第5話 自宅待機


 時刻は十七時を回った。

 こっそり裏口から出たこともあって、野次馬を上手く撒いた悟たちはそのまま国道を通って中心地からやや離れたマンションに戻る。

 築十数年十階建て1LDKのやや古いマンションだが市営賃貸であるが故、冒険者特権により割安で住めるのが特徴だ。

 駐車場にバイクを停め、メインホールからエレベーターを使用して四階の廊下に出る。

 タイルが敷き詰められた廊下を進み、411号室の扉横に設置されたモニターにスマホをかざす。

 無機質な承認音と共にロックが外れ、悟が扉を開けると、脇からアイシャがスッと中に入る。

 廊下に人目がないかを確認して悟は扉を閉めてオートロックを作動させた。

 続けて玄関の小物置きにセットされた音声デバイスに声をかける。


「エディ、廊下と洗面所、リビング、キッチンの電気をつけてくれ」

 ――了解しました。

「エアコンも追加。リビングのほうだ」

 ――わかりました。


 AIが主人の音声を確認後、指定された箇所で明かりをつける。追加の指示より数秒、室内からエアコンの起動音が聞こえた。


「いい子だねー、エディは」

 ――ありがとうございます。


 アイシャの言葉に反応したエディが即座に返事を返す。

 現代のAIの反応速度は目に見えて上昇しており、もっと高性能な物になると登録された魔力の波長を感知するだけで指定された行動に出るAIも存在する。

 先に靴を脱ぎ、洗面所で手を洗ったアイシャが早歩きでリビングに入っていった。

 悟も武器を廊下の端に置き、手を洗ってリビングに向かう。

 手前側にカウンターキッチン正面に四人がけのテーブル、奥が40インチのモニターと三人がけのソファーの間に座卓がある、一般的なレイアウトだ。

 室内に入ると、テーブルに頬杖をつくアイシャの姿があった。


「ボクがなにを食べたがってたか、覚えてる?」

「フルーツ山盛りだろ。それとイチゴのスムージー、だったかな……?」

「バナナスムージーです。砂糖は控えめでよろしく」

「もう晩飯の時間だぞ。それでもいいのか?」

「いいよー、今日は暑かったし」

「了解」


 オーダーを受けた悟はさっそく作業に取り掛かる。

 冷蔵庫にはりんごやキウイ、ぶどうなどが切り分けられた状態で皿に盛られていた。しかし山盛りとは程遠く、追加で野菜室から半玉のメロン(訳あり品)を半分に切り分け、白い大皿に乗せる。

 続いてミキサーを起動。暗所に隠していたバナナと牛乳に氷、少量のきび砂糖を入れて蓋をし、慣れた手つきでふたり分のバナナスムージを作る。

 お盆にフルーツたちとフォークとスプーン、スムージを乗せた状態でアイシャの下へ持っていく。


「ほい、今日の晩飯な」

「わーい、いただきまーす♪」


 傍から見たら、おやつにしか見えない組み合わせだが、これが彼女の食事である。暑い日はこれがいいらしい。


「うーん、美味しいなぁ〜!」


 メロンを口いっぱい頬張りながら、喉をスムージーで潤す。瞬く間にスムージーが胃袋の中に消えていった。


「今日のスムージーもいいねぇ〜。夏はやっぱりこれだよぉ」

「今年で二度目の夏だもんな。――おかわりは自分で頼む」


 そう言って、キッチンに戻った悟がミキサーごと、キッチンボードに置いた。

 アイシャはうい、と返事してからそれを手に取り、白い液体をコップに注いでフルーツを口へ運ぶ。

 よほど好きなのか、食べている最中の彼女から笑顔が途切れることはない。

 そういうところは普通の子供だよなぁ、悟は内心笑いながら、今度は自分の食事を用意する。疲れたので簡単に作れるメニューを選んだ。

 熟してゾンビ寸前のアボカドと柵のサーモンを角切りして醤油とわさびで和え、それを丼に乗せ、最後に卵黄と刻み海苔を散らせばあっという間にサーモンアボカド丼の完成だ。

 お盆を使わず、丼をテーブルに置き、冷水の入ったコップと余り物のポテトサラダを添えれば、定番メニューが出来上がる。

 小さなパートナーと向かい合うように座った悟が両手を合わせた。


「いただきます」


 最初は卵黄を崩さずに箸で白米とともにアボカドとサーモンを口に運ぶ。

 わさび醤油のつーんとする匂いが鼻孔を駆け上がり、畳み掛けるようにアボカドとサーモンの濃厚な風味が舌に押し寄せる。


「やっぱり、この組み合わせは鉄板だな」


 比較的安価で白米も進むこの組み合わせ。

 今度は卵黄を崩して箸を進めると、丼に深みが出る。

 納得の味に舌鼓を打っていると、一部始終を見ていたアイシャが尋ねてきた。


「それ、美味しいの?」

「美味しいよ」

「ふーん、そうなんだ。……食べてみたいなぁ」


 アイシャはすでに食事を終えており、暇していたところだった。


「量は?」

「お茶碗半分くらい」

「ちょっと辛いけど、大丈夫か?」

「……頑張ってみる」

「わかった」


 丼に乗り切らなかった和え物と卵黄を少量のご飯に乗せ、箸と一緒にテーブルに置く。


「無理だったら残していいからな」

「おっけー」


 匂いを嗅ぎ「つーん、とするね」と言ってから悟に習い、卵黄を避けて一口目を口へと運ぶ。直後、小鼻を天井に向けた。


「辛ッ……」


 やはり子供の姿をした彼女にわさびは荷が重かったのかもしれない。


「ん、でも美味しいね。……ボクにはしょっぱいけどさ」

「人間の味覚だとそれくらいの塩気がちょうどよかったりするんだがな」

「みたいだね。この体にここまでの塩味は必要ないのかも」


 人間と味覚が異なるのか、または舌が敏感なのか、少女は塩気をあまり好まない。


「卵黄、混ぜてみな。また違った味になるぞ」


 悟の助言を受け、卵黄を割り混ぜて、味をマイルドにしてから再度食す。


「お、だいぶ食べやすくなったよ」


 塩気と辛さが薄れたことで箸が進み、二分ほどで完食した。


「ごちそうさまー」


 感謝を述べてから皿をシンクに運び、戻ってきたアイシャがソファーに仰向けで寝そべった。


「おいおい、太るぞー」

「これがいいんですっ」

「ふっ、そうかい」


 ソファーの魔力に惚ける紅の少女。

 自身の食器を片付けた悟が彼女の隣に腰を下ろした。

 目の前の大型モニターに自身の顔が映る。

 まだ武器の点検などやることはあるが、ゆっくりしたい気分だ。

 彼が少女に尋ねる。


「なにか見るか?」

「うん見る」


 アイシャが即答した。


「なにがいい?」

「アニメか映画。クオリティが高くて、極力死人が出ないやつ」

「となれば『スタジオ熱風』の作品あたりか」


 人魔戦争の影響で世界中のあらゆる産業が壊滅的打撃を被った。復興にかなりの時間を要し、終戦から数年は苦難の時期を過ごした。

 エンタメ産業も例外ではなく、新規アニメや漫画を含むエンタメコンテンツの生産が数年にわたりストップする。

 しかしそこはアニメ・マンガ大国の日本。復興支援という形で昔のアニメや漫画の無料配信を頻繁に行い、傷づいた人々に娯楽を提供し続けた。

 それによって古いコンテンツの再評価が起こり、戦後産まれの若い世代にも数十年前のアニメが幅広く認知されている。

 スタジオ熱風の作品などは人気が高く、今や若者の教養の一部だ。


「おー、いいね。ナーシカと天空城、もののけプリンセスは見たから、それ以外でね」

「結構、視聴してるんだな。やっぱり面白いか?」

「うーん……」


 悟の問いにアイシャがしばし考えてから口を開く。


「あのスタジオの作品ってさ、自然の描き方がすっごい魅力的なんだよね。人間同士の殺し合いは見ていて心が痛くなるけど、不思議と最後まで見れてしまう。――正直、自分でも驚くよ」

「ま、オーラあるもんな。あの時期はテーマもしっかりしてるし、監督の評価が高い時期だ。それを考慮するなら『少女の神隠し』あたりが妥当かな。人間の死者は出ないはずだからな」

「じゃ、それでよろしくぅ」

「エディ、正面のモニターをつけてくれ」

 ――了解です。


 音声操作でモニターに電源が入る。

 彼がサブスク起動の指示を出そうとしたときだった。


『まことに申し訳ございませんでした』


 仙台市長が頭を下げているところが目に入った。

 右上のテロップには『花京院ダンジョン上層にレッドオーガー出現、死者多数』の文字が書かれている。


「記者会見か」


 市営のダンジョンで事件が起こった場合、被害の規模にもよるものの、市が説明するケースがほとんどだ。

 例に習い、現仙台市長「村松清美むらまつきよみ」がその任を負ったのだろう。

 悟はサブスクへのアクセスを後回しにして、意識を放送に集中した。

 会見は始まったばかりで、市長が現状説明を行うところだった。


『えー、本日14時ころ、市が管理する「花京院ダンジョン」でレッドオーガー及び多数のモンスターが一階層に出現。多数の死者を出す事態が発生いたしました。見習い冒険者の方が二名と現場の警備にあたったダンジョン警備員一名の死亡が正式に確認されました』


 死者が計三名。不慮の事故が付き物のダンジョン探索とはいえ、安全が補償されたエリアで凶悪なモンスターが出たとあっては話は別だ。

 質疑応答時の厳しい追求が予測されるだろう。

 音声が耳に届いたアイシャは体を起こした。


「……」


 無言で見つめる姿にはさっきまでの笑顔はない。実に彼女らしい。

 静かになった彼女を一瞥し、悟りは心情を察するも、そっとしておくことにした。

 市長が先ほどの発言に補足を加える。


『出現したレッドオーガーを含むモンスターは警備員と交戦後、駆けつけた仙台ギルド所属の冒険者とその関係者によって討伐されたと報告を受けております。重ねて、本件でお亡くなりになった方々へ深くお詫び申し上げます』


 市長は状況を端的に説明、流れるように頭を下げた。そこからマニュアルめいた言葉が並び、会見は質疑応答の時を迎える。

 メインイベントとあって集まった記者たちが我先に挙手する。

 最初に手を上げた女性記者が指名を受け、市長に質問をぶつけた。


『色々とお聞きしたいことがあるのですが、まず市長はレッドオーガー討伐が配信されていたことはご存知でしょうか?』

『存じております』

『その中に登場した黒服の冒険者の方の他、少女に変身する巨大な鳥が映っておられました。あの鳥は本物なのでしょうか? 一部ネットではフェイクではとの声も上がっているのですが。いかがでしょうか?』


 単刀直入に聞いてくるあたり、世間の関心が高いことの表れだろう。

 本来、市が答える内容ではないが、話の流れから質問されるのは想定済み。

 市長は十分に呼吸を整えてから答えた。


『冒険者ギルドに問い合わせたところ「事実確認中によりまだ回答できない」との返答を受けました。ただ……レッドオーガーを討伐した「冒険者の男性」と「その関係者と思われる少女」は現在、仙台ギルドに所属していると伺いました』


 会場にわずかな動揺が走る。ふたりの存在はフェイクではなかったという情報が返ってきたからだ。


『なるほど。では――あの巨鳥の存在及び人間への変身は「事実」ということでよろしいのでしょうか……?』


 記者の声音が硬さを帯びる。それが今一番、知りたい内容である。

 それを知りたいのはこっちだよ。そう言い返したくなる衝動に駆られたがグッと堪えて市長が告げる。


『それは事実確認中とのことで、明確なご返事をいただけておりません。ですが、この件について後日冒険者ギルド側から何らかの説明があると思われますので、そちらを参考にしていただければと思います』


 直後、記者たちの顔から不満が漏れ出すも、市長は表情を崩さすに一度目の質問を終えた。

 この質問以降も何度かアイシャの話題が出たが「冒険者ギルド側の発表をお待ちください」との一点張りだった。

 諦めた記者たちの口から出る質問が「なぜレッドオーガーが上層に出現したのか」「管理に不備があったのでは」といった管理責任を問う内容に変化する。

 市長は警備に不備があったが現在調査中であると述べ、それに伴う一階層の立ち入り制限などを公表、記者からの追求をしのぎ切っていた。

 これ以上、収穫はないと感じた悟がAIにモニターの電源を切らせた。


「ギルド側は市長に最低限の情報だけ渡したようだな」


 ナギサの言う通り、ギルドは最小限の情報提供だけで済ませたようだった。

 ホッとする反面、冒険者ギルド側が説明を行う予定であると聞かされ、悟は不安が拭えずにいる。

 ちょうどそのとき、彼のスマホが振動した。

 ナギサからの着信だった。悟が電話に出る。


 ――市が記者会見を開いたんだけど、見てた?

 ――見てたよ。市長側に伝えたのは、あれだけかい?

 ――ええ、あれだけよ。正直、あなたたちの正体をどこまで公表するかで意見が割れてね。会議では決まらなかったよ。だから最低限のことだけ伝えたってところ。

 ――そうだったのか。やっぱり、アイシャの正体を公表するのは問題が大きいか?

 ――アガルタも関係してるからね。彼らの機嫌を損ねるのは外交上、よろしくないわ。

 ――向こうにも地球人がいるもんな。

 ――人質にされるってことはないだろうけど、彼らが不利益を被るのだけは避けたいっておばさんが言ってた。


 終戦後、アガルタと国交を結んだことで地球人が彼らの土地で活動するケースも常態化した。

 政治的ないざこざのせいで不当な目に遭わないよう、公的組織としては配慮せねばならない。


 ――ギルドマスターか。また迷惑をかけそうだな。


 おばさんと言われた人物の顔を思い出して苦笑いする悟。ナギサも釣られるように鼻を鳴らす。


 ――そのぶん活躍したんだし。許してくれるわよ。前置きはこれくらいにして。


 ナギサが本題に移った。


 ――遅くても一週間以内に何らかの情報公開を行う予定よ。場合によってはあなたたちにも公の場に出てもらうから、それまでは自宅待機で方向でよろしく頼むわ。

 ――了解。アイシャに伝えておく。

 ――じゃ、また会議だから。切るわね。

 ――遅くまで大変だな。今度奢るよ

 ――お言葉に甘えるわ。またね。


 ナギサとの通話を切り、悟は背もたれに体を預けた。


「はぁ……。まったく面倒なことになった」

「ボクが関係すること?」

「最悪、俺たちが公の場に出て説明するかもしれないって話だ。それに伴い事が済むまで自宅待機だとさ」

「大変だね。冒険者は」

「アイシャも自宅待機だぞ?」

「ボクもなんだ。それは面倒だー」

「情報公開が終わるまでの辛抱だな。それにちょうどいいかもしれない」


 悟は続ける。


「住所がバレると道路に野次馬が集まるからな。近隣住民の迷惑になる。とはいってもほんの少し身バレが遅くなるだけだが」


 個人情報なんて掲示板に書かれるのが当たり前の時代。

 罰則が厳しくなったとはいえ「この前、コンビニで見かけた」程度の内容では罪にならない。

 目撃情報からこのマンションがバレるのも時間の問題だろう。


「そっか」


 アイシャはつぶやて悟と同じように背もたれにもたれかかり、頭の後ろで手を組んだ。


「なら仕方ないね」


 外出するのが好きな少女にとって数日間も室内に居続けることは拷問にも等しい。しかし、そんな退屈を吹き飛ばす娯楽が現代社会には溢れている。


「一緒に動画見て過ごそうぜぃ」


 アイシャが笑った。


「そうだな。さっきの話題に上がった作品から鑑賞っすか」

「飲み物が必要だね。悟、なにか作って」

「動きたくない。水でいいんじゃないか?」

「それは駄目。映画は甘いものを飲みながら観るのが基本でしょ」

「どこぞのアメリカンかよ。もう立派な地球人だな、アイシャは」

「適応力が高いのさ。さあさあ、飲み物を用意したまえ」

「はいはい、わかったよ。カ◯ピスでいいか?」

「おっけー」


 それから一緒にアニメを観たのち悟は武器を清掃、深夜零時に床についた。

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