毒リンゴ

カフか

第1話

さらりとした空気が漂う気候の中汗をだらだらとたらし落ち葉を踏みしめて木陰道を走り抜ける。

横には一面の高い赤煉瓦塀があり警備員が一人立っている正門に向かって足を速めた。


キャンパスの通路を抜け校舎に入る。


廊下にはスニーカーがゴム製の床を擦る音が鳴り響き、トートバッグに入れた筆記具やらがけたたましく鳴っていた。

バッグについたコンバースのキーホルダーは宙を歩く。


一番奥のドアを開けると教室にいる人はまばらでほとんどは談笑しながら居座っている生徒だけだった。


息切れしつつ青い顔で教卓を見ると花浅葱色のスーツに身を包んだ高汽先生が冷やかな目でこちらを見ていた。

先生の背中にあるホワイトボードは消し終わったあとなのか黒や赤の色だけが薄く残っていた。


高汽先生は手に持っている教材を整える意味なのか憤慨してなのかダンッと本の束を揃えた。


 「家田さん、この後の講義はありませんでしたよね」

深雪のような重く冷たいトーンで一言、高汽先生は教員室に来いということを示唆した。


先生が教材を持って教室を出ていく後ろを私は俯きながらついていった。



教員室に入ると珈琲の匂いやら煎餅、バウムクーヘンなどのお菓子の咀嚼音が聞こえた。


高汽先生は自分のデスクに荷物を置き、お茶の作法のようにオフィスチェアを回して腰を掛けた。


 「さ、そこに座ってください。あなただけ立ってるとどっちが説教してるんだか分からなくなってしまいますからね」


百七十九センチある私は普通に座っても人を見降ろす角度になってしまうのもあって申し訳なさそうに縮こまることができなかった。


言われた通り真向いのチェアに腰を降ろすとキィと鈍いと音をたてた。


高汽先生のデスクの下にはクラフトボックスがあり同じ柄の紙袋が何枚も入っていた。

呼び出された理由はなんとなくというか確信に近いぐらい理解していた。

目の端で見たデスク脇の積み上げられた七センチほどの紙の束は多分私への課題だ。


 「私があなたをここへ座らせた理由は分かりますね」

背が高いからでしょうか、なんて笑い飛ばしてこの重たい空気を変えたかったが事実以外を口にすると先生の鋭い目で胸を貫かれそうだった。


 「授業の出席率が悪いから、ですよね」と大人しく答える。


高汽先生は静かに頷きそれにと続けた。

 「あわせて授業態度も悪いです。この間は右奥の机でペンケースを枕にして寝ていましたね。

 この間のテスト、全ての解答欄を埋めていたのは立派でしたが正解していたのは15問中4問だけです。内容の理解度は限りなくゼロに近いと感じざるを得ませんでした」先生は日誌を広げ生徒の素行まで観察していた。


このテストの件、居眠りの間に聞こえたワードしか記入欄に書けないという本当に無残で恥ずかしい結果だった。

山形に住む親には近況報告の電話でも口を閉ざすことを決めるほどだった。


 「あまり言いたくありませんがなぜあなたが私の受け持つ日本哲学の授業を専攻したのか気になるところではあります」


 案の定高汽先生は七センチもの分厚い紙の束をデスク下の紙袋に入れて私に差し出した。


 「この課題を二週間で熟してください。専攻した理由も提出時に伺います。

 これからどのように授業に取り組むのか目的を見直す期間が必要かと思いますから」


キャンパス内のベンチにに座り隣に置いた紙袋を見た。


薄い桃色の袋の中心にはロゴがありデフォルメされたリンゴのイラストは真ん中で色分けされ、左には白右は赤の可愛らしいマークが印刷されていた。


とあるアップルパイの専門店『amiami』というお店の袋に高汽先生はいつも課題のプリントいれて評価が芳しくない生徒に渡す。


一部の生徒はそれを『毒リンゴ』と呼び、呼び出された日には「魔女に呼び出しを食らった」と皮肉めくのだ。

 

私もついに『毒リンゴ』を受け取ってしまった。その事実だけで気分が滅入る。


時間がありあまっていた中・高時代、私は哲学書に没頭していた。

自分や他人のする一般的行動、疑問や不思議という感情を持つことが多かったからだ。

だから大学ではそれを徹底的に学びたいと思って専攻したもののこの有様だ。


見た目が可愛い隣の紙袋に顔を近づけると仄かに甘い香りがする。

中身がアップルパイではないことにため息が漏れる。


すると黒いブレザー姿の女性が目の前を通り過ぎたと同時に足に固い何かがあったった。


スモーキーグリーンのスニーカーの横を見ると真っ赤なリンゴが果物独自の瑞々しい光沢を放って一つ転がっていた。


通り過ぎた女性の落とし物だろうか、そのまま真っすぐ歩いていく黒ブレザーの彼女に声をかけ引き止めた。

 

 「あの、これ落としましたよ」と右手でリンゴを拾い差し出す。


振り返った女性の顔を正面から見る。少し長めの前髪から覗く大きな目。陽光がかかり瞳の色は透き通っていて茶色というよりもはやオレンジ色に見えた。


瞳は小鳥みたいに大きくて斜め上にきゅっと持ち上がった目じりに、真っ黒の長髪は色白の肌と対照的で童話にでてくるお姫様みたいだった。


綺麗な顔。


でもこの顔どこかでみたことがある。初対面なのに不思議だ。



 「失敬、ありがとうございます」女性は微笑みながら真っ赤なリンゴを受け取った。


女性は手に持ったリンゴを宙に投げ弄びながらここの生徒さんですか?と聞いてきた。

 「はい、まだ一年生なんですけど」

 「私と同じですね。ここの大学は広いですねえ、サークルもたくさんあるし」饒舌に彼女は話しだした。


 サークル。そのワードが胸に閊えた。

 

 「見学の方ですか?」


彼女は大きな二つの瞳を空へ向けて

 「そんなところです」とまた笑った。


彼女の瞳は家田の手元にある太った紙袋を追った。


 「ぎゅうぎゅうですね、毎日そんなに課題が?」

と興味津々に彼女は尋ねた。


 「いや、これは・・・。罰なんです。『毒リンゴ』っていう」


言い淀んだ私はしまったという顔をした。彼女が面白いものを見つけたという目で見ていたからだ。


「私これからインドカレー食べに行くんですけど、よかったらお話聞かせてくださいませんか?」と彼女はリンゴを持っていないほうの手で私の手を握った。


初対面の人間に手を握られ、さらにご飯へ行くことは戸惑いしかなく狼狽えた。


しかし考えてみると朝から一心不乱に走り、その末に説教をくらいヘビーな課題を貰って心身ともにくたくただった。


胃だけでも満たそうと私は彼女と共にカレー屋へ向かうことにした。


まだ自己紹介をしていなかったことに気づき私は家田と名乗り、彼女は佐部という名前を口にした。

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