最終話 188日目(駒早祭2日目)②/190日目
二日間にわたる学祭は終幕した。
日はすっかり落ち、片付けもほとんど終わっている。実行委員と助っ人以外の学生はもうとっくに帰宅したが、私と雅人は学内に残っていた。学祭ではほとんど使われていなかった、保健室と同じ棟の最上階。小さめの講義室に私たちはいた。待ち構えていた。
講義室の後方の扉が開く。
「やっほ、真希っち、雅人くん」
そう元気に挨拶をする、金髪ショートカットで小柄な女の子。
「待ってたよ、のえりー」
私と雅人は、講義室の前方、教壇の上からのえりーを見下ろす。
「どうしたの? こんな時間にこんなところに呼び出して」
そう問うのえりーの表情は、もう全て分かっているようだった。だから、私はすぐに本題に入ることにした。早くしないと、見回りの事務員がやってくる。
「今日のベストカップルのときの映像、のえりーだよね。犯人」
のえりーの表情は一切崩れない。薄ら笑いを浮かべ、私たちを見据えている。三人の間に沈黙が下りる。その時間は長いようにも短いようにも思え、耐えかねて私は再び問う。
「ねえのえりー。答えて」
「はあ~。まあ、バレるよね」
間髪入れずに嘆いたのえりーは、後頭部をわしゃわしゃと掻きながら、ため息を吐いた。その姿を見て、私の心は底の底まで落ちていった気がした。どこかで期待していたのだ。私の予想は全部間違いで、のえりーがここで本気で困惑しながら否定するのを。でもそれは叶わなかった。
「ごめんね、真希っち。私さ」
のえりーは二、三歩前に歩き、そして薄ら笑いのまま私の目を見た。
「あんたのこと、昔っから大っ嫌いだったんだ」
視界の隅で雅人の拳が強く握り込まれるのを捉えた。同時に、私は自分の胸に大きな槍が突き刺さったかのような感覚に陥る。胸の奥が痛くて、締め付けられるのとえぐり取られるのが同時に起きている感覚が加速する。そのくせ心拍数は跳ね上がり、心臓は重労働で、身体中が嫌な感情で満たされていくようだった。
「……なんで」
やっと絞り出た声は、三人の間に落ちるように弱々しい。
「え? 何?」
のえりーはもう一歩、私たちに近づいた。
「なんで、嫌いなのに……あんなに仲良くしてくれたの……?」
声が震える。
「ああ、そうだよね。じゃあ、話そうか。もう、十分だし」
歩き出すのえりー。彼女は教壇の前までやってきて、私たちを見上げた。
「私ね、中学の頃、親に虐待されてたの」
当たり前のように、普通に、のえりーは告白した。
「毎日毎日、ちょっとでも親の気に食わないことをすると、顔意外の、学校にバレないところをぶたれて、ときにはタバコで焼かれて。何が親の気持ちを逆撫でするか分からないから、ずっと親の顔色窺って生活してた。学校だけが私のオアシス。明るく振舞って、ニコニコしてればみんなよくしてくれるから。でもね」
のえりーの語気が強くなる。
「それだけじゃあ、私の苦痛は消えなかった。そんなとき、出会ったのが雅人くんだったんだあ。私、雅人くんと話すときだけが楽しくて、生きる意味さえ感じたよ。それまで男の子と親しく話すなんてことなかったからさ、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。だけど。同じころに親の暴力も酷くなって。家に入れてもらえない日もあった。真冬にだよ?」
雅人は目を伏せる。知らなかったのだから仕方ないのに、きっと罪悪感に苛まれているんだろう。
「それで思いついたの」
のえりーは教壇に登る。
「自分より不幸な人を見つければ、自分が少しはましに思えるかなって。そしたらさ、奇跡だよね。隣のクラスに、『陰毛ちゃん』だなんて酷いあだ名付けられていじめられてる子がいるって聞いて。これは会いに行かなきゃって思った。だからあの日、私は保健室に行ったんだよ」
……嘘だ。そんな……あの出会いは、そんな理由で……。
私の中で、黒い何かが渦巻いていく。
「そしたらほら、『私は世界一不幸です』みたいな顔してる真希っちがいてさ。ああ、この子は、私と同じ。いや、私以下なんじゃないかって思えた。そう思うだけで、気が楽になった。それからほとんど毎日、真希っちに会いに行った。目の前に可哀想な子が、泣きそうな顔をしてる子がいるのが本当に気持ちよかった」
気持ちよかった?
私のあのときの感情は、のえりーにとってそういうものだったの……?
「でもね、今度はちょっと勇気づけてみようかなって思ったんだ。どんな反応するかなって。そしたらさ、チョロいのなんのって! 一瞬でその気になって、『明日は教室に行く』って! だから、私考えたんだ~。きっとこっ酷く返り討ちにされるから、それを記録に残してやろうって。そんでさ、色んなところにばら撒いてやろうって」
ああ、ダメだ。そんな、そんな……、私ののえりーが、壊れていく……。
「で、当日。思い通り真希っちは撃沈。動画もバッチリ撮れて、完璧だった。その後は適当に慰めておいて、いいタイミングで動画をばら撒いてやろうかと。でもさ、悪いことってできないようになってるのかな。その日の夕方、私は知りたくないことを知ったの。……あのラブレターが、雅人くんが書いたものだったってこと」
のえりーは俯き、そして声に強い感情を乗せるように続ける。
「信じたくなかった。あんなにバカにされて、私の精神安定剤として利用されてるとも知らずに間抜けに生きてるあんたを! 雅人くんが好きになるなんて……。なんで私じゃないの。なんで私じゃダメなのって思った」
ふっと一拍、空白が宙に浮かぶ。
「だから生半可なのはやめた」
のえりーは、怒りに満ちた形相で、感情のままに、悲痛を訴えているようだった。
「真希っちに希望を見せて、必死に努力させて、自分が美しくなったって勘違いさせてから、突き落としてやろうって。そしたら真希っち、どんな顔するかなって! だからこうして今日、動画を流した。雅人くんが同じ大学になって真希っちの彼氏になっちゃったのは誤算だったけどね……」
講義室の空気が、冷たい。のえりーは力なく顔を上げた。その目には涙が湛えられ、今にも零れそうだった。
「……でも。ダメだったね。真希っちはこんなんじゃ壊れなかった。二人はこんなんじゃ引き裂けなかった。結局、真希っちは努力家で、真面目で、優しい子。それは変わらなかった。今日のベストカップルで思い知ったよ。真希っちは、ずっと美しかったんだね。見た目じゃなくて、中身が」
「のえりー……」
膝から崩れ落ちるのえりー。
「ねえ、のえりーは本当に私たちのこと、壊したかったの?」
ふと、私は口に出す。
「え……?」
「のえりーがここ数週間で私に掛けてくれた言葉、全部が嘘だったの?」
「それは……」
俯くのえりー。
「私は、全部嘘だっただなんて思えない。のえりーの言葉で私は何度だって救われたんだもん。もしかしたら、のえりーは心のどこかで自分に嘘を吐いてたんじゃないの……?」
のえりーは、泣きながら声にならない声を上げた。そして、喉の奥から、心の奥から吐き出すように、叫んだ。
「ご、ごめんなさぁぁぁい!!!」
私と雅人を顔を見合わせ、頷く。
「……許せない。許せないけど、それでも」
手をのえりーに伸ばす。
「友達だから、のえりーが変わるのを手伝う」
続いて、雅人も口を開く。
「真希ちゃんがそう言うなら、俺も。のえりー、ごめん。気持ちに気づけなくて」
のえりーはさらに激しく泣き、そして言った。
「なんでそんなにいい人なんだよおおおおお」
私たちは、その小動物みたいな姿に、笑ってしまった。
「のえりーだって、いい人になれるよ。ていうか根はいい人でしょ? 少なくとも私はのえりーに救われたのは事実だもん。私が自信を持てるようになったのは、のえりーのお陰だし。環境が悪かったって見方もできる」
のえりーはゾンビみたいに私に近寄ってきた。私は、そんなのえりーを強く抱きしめる。
「ごめええええん!! ごめんねえええええ!」
「ちょっと! 鼻水付いちゃうでしょ!」
「あはは」
それは、いつもの空気だった。
ああ、これでいい。これでいいんだ。
「なッなんなんだよこれッッッッッ!!!!!!!!」
――金切声が、講義室に響いた。
「え?」
講義室の入り口を見ると、そこには、雅人が――雅人の姿をした男が立っていた。
「ななな、なああ!? 話が、が、ちげぇええ、じゃねえか……!」
男は、ゆらりゆらりと講義室に入ってきくる。
「み、御船朝哉……!」
のえりーが、その名を口にした。
朝哉の右手には、包丁が握られている。
「ちょちょちょちょ、落ち着いて!」
雅人が急いで、私とのえりーの前に移動する。
「御船先輩、違うんですその、もう私は……」
震えだすのえりー。
「のえりー、もしかして、雅人の体のことも……」
恐る恐る、問う。
「……うん。本当にごめん。あいつに、御船朝哉に真希っちたちの情報流したのも……私」
なんてことだ……。まさか雅人の体のことまでのえりーが噛んでいたなんて。
「ごごごご、ごちゃごちゃうるさい! なんなんだよもう! まッ……真希チャンが俺のものになると思ってお前と組んで、たのに……! さっきの、ベストカップルのスピーチはッなんなんだよお!」
叫び、包丁を前に構える朝哉。
私たちの間に共通の緊張が走る。奴を刺激してはいけない。話して、落ち着いてもらわなければ。
「わ、私が目的なの……?」
震える声を、できるだけ抑えて問う。
「まままま、真希チャン! そ、そんな男、早く振っておおお、俺の方においでよ! ほッほら! 真希チャンの大好きな見た目え、でしょ!?」
朝哉は両手を広げ、アピールした。それはたしかに雅人の見た目で、鼻と頭の形以外は完全に一致している。
「真希チャン、見た目が一番大事って! そこの牧野絵里に聞いたからッ! ほら! こんな、かかか変えたのに……なんでッなんでッ、その男の今の見た目はッ、真希チャンが振った男の、見た目だろぉぉぉおお!?」
情緒が不安定すぎる。声は聞き取りづらいし、言ってることもなんかヤバい。早くどうにかしないと……。
「あああ、あとは、海原雅人を……殺せば計画は完了……」
朝哉のその言葉に、すかさずのえりーが言う。
「待って! そんなの聞いてない! 雅人くんは、真希っちに振られて、私と付き合うっていう計画だったじゃん! ……失敗したけどさ。とにかく、話が違うって!」
「そぉぉぉぉおおれぇぇぇぇえええはぁぁぁぁぁぁあ! こっちも同じだからあああ! 全ッ然ッ! この女、海原雅人のこと嫌いにならねえじゃん! 俺のこと好きにならねえじゃん! 帆波真希はルッキズムってい、言ってたのぉ! 嘘かぁああ!?」
その圧力に、私たち三人は押し黙ってしまった。嫌な沈黙が、場を支配する。
「だ、黙ってるってことは、肯定なんだッな? フゥー……フゥー……じゃあ、さ、海原雅人、――死ね」
刹那、朝哉は勢いよく走り出し、雅人目掛け包丁を振りかざす。
「うわッ」
雅人は間一髪で包丁を避け、距離を取った。
私とのえりーは成す術なく、講義室の隅に身を縮こませるしかなかった。
「あああああああああああああああああ死ねええええええええええええええ」
雄叫びと共に二度目の突進。それもまた、雅人はギリギリで躱した。なんとか、なんとかしなければ。
「ど、どうしよう真希っち、真希っち」
のえりーは涙でびしょびしょおの顔を歪ませながら私の袖を掴む。
三度目の猛攻が襲うそのとき、雅人は体勢を崩し、後ろに尻餅をついてしまった。
「やば」
「よっしゃぁああああああ! うわああああああああああ!!」
朝哉は今までで一番の勢いで、雅人にナイフを突き立てに掛かった。
私は。
私は咄嗟に、動いていた。
脇腹に、鈍い痛みが走る。視界に、混乱した朝哉の顔。背中に、雅人の温もりを感じる。
その温もりを凌駕する熱が、腹から溢れ出た。血だ。
ナイフが脇腹に突き刺さり、そこから血が流れ出ているのが、見える。
いたい。痛い、熱い。あああ、死ぬのかな、これ。
目の前で、朝哉が叫んでる。
「真希ちゃん」
雅人の声が、耳元で聞こえた。
意識が、遠くなる。
やばい。これ、やばいやつ……かも。
目の前に、ぼやけたかおがふたつ。
いやだ……いやだよ……。
いしきが、とおのいていく。
*
目の前に、知らない天井。
私は、自分がベッドに寝ていることに気づいた。
「……あれ、ここどこ――痛ッ」
少し体に力を入れると、脇腹に痛みが走る。
「真希っち! 真希っち起きた!」
「動いちゃダメだよ……!?」
首だけ横を向けると、心配と喜びが入り混じったのえりーの顔と、そして……。
「ま、さと……?」
そこには、雅人の姿があった。
それは、正真正銘、付き合い始めたころと変わらない、その姿が。
「御船、朝哉……?」
今の私には、判断が付かない。どっちだ。どっちなんだ……。
そんな私の困惑を察知したかのように、のえりーが話し始めた。
「あれから二日経ったんだ。ここは警察病院。あの日、あの後警察と救急車呼んで、御船朝哉は逮捕。あのときほとんど雅人くんの姿だったから、最初は海原雅人として逮捕されそうになったんだけど……」
そりゃあそうだ。大人がそんな簡単に信じる話ではない。
「完全に入れ替わってなかったのが救いだったね。鼻と頭蓋骨、それに声が違ったのをきっかけに警察は私たちの話を聞いてくれて、検証したんだ。実際に入れ替わりが起きるのか。御船朝哉には減刑をちらつかせて協力させて。目の前で見ちゃえばもう信じるしかないから、雅人じゃなく朝哉が正しく逮捕されたの」
じゃあ、じゃあつまり……。ここにいるのは……。
「うん、そうだよ」
のえりーが、深く頷いて、微笑む。
私は自分の両目から涙が溢れるのを感じながら、雅人を見た。
「うん。俺だよ。海原雅人。君の彼氏」
聞いた瞬間、私は雅人に抱き着いた。ここが病室なのも忘れて、大声で泣いて喚いて、強く強く雅人を抱きしめる。
「うわああああああああ! 雅人おおおおおお! 痛い! お腹痛いけどおおお! 良かったああああああ!!!」
雅人も涙を浮かべながら、うんうんと優しく頷き、私を優しく抱擁する。それを見ていたのえりーも、急に泣き出して私たちに飛びついてきた。
「うへええええん! 私も! ごめんねええええ二人ともおおおおおおおお!!!」
三人で泣いて抱きしめ合う。
ああ、よかった。本当によかった。全部、解決したんだ。
*
少し照れ臭そうに、私たちは三人、病室で顔を合わせる。あれから十分くらいは泣いていただろう。私は、雅人を見つめる。雅人も、私を見つめる。
「あ、私、飲み物買ってくるよ! うん!」
こういうところで気を遣えるのがのえりーだ。本当にありがたい。ごめんね、ちょっとだけ、雅人と二人でいさせてね。
「もしかしたら、何買うかすご~~~く迷っちゃうかも!!」
そう言い残し、病室を後にするのえりー。扉もしっかりと閉めてくれる。
「……雅人、本当に、よかった」
私が零すと、雅人も「うん、よかった」と言った。
ああ、我慢できない。
「雅人! 大好き!」
私は雅人に勢いよく抱き着き、キスをした。温かくて、柔らかくて、雅人の味がした。
唇をゆっくり離す。
雅人は、私の目を見つめ、そして、微笑んで言った。
「俺も大好きだよ、――真希
終
テセウスの肉 水村ヨクト @zzz_0522
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