71-対話
化生した椒図を透明な街に連れ帰ることができたことに一先ず安堵した。全く情報の無い状態でこんなに早く見つけることができたのは運が良かった。これで見つからなければ、目立つ緑の髪の目撃情報を求めて
獏と蒲牢はベッドに腰掛け、椒図にも座るよう促したが、警戒はまだ完全には解かず頑なに座ろうとしなかった。蒲牢とも兄弟とは言え初対面だ。この様子では慣れるまで時間が掛かるだろう。
こちらが緊張していれば椒図も気が抜けないだろう、肩の力を抜いて事情を説明しようと口を開く。話せば一定の理解は示してくれるはずだ。
だが一言目を発する前にノックも無く突然ドアが開かれ、獏と蒲牢は慌てて椒図をベッドの下へ押し込んだ。
ドアを開けた洋種山牛蒡は部屋を見渡し、じっと獏を見た。
部屋の前に気配が立った瞬間に行動したので椒図の姿は見られていないだろうが、上がりそうな息を抑え付ける。
「首輪……」
「付ける時もあるんだ」
間髪を容れず追って来た黒葉菫は軽く肩で息をする。二階に上がる彼女を止めることができなかった。
「……罪人とは言え相手は獣なんだ。プライベートな空間に許可もなく変転人が入るのは……駄目だ」
罪人のプライベートとは何なのだと、言った直後に黒葉菫は心の中で自問した。
「それもそうね。……処罰される?」
「いや……すぐに出れば大丈夫だ。下に戻ろう」
「可愛い子猫が来たって教えてあげたかったから」
洋種山牛蒡は素直に踵を返し、詰まらなさそうに階段を下りて行く。黒葉菫は部屋の中に向かって何度も頭を下げた。
「……すみません」
階下に届かないよう小声で謝っておく。
「大丈夫だよ。……ちょっと驚いたけど。何か面白い噂でも聞けた?」
あまり引き留めるとまた洋種山牛蒡が上がってきそうだが、黒葉菫の自責の緊張を緩和させるために少し話しておく。
「……面白いかはわかりませんが、
椒図の居場所はこのベッドの下だと言えば話が長くなるだろう。今は黙っておくことにする。
「贔屓の居場所は聞いておいてほしい」
「はい。わかりました」
横から口を挟んだ蒲牢に頭を下げ、黒葉菫はもう一度頭を下げてドアを閉めた。
暫く待ってみるが階段を上がる音はしない。もう良いかとベッドの下から椒図も這い出る。
「君が兄弟の居場所を知らないのに変転人が知ってるなんて、面白い話だよね」
「……捜そうとはしなかったからな。決別するならそれで、しつこく追わない」
蒲牢は目を伏せ、淋しそうな顔をした。過去に何があったのか獏の知る所ではないが、『決別』という表現を聞いたのは初めてだった。
床から立ち上がった椒図は眉を寄せながらドアを見、ベッドの上に視線を戻す。
「……見つかると不味いのか?」
「うん。今の女の人はね。洋種山牛蒡って言うんだけど」
黒葉菫に相手をしてもらっているが、彼がいる御陰で彼女に緊張感が無い。この街が罪人の牢だということを忘れている気がする。狴犴が差し向けたので敵と見做してはいるが、黒葉菫と仲が良いことで状況が複雑になっている。監視と言うより最早友人の家に遊びに来ている感覚だ。
「じゃあ、気を取り直して説明していくよ」
何処から話すか悩むが、椒図の脱獄から話すと長くなってしまう。それにその詳細を知るのは蜃だ。憶測では話せない。
まず現在の目的である白花苧環の奪還を伝え、狴犴に椒図の力が渡ると宵街を閉じられて手出しできなくなると話した。そこから白花苧環が狴犴に殺された経緯も話した。
椒図は立ったまま静聴したが、相槌を打つことはなかった。話が終わると椒図は沈黙したまま目を伏せ、蒲牢へ視線を上げた。
「……蒲牢は獏の味方なのか?」
化生したばかりでまだまだ知らないことが多い椒図はより多くの情報を集めようとする。状況が複雑化した問題に判断を下すために必要なことだ。
「味方……と言うと、運命共同体とまではいかないけど。獏は俺の悪夢を食べてくれるし、御礼みたいなものか」
「狴犴には味方がいるのか?」
「味方と言っていいのかわからないけど、
「他の兄弟は?」
「居場所を知らない」
「…………」
椒図は再び黙り込み、情報を整理した。兄弟達は特にどちらの味方というわけでもない。蒲牢がこちらにいて狴犴と対立しているのなら兄弟喧嘩なのかと推測したが、違うようだ。
「……僕は化生……したようだが、化生前は誰かの味方だったのか?」
先の説明では獏に付いていたと話されたが、確認のため改めて質問をした。
これには蒲牢は答えられず、獏に目を向ける。
「僕の味方をしてくれてたよ。君は僕に会えて凄く喜んでた。昔の話をってなると蜃から聞いた方がいいけど……」
「蜃?」
「君の友達だよ。化生しても友達になろうとしてる。今はちょっと行き違ってていないけど、君を捜してるよ」
「…………」
やはり蜃のことも覚えていない。記憶が完全に抜け落ちている。
『友達』が悪い言葉ではないことは椒図にもわかるが、知らない者を友達と言われても何も感じることはなかった。只の空虚な言葉だった。
椒図が沈黙すると、今度は控え目にドアが開いた。また椒図をベッドの下へ遣ろうとしたが、立っていたのは洋種山牛蒡ではなかった。
一度確認のために灰色の彼女は背後を振り返り、重そうに紙袋を提げて部屋に入る。
「おかえり、クラゲさん。ヨウさんに何か言われた?」
「私は特別なので二階に上がってもいいと言いました。特別なので」
灰色海月は胸を張り、得意気に二回言った。
「御団子が思ったよりも種類が多くて、決められませんでした」
紙袋を床に置き、装着したままの獏の首輪を外してからベッド脇の机に団子の箱を一つずつ積んでいく。
「
獏は団子としか言わなかったが、こんなに種類があることを失念していた。呪文のように団子の名前を唱える灰色海月に、これは確かに決められないと納得した。絞ろうにも夢の中で食べた団子がどんな団子だったのか獏は覚えていない。
「獏、これは俺も食べていいのか?」
「ああ……うん。こんなに多いと思わなかったから、食べてくれると嬉しいよ」
記憶を継がずに化生した獣が何らかの外的刺激で記憶を取り戻すことがあるのかは定かではないが、蜃のあの落ち込みようを見ると縋りたくもなる。可能性や記憶のことを抜きにしても一緒に食事をすることは悪いことではないだろう。打ち解けるには良い。椒図ではなく蒲牢の方が興味を示して先に箱を開けるのは想定外だったが。
「椒図は化生して何か食べたか?」
「……いや。まだ何も」
「人間の作る食べ物は面白い。椒図もきっと気に入る」
先に蒲牢が御手洗団子の串を抓み、椒図にも同じ物を手渡す。警戒していた椒図も蒲牢が食べるのを訝しげに凝視し、変な物ではないと認めた。どろりとした琥珀色の謎の液体が掛かっていて口に入れるのを躊躇ってしまうが、蒲牢は表情を動かさず食べている。
恐る恐る少し齧ってみると、当然なのだが食べたことのない味がした。何と表現すれば良いのかわからず、椒図は黙々と口を動かすしかできなかった。
「どう? 美味しい?」
獏も同じ物を頬張り、何か変化はあるかと話し掛ける。
「美味しいは……よくわからない」
「二口目が進むなら美味しいんだよ」
「……そうなのか」
二口三口と口に運んでいるなら、それは美味しい物なのだ。
黙々と食べ進め串だけになると、椒図は漸く答えを出した。化生してすぐにあれこれと聞かされ混乱が大きかったが、自分の出した答えを反芻する。本当はもう少し考える時間があれば良かったのだが、急いだ方が良い空気を感じた。
「僕は宵街に行く」
「!?」
串を置く椒図に獏は動揺した。
「……化生したら必ず宵街に行かないといけないなんて決まりはないよ?」
「僕は中立、或いは狴犴の味方をする」
「どうして……」
説明が足りなかったのか理解できなかったのか、獏は自分の言った言葉をもう一度思い返す。足りないと言うなら、獏の化生前の話もすべきだったかもしれない。以前の椒図はその頃からの積み重ねた記憶がある。友達を思う椒図に、友達――蜃の記憶も与えられなかった。それが問題なのかもしれない。ここに蜃がいて会話をしていれば、と叶わないことに縋ろうとしてしまう。
「白花苧環は元は狴犴のものなんだろ? なら狴犴の手にあるのは自然なことなのでは?」
「……!」
失敗した。獏はそう思った。友達以上に、今の椒図は感情が育っていない。人の気持ちがまだ理解できないのだ。彼には事実しか見えていない。変転人にはよく見られる現象だが、化生した獣もその限りなのだと痛感した。化生直後の獣とはこんなにも危ういのだと知らなかった。自分の時はどうだったのか――獏は生まれてすぐに誰かと会話をした覚えがない。
「僕はまだ宵街を見たことがない。まずはそこに行って、自分の目で見る。それから中立にするか決める」
椒図は鍵のような形をした杖を召喚する。その杖は化生前の彼の杖と同じ形をしていた。
「――待って! 行っちゃ駄目だ椒図!」
獏の制止の声は届かず、椒図はくるりと杖を回した。瞬きもできずに開かれた視界の中で椒図の姿は消えた。まるで空気に触れた泡のように消え失せた。
「ぁ……」
宵街へ行けば必ず狴犴が見つけるだろう。このまま宵街が閉じれば、椒図は狴犴に味方したことになる。追って連れ戻すべきか考えるが、無理に連れて行こうとすれば今や何の縁もない獏に抵抗し戦うことになるかもしれない。戦闘は本意ではない。椒図を傷付けることはできない。
動物面を伏せて腕に押し付け、不味いことになったと顔を埋める。狴犴はこの化生直後の穴を見越していたのだろうか。監視として寄越した洋種山牛蒡の目が緩過ぎて街の外に出たが、まさかそう動かされていたのか。
「……次の手を考えないと……椒図が連れ戻せないなら、他の……」
背を丸めぶつぶつと呟きだした獏を、三色団子を食べながら蒲牢は無感動に見下ろす。どうやら壁にぶつかったらしいと推察する。
「……こっちも味方を増やすか?」
「…………」
声が聞こえていないのか獏は腕に顔を埋めたまま動かない。思考に集中するのは良いが、一人で思考を進めないでほしい。蒲牢は口の中の団子を飲み込み、静かに歌った。木の葉の陰から様子を窺うように小さく歌う。澄んだ歌声は思考の隙間に入り込み、鈴のように鼓膜を揺らした。
「…………」
雑音のような不快感はないが思考を中断させられた獏は動物面を少し上げ、疲れたように蒲牢を見上げる。その様子に満足し、蒲牢は歌うのをやめた。
「こっちも味方を増やすか?」
同じことをもう一度言い、首を傾けて窺う。獏は床に視線を落とした後、少し考えて頭を上げた。
「……味方って? 僕にはもう知り合いはいないよ」
「さっき贔屓の居場所がわかると言ってた。贔屓をこっちに引き摺り込もう」
「それって兄弟の一番上の人だよね? 言っちゃ悪いけど、変な人なんじゃないの?」
これまで会った龍生九子は皆変わり者だった。椒図は話す機会が多かったからか慣れてしまったが、今目の前にいる蒲牢は間違いなく変わった奴だ。
「何を持って変と言うのか……。椒図が宵街に行ったのは、宵街にいる兄弟の数が多いのが理由とも考えられるし、こっちも兄弟を増やせばいいんじゃないか? 挨拶をしに戻って来るかもしれない」
「椒図は兄弟に会ってみたかった、ってこと? そんな感じじゃなかったと思うけど……兄弟喧嘩になったりしない?」
「俺は喧嘩しない」
「……味方してくれそうなの?」
「狴犴よりは」
それはわからないと言っているのと同義ではないかと獏は口を尖らせる。
「化生直後の状態、君ならわかったんじゃないの?」
「さあ? 化生の期間と同じようにそれにも個体差があるから。この場合は……化生が早かったから未熟さが大きくなったのかも……? 考えればわかるってものでもないし、そう落ち込むなよ」
今度は餡の載った草団子の串を抓み、獏にも差し出す。遠慮無くよく食べる奴だ。
「君が宵街に行けば椒図を連れ戻せる?」
「無理だよ。俺がここにいたのに椒図は行ったんだから。無理矢理なら引き摺って連れて来られると思うけど、乱暴なことをしても言うことは聞かないよ。……まあ食べて。頭を働かせるには糖分だ」
「クラゲさんが買って来た物を我が物顔で……」
「こんなに一度に団子を見る機会もないから」
「太って杖から落ちてしまえ」
「面白いことを言うな」
放っておくと一人で全て平らげてしまいそうだ。椒図にと買った物だが当人がいなくなりもう不要ではあるが。
蒲牢は灰色海月にも団子を差し出し、彼女は獏を一瞥しながらも受け取った。これでは只の団子パーティではないか。
「あまり肩入れすべきじゃないと思ってたけど、俺も手伝ってやる。改めて、今しないといけないことは何だ?」
では今まではただ振り回されていただけなのかと獏は不信感を瞳に浮かべるが、手伝ってくれると言うなら今は猫の手も借りたいくらいだ。一人で頭を回すにはあまりに心配事が多い。
「……椒図と宵街のこと。ウニさんと鵺の行方捜し。あと戻って来ない蜃が少し心配」
「鵺は……そう言えばまだ隣の家を見てないな」
「見たら焦る理由がわかるよ」
「じゃあ見て来る」
団子を一本持ち、蒲牢は緊張感無く部屋を出て行った。
灰色海月は手渡された団子を見下ろし、不安そうに呟く。
「貴方も疲れてるように見えます。少し休んだ方がいいのでは」
「うん……でも休ませてはくれないでしょ」
蒲牢が戻るまで獏はベッドに体を倒した。狴犴の動きはあまり大きくなく寧ろ鈍いくらいだが、思考は休んでいないだろう。白花苧環が手元にいる今、わざわざ彼が攻勢に出る必要もない。更に椒図まで味方になれば宵街を閉じられて手が出せなくなる。
「……あ!
大事なことを思い出し、頭を抱えた。
「出られなくなったらどうしよう……閉じたら出られないよね。今の椒図の力ってどうなんだろう……。椒図が中立でいてくれることを願うしかないのかな……」
螭もだが浅葱斑もだ。行方不明の黒色海栗と鵺も宵街に絶対いないとは言い切れない。椒図に狴犴の味方をされると想像以上に不味い。
「僕が宵街に行った所で力を使えないんじゃ意味無いのが一番痛い」
「――だから、贔屓に会いに行こう」
早々に戻って来た蒲牢は串に残った最後の一つを咥えて抜いた。表情が動かないので彼を見ても味の良し悪しが全くわからない。
「味方が増えても椒図の力が厄介過ぎるんだよ」
蒲牢は団子を咀嚼し飲み込む間に、焦る獏の気を引く言葉を考える。蒲牢は人捜しが得意ではない。故に贔屓の居場所なんて知らなかった。知らなければ捜そうと思わないが、居場所がわかるのなら彼と会って話をしたい気持ちはあった。狴犴が饕餮に変転人を捕食する許可を出したことについて意見を聞きたかった。違和感があるのだ。狴犴がそんな許可を出したことに。贔屓を引き摺り込もうと言ったのもこのためだ。
「……もしかしたら贔屓はまだ解除印の予備を持ってるかもしれない」
「!」
適当に流そうとしていた獏はがばりと起き上がり、ベッドに座る蒲牢の肩を掴んだ。
「そっ、それ本当!? 力が戻るの!?」
想像以上の喰い付きに蒲牢は表情が動きそうになるが、どうにか無表情を貫いた。罪人の気を引くには充分過ぎる言葉だったようだ。
「今宵街を仕切ってるのは狴犴だから全てを解除はできないかもしれないけど、獏の烙印は俺達が宵街にいた頃と土台は同じ物だから。もしかしたらまだ解除印を持ってるかも」
思ってもない光明に獏は高揚した。可能性があるなら変な奴だろうと会わなければならない。洋種山牛蒡曰く贔屓は人望はあるようなので、変な奴だとしても取り付きにくいことはないだろう。
「狴犴に統治を任せた当時、何かあった時のためにと廃棄せず宵街から持ち出したんだ。もう何百年も経ってるし捨てられてないといいけど」
贔屓に会いに行っている間に椒図が宵街を閉じてしまうかもしれないが、今は行ってもどうにもできない。力が戻ればまだ遣りようがある。
「もしまだ宵街が閉じてないなら、蒲牢は一度宵街に行って。螭にこのことを知らせてほしい。ここに戻るかどうかは彼女次第だけど……。余裕があれば病院も確認してきて。ウニさんと鵺がいるかどうか……。それから、宵街が閉じる前に戻って来て。もし閉じたら……それでも椒図に接触することはできるよね」
「人使いが荒い……」
「御団子全部食べていいから!」
「最近流行りのマリトッツォって奴も気になってる。正気じゃない量のクリームが詰まってるらしい」
蒲牢はここぞと調子に乗って追加の食べ物を要求した。
「……君、少しズレてるよね。売ってたら買ってあげるけど」
「? よくわからないけど、じゃあ行く」
流行を追っているようで何歩か遅れている。情報収集能力はあまり期待できなさそうだ。
団子を一本持ち、蒲牢は杖を召喚する。
「団子分の仕事はする」
善は急げとくるりと杖を回し、蒲牢は姿を消した。つまり椒図はまだ宵街を閉じていない。狴犴の味方をするにしても自分の目で見てからだと言っていたので、少しの間ならまだ余裕はあるだろう。
蒲牢のことは何処まで信用して良いのかまだ結論を出せないが、悪い方へ転ばないことを祈るばかりだ。
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