんかが、偉そうに言っちゃって……」

「ははは、別にいいさ。俺も思っている事なんだ。まぁ、全力を出すまでさ」


 そこから、しばし静かな時を過ごす。


 のどかな景色――心地よい風。


(全力か……俺は顧問として、全力なのだろうか?)


 俺は、ゆっくりと―――目を閉じた。

 静かな時を―――感じながら。


 ドンッ—――身体が、押し倒されたような感覚。

 なぜ? どうして?


 俺はゆっくりと―――目をあけた。

 その男の髪は青色で―――顔は美形だった。


「フフフ、先生。俺……欲しくなっちまった……食べちゃおっかな?」


(この状況は……まさか導かれてしまうのか? 誰か……誰か助けて―――)



―― ➶ ◎ ➶ ――



 こうして俺の記憶の一部は、黒歴史となった。


 現在は車を走らせ、帰路へとついている。

 窓から見えるのは、夕焼け色に染まる、のどかな田舎風の景色。


〈ピコン〉助手席に置いてあった、俺のスマホから音が鳴る。

 だが俺は今、それを見る事ができない。


「まさかな……」


 俺のバックに入っていたオニギリはもうない。

 帰り道に食べようと、1個残してあったのだが。

 どうやら、そのオニギリが俺を導いたようだ。


ーーーーーーー


弓雄@ふだんしぃ

(オニギリ、美味しかったです!また、食べたいな~)

(フフ(^^)ごちそうさまでしたっ!)


ーーーーーーー

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