逆万引きスーパー『マナザシ』

二之腕 佐和郎

新人バイト保坂

 通常、スーパーマーケットにおける来客数に対する万引き件数の割合は1%にも満たないが、ここM県S市N町では住民がめちゃくちゃに万引きをするため、複合商業施設であろうと、フランチャイズチェーンのコンビニであろうと、開店から一か月足らずで潰れてしまう。

 蝗害(こうがい)のごとき万引き被害を受けているのは、町内唯一のスーパー〝マナザシ〟も例外ではなく、万引きによる被害額は年間で8億円にのぼるが、従業員が客から金を盗むことで帳尻を合わせていた。



「──えー、今日の連絡事項はこれで以上……ああ、そうだ。今日からアルバイトの方が新しく入ります。保坂さん、簡単にご挨拶をお願いします」

「ハ、ハイッ」

 店長に促され、保坂はピンと背筋を伸ばした。

「春から進学でこの町に越してきました、保坂です。よ……よろしくお願いします!」

 ペコリと頭を下げると、まばらに拍手が起こる。

「今日はとりあえず蓮川さんにくっついて、どういった仕事をするのか教わってください」

「わかりました!」

 朝礼が終わると従業員はそれぞれの持ち場へ散って行く。

 見るからに人の好さそうな中年の女性が、保坂に「よろしくね」と笑いかけた。〝蓮川〟の名札をエプロンにつけている。勤続十五年のベテランだという。

「保坂さんはアルバイトの経験はある?」

「高校生のときにコンビニで働いたことがあるので、レジの操作とかもある程度は大丈夫です」

「レジの操作──?」

「あっ、もちろん、店によってやり方は違うと思うのでアレですけど……」

 保坂の言葉に、蓮川は口元に手を当てて上品に笑った。

「あら、ごめんなさいね。レジなんて言葉久しぶりに聞いたから、つい聞き返しちゃった」

「蓮川さんはあんまりレジ入らないんですか?」

「違う違う。この店レジ使わないのよ」

「エッ。じゃあ、あれって無人レジなんですか?」

 4つ並んだレジカウンターを指す保坂に、蓮川は首を横に振った。

「そっか、保坂さんはこの町の出身じゃないのよね……いらっしゃいませー」

「あ……いらっしゃいませー」

 すれ違う客に挨拶をしながら、蓮川は淡々と説明した。

 この町の尋常ではない万引き率について。万引きへの対抗措置“逆万引き”について。

「要するに私達の仕事はお客様からお金を盗むことなのよ」

「それって倫理的にどうなんですか?」

「倫理を重んじる店は全て潰れたわ。この店がこの町で生き残るにはそうするしかなかったの」

 店内をぐるっと一周すると、蓮川は一度事務室へ戻った。そして、エプロンのポケットから分厚い札の束を出して、経理担当に手渡した。

「エッ!? いつの間に盗ってたんですか?」

「お客様とすれ違ったときに、ね──」

 蓮川はウィンクをしてみせた。保坂はこの店で働けるだろうかと不安を感じた。

「とてもじゃないけど、私……蓮川さんみたいに盗めないと思います」

「最初は誰でもそう思うわよ、大丈夫! 働いてるうちにお客様がどこに財布をしまってて、いくら持っているのか、わかるようになるわよ!」

「はあ……」

 別にそうなりたくはないな、と保坂は思った。

「次はゆっくりやってみるから、なんとなーくでもいいからタイミングとか覚えてみてね」

「わ、わかりました──」

 蓮川のいう“ゆっくり”でも保坂には別次元の早業に見えた。

 いらっしゃいませー、の声がけと同時に彼女の手は客のポケットに走り、幾枚かの札を掴んでエプロンにしまうのだ。

「あの人が尻ポケットに入れてる財布はフェイクよ。本命はジャケットの内側ね」

「この距離でよくわかりますね」

「経験よ、経験」

 蓮川はフロアと事務室を往復する合間合間に、保坂に逆万引きの基礎を教え込んだ。

「最初はそんなにシビアじゃなくていいんだけど、お客様の盗んで行かれた品物の金額と同じくらいのお金を盗ってほしいのね」

「あ、一応そういうところも気をつけなきゃいけないんですね」

「入ったばっかりでそこまで言うのはアレだけど一応」

「わかりました」

「それと……あっ、あの人ちょっと見てちょうだい」

「あの人? ああ、あの若い男の人ですね」

「常連さんなんだけど、あの人からは盗らないっていうことは覚えておいたほうがいいかもね」

「エッ、どうしてですか?」

「あの人は何も万引きしないで店のトイレだけ借りていく人よ」

「へぇー。わかりました、気をつけます」

「売上にも損害にも関係ない存在であることから通称〝ゼロ〟と呼ばれているわ」

「〝ゼロ〟……かっこいいですね」

「ちなみに向こうにいるおばあちゃんは食品を万引きして店を出る前に全て完食する怪物(モンスター)よ」

「すごいおばあちゃんですね」

「万引きの証拠を一切残さないことから通称〝ゼロ〟と呼ばれているわ」

「あだ名かぶっちゃってますけど」

「そしていま生鮮食品売場に現れた女。あの人は買い物カゴやカート、果ては売場の広告ポップなどを強奪する荒事師よ」

「道理で店内が殺風景ですね」

「売上に絡まない備品を窃盗することから通称〝ゼロ〟と呼ばれているわ」

「〝ゼロ〟三人目ですけど」

 正午のチャイムが鳴り、保坂と蓮川は一時間の休憩を取った。

 長机の並ぶ休憩室で、保坂は持参した弁当を開いた。その隣で、蓮川は店の商品のハンバーグ弁当を食べていた。

 ──それ、お金払ったんですか?

 喉元まで出かかった言葉を、保坂はお茶と一緒に飲み込んだ。

「さて、午後の業務も午前とあんまり変わらないんだけど、もうちょっと踏み込んだことをやろうかな?」

 休憩を終えると、蓮川はロッカーからバットを取り出した。

「エッ。なんですかそれは」

「ああ、ウチの子供がねー。ほっぽらかしにしてあるのを持ってきたのよ」

 聞きたいのはそこではないのだが、保坂は歪んだ愛想笑いをした。

「保坂さんは保坂さんで好きなの選んで持ってきていいからね。女の子だからカットラスかな?」

 女の子だから、の意味がわからなかった。

「それは何に使うんですか?」と保坂は堪らず聞いた。

「ウン。万引きしていくのはいいんだけど、たまに財布を持ってないお客様がいらっしゃるのよね」

「万引き自体はいいんですね」

「お財布がないと逆万引きができなくなって、お店潰れちゃうでしょ?」

 蓮川はブンブンとバットを振るいながら言った。

「そういうお客さんは、ぶん殴っちゃっていいんだよ!」

「なるほどー」

 保坂は大きく頷いてから、あのー、と断った。

「ちょっとトイレ行っていいですか? 具合があんまりよくなくて……」

「あら大変! トイレはそっちの事務室通路の向かいにあるから、あと午後は大丈夫だから早退したら?」

「すみません、そうします」

 保坂はトイレには行かず、事務室奥の店長のところへ向かった。

「あのー」

 声をかけると、店長はPCの画面から顔を上げた。

「おお、どうした?」

「あのー、やっぱり辞めます」

「あ、そう?」

 店長は急な退職には慣れっこという感じで、サクサクと手続きをしてくれた。

 保坂はそそくさと店内を通って外へ出た。

 途中で蓮川とすれ違い、保坂はペコリと会釈した。

「お疲れ様、お大事にねー」

 蓮川はバットを肩に乗せながら、威圧的に店内を歩き回っていた。

 ──せっかく仕事を教えてくれて悪いけど、別のアルバイトを探そう。

 保坂は店を出たところで足を止め、〝スーパー マナザシ〟の看板を振り返った。

 そして、何の気なしに鞄から財布を取り出してみた。

 バス代とお昼代を差し引いて、2000円くらいは入っていたような覚えがあるが──中身は空だった。

 保坂は急いで店に戻ると、ポケットいっぱいにガムを万引きした。

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